明治39年(1906)厳冬
明治39年、厳冬。大陸の冬は、容赦という言葉を知らなかった。
大連での慌ただしい秋が過ぎ、北へ進むにつれ、
風は肌を切り裂くような氷の刃へと変わっていった。
私が暮らすのは、線路脇に急造された職員用の宿泊官舎だった。
夜更け。石油ランプの微かな灯りが、
凍りついた窓ガラスの霜の結晶に反射して青白く揺れていた。
外の気温はゆうに氷点下数十度を下回っている。
驚くべきことに、板張りの壁と薄い天井しかな官舎の中も、外とほとんど変わらない寒さだった。
布団にもぐり込んでも、呼気が白く凍りつき、
枕元に置いた水差しの水は完全にカチカチの氷の塊になっている。
「おい、中村……生きているか?」
隣の部屋から、同僚のくぐもった声が聞こえた。
「ああ……足の感覚がない……」
寒さで体がこわばり、眠っているのか起きているのか分からない時間が続く。
北風が官舎の隙間風を鳴らし、まるで遠くで野獣が遠吠えしているかのような音が響き渡る。
日本から持ってきた綿布団だけでは到底防ぎきれない底冷えが、骨の髄まで染み入ってきた。
まだ周囲が深い闇に包まれた午前五時。
カンテラの鈍い光を頼りに、私たちは布団から這い出た。
「凍死する暇があったら、機関車の蒸気を上げろってか」
歯をガタガタ鳴らしながら、凍りついたタオルを力づくで引き剥がす。
顔を洗おうものなら、水滴が一瞬で氷の膜に変わるため、乾いた布で顔を拭うのがやっとだった。
厚手のフェルト靴を履き、何重もの防寒着を重ね着する。
ロシア式の分厚い外套を羽織り、耳あて付きの帽子を目深に被ると、
ようやく寒さに対する最低限の武装が完了する。
官舎の外へ一歩踏み出すと、そこは一面の銀世界だった。
息を吸い込むたびに肺の粘膜が凍るような痛みが走り、空気がガラスのように鋭く感じられる。
氷点下のプラットホームへ
「おはようございます!」
凍てつく朝の空気を切り裂くように、同僚たちと声を掛け合って駅構内へと向かう。
レールは極度の寒さで収縮し、一歩間違えば金属がパキリと割れそうなほどの緊張感が漂っている。
だが、そんな過酷な環境であっても、大陸の大動脈を動かす私たちの仕事に休止符はない。
まもなく、北の果てから凍りついた車体を揺らしながら、始発の列車が滑り込んでくる時間だ。
朝の定型作業が終わると、駅収台帳の確認作業を数人で分担して午前中で終わらせ
午後は荷主台帳の確認。
船で運んできた貨物や船で日本へ運ぶ貨物
「船で運ばれている間の責任は貨物船舶会社の責任で
鉄道で運んでいる間の責任は鉄道会社の責任
どちらの責任かが、わかるようにしなければ、ならない」
そんな感じの言葉から貨物担当課長が昼休み明けに演説するのを聞いて
後は、ひたすら荷主や、船舶会社が数量をごまかしてないかの確認
もしくは船舶会社の人間が、運送中の事故などを鉄道会社のせいに
しないかの確認などなど、人を見たら泥棒と想えという格言が
貨物担当の全員に染みついている。
なにより面倒なのは駅での仕事が無い休日の前日は
荷主接待の席に強制連行されるのが、きつくて嫌なのだが
上司命令は絶対なので誰も言い出せないのが当たり前だった。
そして夕方となり日が暮れると冷え込みだしてくる。
手袋の上からカイロを握りしめ、白煙を吐き出しながら、
氷点下のプラットホームでまっすぐに背筋を伸ばし遠くまで伸びる地平線を見た。
地平線なんて日本にいた頃は見た事すらなくて
珍しかったのだが、毎日、見ている内に当たり前な風景として慣れて
何も感じなくなっていく。不思議なものだ。




