08. 回想(ソフィア)
ソフィアが十歳の時に参加した王宮でのお茶会。
それは、王太子と年の近い高位貴族の子供たちが集められ、男児は将来の側近候補、女児は将来の王太子妃候補を選定するものだった。
その頃には既にダリウスに恋をしていたソフィアは、魔力を封印してお茶会に臨んでいた。
このお茶会よりも前から、ダリウスが参加する行事やお茶会に参加していたソフィアは、王室やダリウス本人からも好印象をもたれていた。
年齢や容姿、才能、家柄からして、王太子の婚約者の最有力候補といわれていた。
今回のお茶会でも、完璧な笑顔と所作で、他の令嬢を上回っていた。
魔力を使って自分の魔力を消し続けることも、初めはきつかったが、慣れてしまえば何でもないことのように思えた。
けれどもダリウスの婚約者に選ばれるまでは、決して気を抜くことはできない。
笑顔を保ちながらも、お茶会での婚約者候補同士の目に見えない駆け引きに少し疲れたソフィアは、お茶会の場をそっと離れて、一人になることができる場所へと向かった。
◇◇◇
賑やかなお茶会が開かれている中庭から少し離れた、王家専用の庭へとやってきたソフィア。
本来であれば王族しか入れない場所であるが、以前にダリウスから入ることを許可されていた。
「ふう、少しだけここで休ませてもらいましょう」
そう決めると、座れる場所を探して歩く。すると、どこからか泣き声が聞こえてきた。
声のする方向へと向かってみると、小さな男の子が、木の根元に座り込んで泣いていた。
膝を抱えて丸くなっているため顔は見えないが、年の頃は五、六歳ぐらいだろうか。
ソフィアは、静かに男の子に近づくと、同じ高さまでしゃがんでから声を掛けた。
「どうしたの? どこか痛いの?」
ソフィアの声にビクリと反応した男の子が、ゆっくりと顔をあげる。
その顔を見て、ソフィアは思わず声を上げそうになった。
男の子は、目元を包帯でぐるぐる巻きにされていたのだ。その上、巻かれた包帯には魔法文字で術式が書かれていた。
包帯に書かれた魔法文字の術式に、ソフィアは見覚えがあった。自身の魔力を封じる方法を調べている時に、図書館で見た学術書に記載されていた、魔力封じの術式だ。
魔力のコントロールがおぼつかない幼い子供に施すことがあると、本には書かれていた。
その術式が何重にも書かれた包帯。こんなにも魔力封じの術式がかけられているということは、この子供の魔力は相当の量なのではないだろうか。
そう思っていると、男の子が包帯を涙でにじませながら、返事をしてきた。
「……痛くない」
「そう、じゃあなんで泣いているのかしら?」
ソフィアの問いに、男の子は涙で声を詰まらせながらも、説明をしてくれた。
「目が覚めたら部屋の中に誰も居なくて、それで、他の部屋を探してみたんだ。でも、どこにも誰もいなくて……一人でお外に出ちゃいけないって言われてたけど、お庭に出たら、知らない子たちがいっぱいいて……クマさんを、とられて……」
そこまで言うと、そのことを思い出して悲しくなったのか、再び泣きはじめた。
「クマさん?」
「……クマのぬいぐるみで、僕のお友達……」
おそらく、お茶会に退屈した王太子の側近候補の男児たちが、この庭へ迷い込んできたのだろう。そして運悪くこの子は遭遇してしまい、退屈していた男児たちの、いい暇つぶしとして遊ばれてしまったのだ。
「ちょっと待っていて、お姉さんが見つけてきてあげる」
ソフィアは辺りを見回してみた。すでに男児たちはお茶会へ戻ってしまったのか、包帯の男の子以外には人の気配は感じられない。
男児たちの足跡が残っている場所をしばらく捜索してみると、草むらの中に投げ捨てられている、茶色いクマのぬいぐるみを見つけた。
そっと拾いあげ、包帯を巻いた男の子の元へと戻る。
「はい。いましたわ、あなたのクマさん」
ソフィアがぬいぐるみを差し出すと、男の子は喜び受け取った。
「僕のクマさん! ありがとうお姉さん!」
魔力封じで巻かれた包帯で、目は見えていないはずなのに、受け取る手元に迷いはなかった。
魔力で空間を正確に把握しているのだろう。何重にもかけられた魔力封じでさえも押さえられない魔力量を、おそらくこの子は持っている。
「あ……クマさん、手を怪我してる……」
そう言われて、渡したクマを見てみると、男児たちが乱暴に扱ったためか、片腕が取れかかっていた。
「クマさん……っ、ぐすっ」
男の子に巻かれた包帯が、再び湿り気を帯びてくる。
「大丈夫よ。お姉さんが治してあげるから、もう泣かないの」
