昭和10年(1935)満鉄の巨大化と新たな役回り
一介の駅員として満州の地に足を踏み入れてから、幾星霜が流れた。
かつて私たちが創り上げた南満州鉄道株式会社は、
この年、満州国内の全鉄道の経営下におさめ、撫順炭鉱、鞍山製鉄所、
そして無数の子会社を従える、名実ともに大陸最大の巨大国家企業へと変貌を遂げていた。
満鉄鉄道のインフラ整備職務は、
氷点下の寒風吹きすさぶ過酷な自然環境での作業だった。
そのため、満鉄の駅員や現場職員の定年は若く、四十五歳と定められていた。
私もその年齢を無事に迎え、満鉄本体からは定年退職。
長年勤め上げた退職金を手にすることになったが、
そこで完全に隠居生活へと突入は、しなかった。
定年直前まで、荷主管理をしていた貨物関連業務中に発生した業務
人材を輸送する荷主の仲介をする職務についていた
単純に言えば、大陸と言っても広いので
こちらの地域では希少な人材だけれども
あちらの地域には掃いて捨てるほどにいる人材という感じで
あまっている地域から足りない地域へと
人を移送する荷主というのが満州には存在していた。
法律すれすれの黒組織が必要とする人材から
正義感あふれる自警団が必要とする人材まで
そういった関係会社を統括する満鉄の事業部に在籍していた縁で
輸送した人材に関するデータを記録・整理するのが
日々の職務な子会社で働く事となった。
最初の職務は、民族主義が台頭していたため
一応、民族別に整理された台帳を作成する事だった。
ロシア革命で、新政権では差別される側に陥れられ
モスクワの政権側から逃れ満州へと来たロシアのスラブ民族
清国では優秀な官僚だったが
その代わりとなった新政権では差別される側に陥れられ
政権側から逃れ満州へと来た漢民族
それらに巻き込まれて一緒に満州へと流れついた朝鮮民族
とは言っても満鉄、および、その関連会社まで含めると
その人材データは膨大なもので
民族単位で大雑把に傾向をまとめたデータすらも巨大なものであった。
とはいえ、日々は続いていく
昭和10年代の前半である同時期に日本国内で職業野球が発足して
阪神、阪急などの関西私鉄が球団を保有して
スポーツ・ビジネスを開始した環境に我々の職務を例えると
野球をする適正のある人間を探すために
子会社で草野球をやって子会社や関係会社対抗で試合を開催
勝ち抜いて強くなったチームの4番ピッチャーを集めて
他の会社のチームと試合をさせて、成功選手と言えるような
才能のある選手がいたら、日本国内の職業野球チームへと
金銭トレードのような形で移籍させる。
そんな感じの職務を巨大化・多角化した企業グループ
および、日本国内の関連企業との間で職務遂行していた。
しかし、50歳も近くになる頃、沿線自治および警備の名目で
関係していた関東軍が我々の職務に介入してきた。
巨大な人材データの中から、軍に必要な人材データを提供しろ
一言で言えば、そんな内容の要請であった。
少しずつ色んな前例が積み重なり、その交渉にも歴史が出来上がり
民族主義がエスカレートして特有の黒い感情と、
張り詰めた緊張感が支配していく。
かつて自分が駅員として列車を送り出していた頃とは
また違う、重苦しい「管理」や「交渉」の仕事だった。
その一番、重苦しい「交渉」の極みのような武力衝突へと向けて、
確実に不穏な音を立てて狂い始めていた。
黄金の1920年代から世界大恐慌へと突入して
戦争景気で、その不景気を取り戻そうとする
一部の国の政治家の思惑も混じりだし
本格的な泥沼へと突入する気配を肌で感じ取りながら、
私は「引き際」を模索し始めていた。
そんな日々に追われる中、50歳、
半世紀を生きた自分の資産現況を確認した。
まず社員持株会のような制度を通じて買い続けた、満鉄の株式の評価額。
思い返せば、会社が設立された明治三十九年九月の第一回募集時、
私はわずかな給料からやり繰りして、その株を買い求めていた。
時の経過とともに満鉄の事業は拡大し、かつての株式の価値は、
当時の購入額から1077倍という途方もない膨張を見せていた。
「まさか……これほどの額になるとは」
おもわず、つぶやく、だが1929年にニューヨークで発生した
暗黒の木曜日のような破綻が起こるやもしれない
大正バブルの後、昭和恐慌が訪れた時のように
大陸経済繁栄は今が頂点であり、同時に凋落への序章でもある事は
驕る平家は久しからずと語られた時から、歴史によって語られている
この繁栄も、いつか崩壊するかもしれない。
1932年に満州国が建国され、満州中央銀行によって発行された
満州国円(満州中央銀行券)も、
今は日本円ブロックに組み込まれ、 1満州国円 = 1日本円で等価とはいえ
アメリカドルが、 明治の頃は1ドル=1円前後だったものが
世界大恐慌を過ぎた今は、1ドル=4.25円の円安になって
100ドルの商品を100円で買えたのが、
425円を払わないと買えなくなった時のようになるかもしれない。
そんな漠然とした不安を煽る言葉が心に繰り返される中
日中戦争が完全に泥沼化し、大陸全体が引き返せない暗雲に包まれる少し前、
家族を連れて日本本土へと帰国することを決意した。
満鉄株を一気に売り払い、手にした資金を抱えて引き揚げた私は、
日本国内で戦火に巻き込まれそうにない、
比較的安全な地方の土地や家屋――不動産を買いあさった。
日本国内へ帰還した私の手元に残っていたのは、
戦火の足音が忍び寄る不気味な静けさと家族、そして不動産だった。
遠く海を隔てた満州の空では、今日も社会人生活を捧げた巨大な鉄路が、
行き場を失った時代の重みを乗せて走り続けているのだろう。
日本国内の静かな自宅の縁側で
ふと、今は見る事が叶わなくなった地平線を、たまに思う。




