昭和15年(1940)身元照会依頼1
昭和15年の秋、風が冷たさを帯びはじめた頃、
中村の元へ一通の公的な封書が届いた。
それは軍の地方部局を経由して届けられた、厳重な封緘がされた身元照会依頼の書類だった。発信元は、混乱のなかで新たに再編が進む、軍の関連機関からのものだった。
封を開き、中村はそこに記された名前を見て息を呑んだ。
そこには、かつて満州鉄道傘下の子会社に務めていた頃、直属の部下として働いていた朝鮮族の若者たちの名前が並んでいた。
朴、金、李
――過酷な労働を耐え抜き、優れた職務遂行能力を買われ軍に入隊した者たちの名だった。手紙や書類の文面によれば、日中戦争の混乱と凄まじい攻防の波をどうにか生き延び、所属する機関から一般部隊へと戻っていた。しかし、日中戦争開戦前の激動する大陸現地で身分証明や過去の職歴、実績を証明する公的な記録が失われており、本人の自己申告により経歴を確認するしか無いという。そこで、当時の上司であった中村に対し、身元の保証および職歴の照会が公式に要請されたのである。
「あのとき、彼らは……」
中村の脳裏に、彼等が苦闘する日々が鮮烈によみがえった。当時の関東軍は、彼らを過酷な任務を遂行するための駒として扱い、時には不当な扱いをすることも少なくなかった。しかし、中村自身は現場で彼らと真摯に向き合い、危険な任務でも協力して命を守り抜いた自負があった。軍や上層部が結果しか見ない冷酷な組織であったからこそ、現場で助け合った彼らとの絆は、中村にとって忘れられないものだった。
「証明しろというのだな……彼らが軍にとって必要だということを」
中村は万年筆を手に取り、木製の机に向かった。複写式書類の一枚一枚に、当時の配属部署、勤勉な勤務態度、そして彼らがどれほど過酷な状況下で誠実に働いていたかを、記憶を呼び起こしながら書き込んでいった。
「パクは状況判断に抜群の勘があった。キムはどんなに危険がある任務でも逃げ出さず、要請された事を実行していた……」
ペンを走らせるたびに、彼らの精悍な顔立ちなどが思い出された。彼らが新天地で正当に評価され、人間としての尊厳を取り戻して生きていくための確かな礎になるようにと、中村は一文字一文字に心を込めた。
書き終えた書類を点検し、署名と捺印をする。それを軍の窓口へと提出するため封筒に収めながら、中村は窓の外の青空を見上げた。大陸では体制が変わる国が発生し、かつての清帝国やロシア帝国は跡形もなく消え去った。しかし、あの満州の地で共に生き抜いた者たちの絆は、時と国境を越えて確かに繋がっていた。中村は静かに息をつき、遠い地で新しい任務に着任する彼らの無事と新しい人生の幸いを心の中で祈った。
ふと全てを書き終え送付した夜、中村は疑念に囚われた。
「わざと無能なので大日本帝国軍には不要と報告した方が、彼等は幸せだったのでは? なかろうか? ひょっとして、とんでもない事を書いてしまったのでは・・なかろうか?」
「いや、だがしかし、今の世では、彼等の所属する機関にとって必要と判断される人生こそが、彼等にとって誉れであり素晴らしい事なのだ」
そう自分に言い聞かせるように呟いた。




