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平安猫魔伝〜異世界を滅ぼした魔導王、平安の都で猫になる〜【連載版】  作者: 伊勢吉
第六章:決戦前夜

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第百三十七話「永劫炉、顕現す(後編)」

最初の一撃は、見えなかった。


見えなかったのではない、と直後に訂正する。見た。軌跡も方向も、我の土の理は確かに読んでいた。ただ、間に合わなかった。


永劫炉えいごうろが動いた。


吸収の段階が終わったのだ、と我は悟った。夜空に浮かぶ核が、内側から膨らむような収縮をひとつ見せたあと、都の西側に向けて何かを放った。形のない圧力だった。矢でも炎でも風でもなく、ただの「消去」だった。そこにあったことわりを塗り潰すような力が、扇形に広がって地を薙いだ。


晴元はるもとが即座に大きく後退を命じた。三十ほどの陰陽師たちが左右に散った。実俊さねとしが符を重ねて前に立ちはだかったが、その符が白い煙を上げて砕け散った。砕け散ったのではなく、消えた。理の痕跡ごと、なかったことにされた。


真澄ますみが影走り(かげばしり)で横に跳んだ。着地と同時に低く叫んだ。「伏せよ」


真白ましろが反応した。我を抱いたまま身を屈めた、その刹那だった。


我は、来ると知っていた。


二撃目の軌跡が、西から南に折れた。永劫炉は単純に力を放つのではなく、理の流れを読んで攻撃の角度を変えていた。生きている。判断している。我が設計した装置は、止まる方法を知らないまま、賢くなり続けていた。


その軌跡の延長線上に、真白がいた。


我は、考えなかった。


爪を立てて真白の腕から飛び出し、空中で身をひねって軌跡の正面に出た。土の理が全力で収束した。結界座けっかいざの膜を重ねた。薄い膜を、十、二十、今の我に出せるすべてを積み重ねた。


間に合ったかどうか、分からなかった。


衝撃が来たとき、我は地の上にいなかった。


どこかに飛んだのか、弾かれたのか、暗い中を転がったことだけは分かった。地面の固さが右の脇腹に来た。転がり、止まった。


痛い、という感覚は遅れてきた。


遅れて来た、ということは、感覚がまだある、ということだ。我はその事実を、頭の片隅で冷静に確認した。死んではいない。だが動けるかどうかは、別の話だった。


起き上がろうとして、できなかった。


前足に力が入らなかった。土の理が、ほとんど残っていなかった。今この瞬間、重ねた結界座をすべて消耗した。それだけではない。もっと根の深いところが、摩耗していた。


寿命が、削れた。


何層分、削れたかは分からない。だが、分かった。


暗い視界の端に、地面の砂利の模様が見えた。冷たかった。冬の夜の地面の冷たさが、腹から全身に伝わってきた。


玄丸くろまろッ」


声がした。


真白の声だった。


走ってくる足音が聞こえた。続いて、地面に膝をつく音。そして、温かいものに包まれた。


彼女の両手だった。震えていた。


「玄丸、玄丸」


名を呼ぶ声が、繰り返された。一度、二度、三度。呼ぶたびに声が崩れた。崩れながら、それでも呼び続けた。


我は動けなかった。


目を開くことはできた。真白の顔が、視界の中にあった。涙が、頬を伝っていた。拭う余裕もなく、彼女は我を両手で抱き上げていた。胸元に引き寄せられた。温かかった。


「死なないで」


声になるかならないかの、細い言葉だった。


「お願い、死なないで」


我は何も言えない。言葉を持たない体だから、当然だ。だが今この瞬間は、たとえ声が出たとしても、何も言えなかったと思う。


大丈夫だ、と言うには、嘘が過ぎた。


何ともない、と言うには、体が言うことを聞かなすぎた。


ただ、今は動かないでいることが、唯一できることだった。真白の腕の中で、できるだけ重力に逆らわず、熱を借りながら、次の一手を考えた。


「姫君」


葛上真澄(かずらがみ の ますみ)の声だった。影から半身を出した形で、彼は令嬢の隣に膝をついた。「後退を。今は機を計るべきでございます」


姫君は動かなかった。


「玄丸が」


「見えております」家令の声は静かだった。「今は生きておいでです。ならば、場を離れることが最善でございます」


実俊さねとしが走り込んできた。夜空の核から目を離さずに。「真白さん、真澄殿の言う通りです。今の一撃は、力の全体ではない。あれはまだ、蓄積の途中だ」


晴元が遠くから指示を出す声が、夜に混じった。陰陽師たちが散りながら符を刻んでいた。天狗の羽音が上空を旋回した。ぬえの遠鳴きが、西の空から届いた。河童かっぱたちが東の水路から声を上げた。


妖怪たちは戦っていた。人間たちも戦っていた。


だが、夜空の核は変わらなかった。ゆっくりと脈打ちながら、都の理を吸い続けていた。


一撃を放った後も、吸収は止まっていない。


消耗させながら、補充する。そういう設計だった。我が設計した。終わりのない循環の中で、永劫炉は今も、少しずつ大きくなっていた。


真白が、我を抱いたまま立ち上がった。


立ち上がりながら、ひとつだけ涙を拭った。拭って、前を向いた。その目はまだ濡れていたが、視線の向かう先は夜空の核だった。


「行けます」


声は、震えていなかった。


我は彼女の胸元に抱かれたまま、前足に力を入れようとした。入らなかった。ただ、目は開いていた。夜空を見上げることはできた。


あれを、どうする。


問いは、我の内側で渦を巻いた。


今の我の力では、正面から抗せない。それは分かった。だが、問題はそこではなかった。問題は、永劫炉が我を知っているということだった。設計者の理の振動を、あれは記憶している。それが意味することを、我はまだ整理できていなかった。


好機として使えるか、あるいは弱点として突かれるか。


どちらにしても、今夜はまだ答えが出ない。


真澄が前に出た。実俊が横に並んだ。晴元の指示のもと、陰陽師たちが新しい陣形を組み始めた。妖怪たちの声が、都の四方から響いていた。


夜空の核は、脈打ち続けていた。


我はただ、真白の温もりの中で、呼吸を数えた。一、二、三。右の脇腹の痛みが、少しずつ輪郭をはっきりさせていた。それは、生きている証拠だった。


今夜はそれで、十分だった。

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