「クマさん、治るの?」
「ええ、ちょっと待っていてね」
そう言って、男の子からぬいぐるみを預かってみたものの、手元に裁縫道具も何もない。――あったとしても、裁縫が大の苦手なソフィアにはどうすることもできなかったが。
「さて、どうすればいいのかしら?」
チラリと男の子を見ると、包帯の下の目が期待を持ってこちらを見ている気配が感じ取られた。
とにかく元に戻ればいいのだ。ということは、一瞬だけ魔力を開放して……。
そう考えたソフィアは、常に押さえつけている自身の魔力を、この瞬間だけ開放した。そして開放した魔力を、クマのぬいぐるみに向かって静かに流す。
すると、腕の取れかけていたぬいぐるみが、徐々に元の綺麗な姿へと戻っていった。
「ふぅ、できたわ」
そこには、汚れやほつれの一切無い、綺麗なクマのぬいぐるみがいた。
「あなたのクマさん、元気になったわよ」
そう言って、ぬいぐるみを男の子へと渡す。
「わあ! クマさん元気になった! お姉さんありがとう!」
男の子は受け取ったぬいぐるみを、再び大事そうに抱きしめた。
「どういたしまして」
男の子の喜ぶ姿を見てソフィアは、これでまたひとつ徳を積んだと微笑む。
王太子ダリウスの婚約者候補たちの間では、お互いを引きずり落とすための熾烈な争いが水面下で行われていた。
そんな中、名門公爵家の令嬢として、厳しい教育を受けてきたソフィアは、ライバルの足を引っ張るような卑怯なまねが、どうしてもできなかった。
それでも、なんとしてもダリウスの婚約者になりたいソフィアが考え出したのが、徳を積むことで王太子の婚約者へ近づくという戦略だ。公爵家の慈善事業に力を入れたり、孤児院で孤児たちに文字を教えてきた。
もちろん、いくら徳を積んだからといって、ダリウスの婚約者になれるとは限らないことを、ソフィアも理解していた。理解したうえで、誰も傷つけることのないこの行いを、密かに楽しんでいた。
「わたくし、そろそろ戻らないといけませんわ」
新たな徳を積めたことに満足したソフィアが、お茶会へ戻ろうと別れを告げると、男の子が聞いてきた。
「お姉さん、また会える?」
ソフィアは考えた。恐らくこの男の子は王族だ。それならば、二年後の魔力検査をソフィアがすり抜け、ダリウスの婚約者になれたのならば、この魔力持ちの子供が魔塔に入る前に、再び会えるはずだ。
「ええ、きっとまた会えるわ」
「本当? 良かった!」
「ふふ、その時にはあなたのお顔を、ちゃんと見せてちょうだいね」
魔力のコントロールができる年齢になれば、このぐるぐる巻きの魔法封じの包帯も解かれるはずだ。そう思ってソフィアが伝えると、男の子は悲しそうな声で。
「包帯、取れないかも……」
「あら、どうしてかしら?」
「……僕の目の色、紫色なんだけど、紫の目は不幸を呼ぶんだって……だから、お姉さんに見せちゃダメって、みんなから言われるかも……」
――紫の瞳――
シグネシア王国では大変珍しい瞳の色で、この国では昔から、紫の瞳を持つものは不幸を呼び寄せると言われ、忌み嫌われてきた。
けれども、公爵家の教育で数多くの書物を読んできたソフィアは、瞳の色ごときで人を区別することなどくだらないことだと、ばっさりと切り捨てる。
「あら、瞳の色なんて地域によって色々と違うのよ? シグネシアでは紫の瞳は珍しいかもしれないけれど、他の国では普通なところもあるのよ。わたくしが読んだ書物には、紫の瞳を持つ人たちがたくさん住んでいる国のことも書かれていたわ。その国では紫の瞳は普通の色よ。紫だからって不幸よ呼ぶのなら、とっくにその国は滅んでいるわよね? 瞳の色でそんなことを決めるなんて、くだらない迷信だわ」
こんな小さな子供に伝わるのか分からなかったが、ソフィアは思っていることを、はっきりと口にした。
「ぅ……っ……」
するとまたしても、男の子が泣き出した。目元の包帯も涙で滲みはじめる。
「……あなた、ちょっと泣き虫ではなくて?」
「う……っ、だって、お姉さんが、そんなこと言うから……」
泣きやむことが出来ない男の子。王族の中に不吉な瞳の色を持つ者がいること自体がタブーなのだ。恐らくそんなことを言われたのは初めてのことだったのだろう。
「大丈夫よ、大丈夫だから」
ソフィアは男の子の頭を優しくなでてあげた。
「魔力のコントロールができるようになれば、魔力封じの包帯も外せるようになるわ。だから、次に会った時には、ちゃんとお顔を見せてちょうだいね、未来の魔法使いさん」




