↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【本編完結】平安猫魔伝〜異世界を滅ぼした魔導王、平安の都で猫になる〜【連載版】  作者: 伊勢吉
番外編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
163/236

番外編 第十一話「凪ぎの夜、粥ひとさじ」

挿入時間軸:第46話と第47話の間(初春)

(力を使い果たすとは、こういうことか)


我――玄丸(くろまろ)は、廂の隅に伏せたまま、四肢の先まで抜けていく重さを数えていた。鈴声(れいせい)と夢鏡(むきょう)、二つの理を同時に紡いだ代償は、思うていたより深く骨に染みる。満月の残光すら、今の我には遠い。


(あの女子の声を取り戻すため、真白(ましろ)の言霊と我の理を重ねた。あれほどの共鳴は、初めてであった)


廊の向こうから、湯気の匂いが漂ってくる。足音は重く、規則正しい。姿を見せたのは、屋敷の厨を長年預かるお梅(おうめ)であった。手には粥の入った土器を捧げ持っている。


「まあまあ、こんなところに転がって。今宵は姫様も大層お疲れのご様子でしたが、猫までもがそのような顔をして」


顔、という言葉に我は片耳を動かした。猫の面に感情は浮かばぬはずだが、この老女は時折、人の機微を見抜くような目をする。粥を土器ごと縁に置くと、お梅は膝をつき、湯気の立つそれを我の鼻先へ寄せた。


「精のつくものを食べねば、身がもちませぬよ。姫様が案じておいででした」


その一言に、我は目を細めた。気遣われる立場にあるとは、思うてもみなかった。異世界にあっては、気を配るのは常に我のほうであった。理を統べる者に、弱さを労わる声など存在せぬ。


(人の情とは、かように面倒で、かように――)


言葉を継ごうとした矢先、影が一つ、音もなく廊の柱の陰から伸びた。


「お梅殿(おうめどの)、夜分に恐れ入ります」


現れたのは葛上真澄(かずらがみのますみ)であった。半妖の血を宿す家令は、闇に溶けるようにして立ち、我と老女の間に静かな一礼を差し挟む。老女は驚いた素振りも見せず、心得た様子で立ち上がった。


「いらしたのなら、あとはお任せいたしましょう。猫殿、ちゃんとお食べなさいませね」


土器を我の傍らに残し、お梅は廊の向こうへ戻っていった。足音が遠ざかると、真澄は縁に片膝をつき、我を見下ろした。


「本日の術行、無理を通されたようでござろう」


推し量るような口ぶりに、我は伏せた姿勢のまま尾の先だけを動かした。図星を突かれたことへの、せめてもの応えである。


「金の理と水の理、二つを同時に操るは、猫の肉に過ぎた業でございます。今後は控えられますよう」


一転、断定の響きを帯びた声。真澄の語尾は常に二つしかない。推し量る時は濁し、告げるべき時は迷わぬ。その律義さが、この半妖の律をよく表している。


我は粥に鼻先を寄せ、ひと舐めした。米の甘みが、抜けた力の輪郭をわずかになぞる。彼はしばし、我の食む様を見つめていた。


「姫様は、あなた様のことをよほど案じておいででござろう。術行のあと、幾度も廂の様子を尋ねに参られました」


(真白が)


その名を思い浮かべるだけで、胸の内の理がわずかに乱れる。理由を説明づけようとして、我は言葉を持たぬ己の限界に突き当たった。異世界にあらば、感情もまた数式として解けたはずだ。だが、この乱れには、いかなる式も追いつかぬ。


「案じられることに、慣れておられぬご様子でござろう」


真澄の声には、皮肉ではなく、静かな見立てが滲んでいた。半妖として人と妖の境に立ち続けてきた者だからこそ、見抜ける機微であろう。我はそれに応えず、ただ粥を舐め続けた。


「我が身もまた、同じでござろう」


呟くように零された一言に、我は顔を上げた。真澄の視線は廊の先、闇の奥に向けられている。人でも妖でもなく、どちらの理にも完全には属せぬ者の目であった。


「案じられるより、案じる側でいるほうが、よほど楽でございます」


告げると、真澄は影に溶けるように立ち上がり、一礼を残して廊の闇へと退いていった。影走り(かげばしり)の術跡は、瞬きの間に消える。残されたのは、粥の湯気と、我一匹の重みだけであった。


(案じられることに、慣れておらぬ、か)


真澄の見立ては正しい。理を統べていた頃の我に、そのような立場はなかった。だが今、この身は猫であり、この心はどこかで、真白の気遣う声を待っていた。


(理の乱れだ。ただそれだけのこと)


我は己にそう言い聞かせ、残った粥を平らげた。土器の底に映る己の顔は、いつもより幾分、疲れて見えた。廂の外では、初春の風がまだ冷たく、庭木の梢を静かに揺らしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。