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満鉄  作者: 中山恵一
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7/11

昭和14年(1939)員数主義の弊害

夕暮れ時のランプが、小さな机の上で頼りない橙色の光を揺らしていた。


窓の外では、瀬戸内の穏やかな波が静かに岸を打つ音。

中村は、かつて自分が身を置いた大陸の乾燥した風の匂いを思い出しながら、

手元に広げた便箋に万年筆のペン先を走らせていた。


手元にあるのは、数日前に満州の遼陽駅から届いた一通の手紙だ。差出人は、満鉄時代からの古い友人であり、子会社の仕事を引き継ぎ、今も現地に残る元同僚の高藤だった。


『……こちらでは相変わらずだよ。いや、以前よりも員数主義の弊害は酷くなった。


 関東軍の威光は日に日に増すばかりで、事業計画の全てが連中の面子と帳尻合わせに振り回されている。内部での実情と外部へ報告している虚像の乖離は日々、巨大になっている。必要な物資や技術などの質が悪かろうが、報告書類上の「員数」さえ揃っていれば「問題なし」と通されてしまうのだ。内部で把握した実態を外へ報告しようとすると「非国民」と睨まれ懲罰を受けてしまう始末。


 このままでは破綻をきたすのは目に見えているのに、誰も本当のことを言いだせない。お前が家族を連れて早々に内地へ引き揚げたときは、”何故だ意地というものが無いのか?” と思ったが、今は君の思い切りのよさと先見性が痛いほど分かる……だが自分は立場上、言い出せない。』


手紙のインクはところどころ湿った空気で滲んでいた。そこには、かつて大志を抱いて大陸へ渡り、巨大なインフラを動かしているという誇りを持っていた男の、深い疲弊と漠然とした不安がにじみ出ていた。


中村は深く息を吐き、万年筆を握り直すと、静かな決意を込めて返事の続きを綴り始めた。


拝具


高藤、便りをありがとう。内地に戻って久しい我が家の静かな暮らしの中に、君のその生々しい手紙が届き、あの広大な大陸の空気が急に重くのしかかってくるような気がした。


君が書き送ってくれた「員数主義」の話、胸が痛むとともに、どこかで「やはり、そうか」という冷めた予感もあった。軍や関係者の常識として制度として社内法律として組み込まれた「員数主義」や「精神主義」は、もはや会社が解体されて、社内制度をゼロから再構築でもしないかぎり変えられないだろう。私が満鉄にいた頃から、軍の影は少しずつ濃くなり始めていたが、まさかそこまで形骸化が進んでしまっていようとは。


報告する「数」が合っていれば、中身がどうであれ良しとする。


帳面の数字と上官の顔色だけがすべての世界では、現場の汗も、石炭の熱も、鉄路の安全も、すべてが虚構の生贄にされてしまう。そんな偽りの世界で動く巨大なシステムを正しいと言い張っても、破綻へ向かう以外に道はないのかもしれない。でも何故か誰もが今まで通りに続けていけば、なんとかなると思い込んでいる。奇跡を信じているだけに近いのかもしれない。


私が家族を連れてこの島国へ戻ったのは、何か特別な先見の明があったわけではない。ただ、あの場所で膨らんでいく「現実には無い夢を見る熱狂」のようなものに、言い知れぬ怖さを覚えたからだ。作り話や嘘報告が一人歩きし、群れの意識が自分なりに考える意志を壊して飲み込んでいく大陸に漂う狂気から、せめて家族だけでも引き離したかった。それだけのことだ。


高藤、君は今、その群れの意識に飲み込まれている。全ての言葉に我々を付けて考え、行動しているのだから、それは当たり前な事だ。真面目な人間ほど、組織の正しさに従う事が正しいと信じてしまうものだから。でも無理をして、君自身の心を無くしてしまわない事を祈る。


自分の命より、我々の中での信用のほうが重いと信じ、滅私奉公という言葉を素晴らしいと信じる人間ばかりが増えているだろうか? もし、そうだとしたら、君が今いる場所では言い出せない言葉だろうが「生き抜いて日本に帰る」と自分には言い聞かせて欲しい。


いつの日か、この狂騒が静まったとき、再びどこかの街の喫茶店で、くだらない冗談を言い合いながら珈琲を飲める日が来ることを、遠い海原の向こうから祈っている。


くれぐれも体を大切に。


草々


昭和14年秋



中村は書き終えた手紙を読み返し、そっと息を吹きかけてインクを乾かした。封筒にしまい、糊付けをする。窓の外を見上げると、夜の闇の中に星が冷たく瞬いていた。大陸の空にも、今、同じ星が光っているはずだ。閉じた封筒を机の端に置き、静かに目を閉じた。



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