番外編 第十三話「蝉時雨、道中の一幕」
挿入時間軸:第82話と第83話の間(初夏)
じい、じいと乾いた声が、街道の木々から絶え間なく降ってくる。今年初めて耳にする蝉の声であった。我――玄丸は牛車の縁に前足をかけ、その響きに耳を傾けた。
(あれほど小さき体で、あれほど大きな声を出す。異世界の理では説明のつかぬ現象よ)
橋姫の一件を終え、都への帰路につく一行は、思いのほか歩みが遅かった。姫が道端の花々に目を留めるたび、牛車は緩やかに歩みを止める。真名井実俊はその都度、日の傾きを気にして空を仰いだ。
「真白殿、日が落ちる前に都へ入りたい。あまり長居はできませぬ」
「わかっておりますわ。でも、この花、母上が好んでいらしたものに似ていて」
真白の声には、束の間の寂しさが滲んでいた。実俊はそれ以上急かすことをせず、代わりに己の沓の先で地面を軽く叩いた。理詰めの若者なりの、間の取り方であった。
一行の後方、影のように付き従うのは葛上真澄である。荷を担ぐ従者たちの列を静かに見渡し、道の先に何か気になる気配があれば、いち早く察して立ち止まる。今もその足が、ふと止まった。
(彼が気を張っておる。何か、いるな)
我が耳を伏せて周囲を窺うと、道の脇の茂みから、がさがさと不揃いな音が近づいてきた。姿を見せたのは、額に大きな目を一つ持つ小柄な妖――一つ目小僧である。
「あの、すみません、道を教えていただきたく」
以前にも似た遣り取りをした覚えのある声であった。真澄が一歩前へ出て、落ち着いた声で応じる。
「道に迷われたのでござろう。都へお戻りか、それとも宇治へ向かわれるか」
「それが、自分でもよくわからなくなってしまって……」
一つ目小僧は目を伏せ、情けなさそうに肩を落とした。実俊が呆れたように息を吐く。
「またか。お前という奴は、毎回同じ調子だな」
「面目次第もございません」
真白は思わずといった様子で笑い声を漏らした。花の話でわずかに翳っていた表情が、その拍子に和らぐ。我はその変化を見逃さず、尾の先で牛車の縁を軽く叩いた。
(人の心は、かように容易く移ろう。悲しみの直後に笑みが生まれるとは、我が統べていた理では測りかねる柔らかさよ)
真澄は一つ目小僧を都の方角まで案内すると申し出た。荷の列から少し離れ、二人分の足音が茂みの向こうへ遠ざかっていく。残された一行は、しばし木陰で涼を取ることになった。
「あの男は、存外に世話焼きだな」
実俊が呟くと、真白がうなずいた。
「ええ。口数は少ないけれど、困っている者を放っておけない性分ですもの」
蝉の声が一段と高くなる。木漏れ日が真白の膝に落ち、我はその温もりに誘われて丸くなった。実俊が我を一瞥し、珍しく口元を緩めた。
「その猫は、いつも都合よく涼しい場所を見つけるな」
「あなたの分もちゃんと知っているのよ、きっと」
真白の軽口に、実俊は小さく肩をすくめただけで、それ以上は言い返さなかった。
やがて真澄が戻り、一行は再び歩みを進めた。蝉時雨は途切れることなく続き、都の甍が遠くにうっすらと見え始める頃には、日はまだ高い位置にあった。
(橋姫の件は片づいた。だが、この都には、まだ我の知らぬ理が幾つも眠っておるのだろう)
我は牛車の揺れに身を任せながら、そう思う。蝉の声は変わらず、じい、じいと降り続けていた。




