第百十五話「真澄の決意」
夜が深まるにつれて、真澄の影が薄くなる。
これは比喩ではない。文字通り、夜の気配が濃くなるにつれ、この男の輪郭が周囲の暗がりに溶けていく。半妖の血がなせることだ。昼間は他の人間と変わらない。ただ、夜の廊下に立つとき、行灯の明かりが届かない側の半分が、闇と同じ濃さになる。
我はそれを、以前から知っていた。
知っていて、気にしなかった。この屋敷にいる限り、真澄はこちら側にいる。それで十分だった。
だが今夜は、何かが違った。
深夜の渡り廊下を、家令がひとり歩いていた。我は梁の上から見下ろしていた。巡回ではない。足の向きが違う。奥の小部屋へ向かう道筋だった。あそこには、真白の母君の療養のために使われなくなった薬棚がある。今は薬ではなく、あの男が管理する封印文書や古い結界の道具が収められていた。
真澄は小部屋に入り、扉を閉めた。
我は梁を伝って移動し、欄間の隙間から中を覗いた。
灯りはない。真澄は暗闇の中で、棚の最奥から木箱を取り出していた。妖の血を持つ者は夜目が利く。その点では我と同じだ。
木箱を膝の上に置き、蓋を開けた。
中に何が入っているか、この距離では見えない。だが、気の質は分かった。古い。非常に古い。おそらく真澄が生まれる前——葛上一族がまだ一族として存在していた時代の何かだ。
「……やはり、これか」
真澄の声は低く、独り言の音量だった。
息を詰めた。
「葛上の血が界境に触れるとき、封が開く——先祖の記録にはそう書いてあった。だが、まさか」
家令は木箱の中のものを指先で触れた。何かが微かに光った。気の光だ。その指先から妖の理が漏れた瞬間の色だった。
「……間違いない」
真澄は蓋を閉め、箱を膝の上に乗せたまま、しばらく動かなかった。
我は欄間から下を見続けた。
この男が何に気づいたのか、正確には分からない。だが、大方の見当はついた。葛上一族の血は、界境に関わる古い力だ。設定資料ではなく、我が気の流れを観察してきた結果としてそう判断している。北西から来る残滓の引きは、この屋敷の何かに向かっている——それを実俊が指摘し、目目連が裏付けた。だが今夜、真澄はその「何か」が自分の血だと悟ったらしかった。
引き寄せているのではない。
真澄の血は界境の綻びに反応する。その反応が、封の位置を示している。言い換えれば——この血を使えば、封が打てる。
「厄介なものだ」
真澄は、昼間に実俊へそう言っていた。体で感じることがある、と。
今夜、その感覚の意味を、古い記録と照合して確かめた。
我は、尻尾を静かに一度だけ動かした。
この男は今夜、己の立場を理解した。そして、おそらく決めた。真白のそばにいる。この屋敷を守る。そのために己の血を使う——その覚悟を、ひとり暗闇の中で固めた。
問題は、そのことを誰にも言わないつもりでいることだ。
真澄は木箱を棚に戻し、小部屋の扉を音もなく開けて廊下へ出た。我は梁の上で体を丸め、気配を消した。真澄は我の存在に気づかないまま、廊下を歩いて戻っていった。
夜の冷気の中で、影がまた薄くなった。廊下の曲がり角で、一瞬、影が人の形をやめた。それからすぐに戻った。
行灯の届かない場所で、真澄は自分が何者かをよく知っている。
梁の上で前脚を揃え、目を細めた。
北西の気が、また動いていた。三日周期より少し早い。周期が乱れてきている。圧力が高まっている証拠だ。我はそれを皮膚の下で確かめながら、真澄が戻った方向を見た。
この屋敷には、言葉を持たない者が二人いる。
我は声を出せない。真澄は語らない。
どちらも、抱えているものを表に出さないまま動く。
それが同じ理由からではないと、我は知っている。真澄が語らないのは、語る言葉がないからではなく、語ることで相手の負担になると計算しているからだ。この男はそういう考え方をする。情より理を先に置く——実俊に似ているようで、根本はまったく違う。実俊の理は人を守るための理だ。真澄の理は、己を消すための理だ。
気に入らなかった。
感情を「気に入る・気に入らない」で処理していることに、我は軽く驚いた。
かつてのアルメラであれば、従者が己の判断で動くことを「好む・好まない」で論じることはなかった。有能であるかどうか、それだけだった。だが今は違う。真澄が自分だけで決めることを——危険を引き受けて誰にも言わないことを——気に入らないと感じている。
それはつまり。
我はそこで考えを止めた。
続きは要らなかった。分かっている。分かった上で、どうするかだ。
真澄が秘密にするつもりなら、秘密にされる前に動けばいい。実俊が次に来たとき、真澄の様子を見せる。言葉にならない形で、気の変化を示す。実俊はあれで勘がいい。気づくだろう。
それで十分だ。
我は梁から静かに下り、廊下へ降りた。
月が雲に入り、渡り廊下が暗くなった。真澄の消えた方向に、かすかに血の気の残滓がある。古い力だ。千年単位で受け継がれてきた力の、末端の明かりのようなもの。
それが今夜、目覚めた。
我は一度だけ後ろを振り返り、古椿のある方角を確かめた。
あの木は眠っている。だが根は起きている。根はいつも起きている——そう言っていた。
ここの土も根も、お前の味方だ。
それだけは、今夜も変わっていなかった。




