明治43年(1910)春
明治43年4月、大連駅の様相は一変していた。
「中村! 今日の国際連絡列車の切符は売り切れたぞ。
欧州行きの特等室は数ヶ月先まで満席だ」
同僚の叫び声に、私は駅長室の窓からプラットホームを見下ろした。
かつてはロシアの影におびえながら細々と運行していた満鉄は、
いまや世界へと直結する大動脈となっていた。
シベリア鉄道を経由すれば、
ここ大連からモスクワまでわずか十一日、ベルリンへは十三日、
そしてパリへも半月で到達できる。
世界の距離が一気に縮まったのだ。
時は流れ、1911年に清王朝を打倒する辛亥革命の砲声が大陸を揺るがすと、
日本国内および満州には空前の好景気が到来した。いわゆる「革命景気」である。
清王朝時代に栄華を誇った地域が革命で疲弊し、物資不足に陥ったことで、
日本から大量の物資が輸出された。港や駅構内は山のような貨物であふれ返り、
それを送る荷主たちは飛ぶ鳥を落す勢いで巨万の富を築いていった。
「中村さん、頼む! いいじゃないか、な!
わが社の貨物を優先して乗せてくれ!」
そう言って私に札束の入った封筒を差し出そうとしたのは、
大連で貿易商を営む成金の男、黒川だった。
数年前までは擦り切れた服を着て細々と荷馬車を引いていた男が、
今や派手なインバネスコートをまとい、金時計をジャラジャラと鳴らしている。
彼らは「対岸の火事」と笑いながら、
清王朝の悲劇をバネに驚異的な富を手に入れていた。
「黒川さん、気持ちはありがたいが、
我が社の荷主制度や貨物輸送での規則は規則です。
賄賂は受け取れません。
ましてや貨物の優先順位ルールを変える事は出来ません」
毅然と言うと、黒川は豪快に笑い声を上げた。
「ははは! 相変わらず堅物だな、中村さんは!
だが、その融通の効かないところが信用できる。
よし、この貨物が無事に南京や北京へ着いたら、
最高のワインをごちそうしようじゃないか!」
度重なる革命や政情変化に巻き込まれ
国際輸送は幾度となく混乱と緊張の渦に巻き込まれた。
赤軍と白軍の衝突、外国干渉軍の駐留、
そして治安の悪化により運悪くスラム化した地域で発生した
外国マフィアを真似た黒組織。
そんな人の命の値段が安く、
安全の値段が高い地域があるのが、わかっていても、
成金となって日本へと凱旋した荷主たちが、
更に同じように一旗あげようという山師のような荷主を呼び
一攫千金を夢見て、新しく荷主台帳へと名前を刻んでいく。
時代の喧騒のなかで革命の嵐が吹き荒れ、歴史が大きくうねる中、
発車ベルは鳴り響き、貨物列車は走り続ける。
大連から大陸各地へ続く鉄路の真ん中で、
時代が変わっていく中を。




