12.魔塔での日常
ユーディーンとの魔法訓練は、相変わらず暴走しまくり怒られまくりであるが、それ以外は平穏な日々が続いていた。
ソフィアの魔塔入りが正式に認められた後、王家から婚約解消が承認された。
ダリウスも、婚約者が魔塔入りしてしまったのだ。さすがに婚約解消を了承せざるをえなかっただろう。
そして王家は、体調が思わしくない国王の、その後の事を考えて、次の婚約者選定を急ぐはずだ。
ダリウスの思い人のメイベルは、家柄や能力的にも問題は無い。王太子妃教育の期間が短いことがネックにはなるだろうが、そこはダリウスが強く望めば、周りの反対も押さえられるだろう。
父と母とも魔塔で面会をすることができた。
魔塔に入る程の魔力持ちを輩出した場合、通常はその家の名誉として、盛大に祝われてから魔塔へと送り出される。
「十二歳の魔力検査の時に、ソフィアが魔力持ちだと分かっていれば、盛大に祝って送り出せたのだが……」
そう言って、父であるローレイン公爵は残念がった。
母は、ソフィアが魔力を隠してダリウスの婚約者になったことを、薄々気付いていたのだろう。
「今までよく頑張ったわね」
父には聞こえないところで、手を握ってそう言ってくれた。
◇◇◇
本当の魔塔の住人になったことで、ソフィアは部屋を与えられた。
客室にいた時は、掃除や洗濯、食事もすべてフロアの使用人がやってくれていたが、魔塔の住人になったので、身の回りのことは全部自分でやらないといけない。
元公爵令嬢のソフィアは、身の回りのことはすべて使用人がやってくれる人生を送ってきた。
けれども厳しい王太子妃教育を受けてきたのだ。努力をすれば、家事全般について、自分にも習得できると考えていた。
「……ソフィア、お前、本当に何にもできねーんだな」
ソフィアの新しい個室を覗きながら、ユーディーンが呟いた。
ソフィアの部屋が大変なことになっていると、同じフロアの住人から相談されたノヴァが、ユーディーンを伴って訪れたの。
部屋には衣類やシーツが散乱し、隅にはホコリも溜まっている。備え付けのキッチンには、洗われていない食器や調理道具が山積みになっていて、いわゆる汚部屋が出来あがっていた。
「ノヴァはともかく、なんでユーディーンまで来たのですか?」
汚部屋のキッチンスペースで、お玉を手にしたソフィアが尋ねる。
「フロアの住人から、ソフィア様が鍋で悪魔を召喚をしているという物騒な報告があったので、僕では手に負えないと判断してユーディーン様をお連れしました!」
「悔しいけれど、ノヴァのその判断は正しいですわね……」
「それで? なんで鍋から悪魔なんか召喚しようとしたんだ?」
ソフィアの肩越しに鍋をのぞき込みながら、ユーディーンが質問してきた。
「別に、好きで悪魔を召喚しようとしたわけではなくて、……シチューを作っていたら、なぜだか悪魔が出てきそうになっただけですわ……」
お玉で顔を隠しながら、決まり悪そうにソフィアが説明する。
「シチューを作っていて悪魔召喚……ソフィア様の魔法の才能が恐ろしい……」
ノヴァも、ユーディーンと一緒になって鍋を覗き込む。
「逆に凄いよなー、ノヴァ。魔塔の連中が、長年研究しても出来ないような事を、ただシチューを作ってるだけで出来ちまうなんてな?」
「本当にソフィア様の魔力は、凄いですよね~」
「二人とも、それ褒めていないですわよね……」
お玉を握りしめ、悔しそうな顔をするソフィア。
「あん時だって、ぬいぐるみを時間遡及魔法で元の状態に戻したんだ。普通はそんなことできねーし、考えもしねーよ」
「あら、では普通はどうやるのですか?」
「そうだな……」
ユーディーンは、顎に手をあてながら上を向いて、目を閉じた。
「……再生能力のある魔物の魂を用意して、それをぬいぐるみの中に入れて、中から再生させるとか?」
「ユーディーン様の考えることも、相当普通じゃないですよ……」
「そうか? じゃあノヴァならどうすんだ?」
「僕ですか? う~ん……僕の魔力量では直接ぬいぐるみを元には戻せないので、まずは道具を出しますね。魔法で針と糸を錬成して、それを使って手で縫います。僕、裁縫得意だし、そっちの方が早くて簡単です!」
「針と糸……」
針と糸に何故かソフィアが反応をする。
「どうした?」
「……わたくしが針と糸を使って、あのクマのぬいぐるみを縫っていたら、今頃この世にあのクマさんは存在していませんわ!」
「ソフィア、……お前、裁縫もダメなのかよ?」
「そうなのです、裁縫は本当に苦手ですの! ダリウス様に刺繍のハンカチを贈りたくても、その前にわたくしの手が傷だらけになるからと、王宮でも侍女たちに止められましたわ……」
「ほんと、生活力ねーんだな」
「そういうユーディーンはどうなんですの?」
「俺か? 俺は十歳から魔塔にいるし、大概のことは自分でできるぞ」
「くっ、負けましたわ、悔しい……」
お玉を手に落ち込むソフィア。そんなソフィアはいったん置いておくことにしたユーディーンは、汚部屋を見回した。
「とりあえず、この惨状をなんとかしねーとな」
「はい! 僕、生活魔法は得意なので、すぐに綺麗に出来ます!」
ノヴァはそう言うと、いそいそと魔法でホウキやはたきを作り出して、ソフィアの部屋を綺麗にして回った。ひととおり部屋を綺麗にし終わると、ユーディーンを残して管理業務へと戻って行った。
残された二人。
ソフィアはノヴァがまとめてくれた本を棚に戻していく。
一方のユーディーンは、ソフィアがなぜか悪魔召喚しかけた鍋の対応をしていた。鍋にかかった謎の召喚魔法を消去して、悪魔が出てこないように処置を終えると。
「これで普通の鍋に戻ったぞ」
そう言って見せられた鍋には、元はシチューだったらしい黒焦げの物体が残されていた。
「これは、もう、食べられませんわよね……わたくし本当にダメですわね……」
鍋を見つめてしょんぼりするソフィアに。
「まあ、元公爵令嬢だし、今まで侍女や使用人が何でもやってくれてたんだろ? そんならできねーのは当たり前だろ。掃除も洗濯も、これから覚えていけばいいんじゃねーの?」
「そう、なのでしょうか……?」
「ただし、料理だけは絶っ対にやめておけ。これは塔主命令だからな。魔塔でこれ以上物騒なもんを召喚されたら、たまったもんじゃねーし」
「うぅ、分かりましたわ……」
さすがに悪魔を召喚しかけたのだ、反論の余地もない。
けれども、自炊ができないとなると、食堂で食事を取る必要がある。
ここでもソフィアは問題を抱えていた。実はソフィアには、魔塔での友人が一人もいないのだ。
普通は十二歳で魔塔入りして、同年代同士で仲を深めていくところを、二十歳で魔塔入りしたソフィアにはそれができなかった。
そのうえ、規格外の魔力量の持ち主で、魔塔の塔主であるユーディーンの思い人。そんな人物に近づいてくる人はいなかった。
食堂でのぼっちごはん確定に暗くなっているソフィアに、ユーディーンは声を掛ける。
「俺が作ってやるよ。俺と一緒に食えばいい」
「え、ユーディーンとですか?」
「俺、料理得意だし。どーせ自分の分も作るし。そうだ、今から作ってやるよ。材料残ってるか?」
そう言って、ノヴァが綺麗にしてくれたキッチンで、残っている食材の確認をし始めた。
「ソフィアはあっちで待ってろ」
テーブルを指さして、座って待つようにと促すユーディーン。
手伝おうとしても、足手まといになることが目に見えているので、ソフィアはおとなしく言われたとおりに座って待つことにした。
しばらく待っていると、いい匂いのする皿が、テーブルの上へと並べられる。
「これは……もしかして、シチューでは?」
「そうだよ。シチュー、食べたかったんだろ?」
ほかほかと湯気の立った、美味しそうなシチューを目の前にして、こくこくと頷くソフィア。
ユーディーンは対面の席へと座ると、シチューをスプーンですくい、ソフィアの前に差し出してきた。
「え?」
「ん、口開けて」
「ユーディーン? 何を?」
「こういうことやりたかったんだよ、お願い、口開けて」
スプーンを片手に持つユーディーンに、紫の綺麗な瞳で見つめられる。口元には柔らかな笑みが浮かんでいる。そんな顔をして見つめられてしまうと、拒否なんかできない。何と言っても、このシチューを作ってくれた人からのお願いなのだ。
意を決したソフィアは、差し出されたスプーンを口に含んだ。
口の中に、優しいシチューの味が広がる。
「美味しい!」
「そりゃ良かった」
そう言って、その後もせっせとソフィアにシチューを食べさせるユーディーン。
シチューの皿が空になり、おなかが満たされて満足そうな顔をしているソフィアを、目を細めて幸せそうに見つめるユーディーン。
「凄いわ! ユーディーンは魔法だけでなく、料理の才能もありますのね!」
「好きな人に食べてもらいたくて、練習したからね」
さらりと告げられて、ソフィアは思わず顔が赤くなる。
顔の良いこの年下の男は、ソフィアを好きなことを少しも隠そうとせずに、臆面も無くそういう事を言ってくる。
見た目はしなやかな猫科の大型獣のようだが、愛情表現はストレートなワンコ系だ。
こうしてユーディーンは、ソフィアの専属ごはん係になった。
◇◇◇
食事のたびに魔塔の最上階を訪れるようになったソフィア。
「んー! 今日のごはんも、とっても美味しいですわ!」
ユーディーンが用意してくれた料理を食べながら、幸せいっぱいの表情を見せるソフィアに、ユーディーンは満足そうな顔をした。
「まだあるから、好きなだけ食えよ」
機嫌良く次の料理を用意するユーディーンだが、魔塔の塔主であるこの男がとても忙しいことを、ソフィアは知っている。
魔塔の塔主として、国中の魔法に関する仕事に関わっているのだ。会議や書類仕事も多いが、時には自ら魔物の討伐に出向くこともある。
そんな多忙な中でも、必ずソフィアとの食事の時間を作って、自らの手料理を振る舞ってくれている。
料理を作るユーディーンを見ながら、自分も何かユーディーンにしてあげたいとソフィアは思った。
――ユーディーンにしてあげられること。
魔法はいまだにユーディーンに教えられている立場だ。掃除、洗濯はノヴァに習っている最中で、とても人のものを何とかできるレベルではない。料理は塔主命令で禁止。刺繍……論外。
「わたくし、ほんとうに何もできない人間ですわね……」
「何だよ、急にどうしたんだよ?」
「魔法を教えてもらって、美味しいごはんを作ってもらって……ユーディーンからもらってばかりで申し訳がないのです! けれどもわたくしには、ユーディーンにしてあげられる事が何もありませんわ……」
王太子妃教育で学んできたことは、魔塔では役に立たない。
「五カ国語をマスターして、古今東西の書物を読んで知識を増やしてきましたけれど、ユーディーンにしてあげられることをわたくしは何も持っていないのです……わたしくは、なんて無力……」
落ち込むソフィアに。
「別に……俺はソフィアに何かしてもらいたいとか思ってねーし」
「それでも、わたくしもユーディーンのために何かしてあげたいのです! 何か出来ること……、あ! 一つだけありましたわ! わたくしの得意分野で、ユーディーンにしてあげられることが!」
◇◇◇
「……で、なんで俺が髪いじられてるわけ?」
ユーディーンを鏡台の前に座らせて、ソフィアは櫛で髪を梳かしていく。
「実はわたくし、髪を編むのが大の得意なのです!」
生活全般において不器用なソフィアだが、なぜか髪を編むのだけは昔から得意だった。
幼い頃から髪を編むことだけは、侍女に任せずに自分でやっていたソフィアだ。自分の髪だけでは飽き足らず、家族や使用人や仲の良い令嬢の髪を編ませてもらうこともあった。
探究心もあるので、書物で色々な国の独自の髪の編み方もマスターして、今では相当の腕前だ。
魔塔に来てからは髪をおろしたままだったので、その事をすっかり忘れていた。
「男性の髪を編み込むのは初めてですけれど、ユーディーンの髪はほどよい腰があるので、とても編みやすいわ」
機嫌良く、ユーディーンの青みがかった銀色の髪をとかして、器用に編み込んでいくソフィア。
「自分の髪を編むのは限界があるので、やっぱり人の髪を編むのは楽しいですわ」
久々に他人の髪をいじるのが楽しくて、鼻歌まで歌い出すソフィアを、鏡越しにぼんやりと見つめながら。
「そういや、人にこんなに髪を触られんの、初めてかも」
王宮では隔離され、早々に魔塔入りをして、一人で何でもやってきたのだ。ユーディーンはその事に気付くと同時に、髪に触れている相手が、好きな人なのだと自覚してしまう。
「……ちょっとユーディーン、何を赤くなってるのですか?」
ソフィアが鏡を見ると、そこには顔を赤くして照れているユーディーンがうつっていた。
「しょーがねーだろ、好きな女に髪いじられてるって思ったら、赤くもなるだろ!」
そんなことを言いながら、鏡越しに上目遣いで見てくるユーディーン。年下美形の上目遣いは、かなりの破壊力がある。思わずソフィアは。
「ス……ステイ!」
「なんだよ、また待たされんのかよ……」
引き続きの上目遣いで、寂しそうにそんなことを言ってくるユーディーン。どこからか『キューン』という、子犬の鳴き声が聞こえてきそうでさえある。
「ご、ごめんなさい……わたくしにも、心の準備というものがございますの……」
ソフィアの顔が赤くなる。
「そうか……ソフィアはこういうのに弱いのか」
ソフィアの弱点にすぐに気が付いたユーディーンは、後ろを振り向くと、紫の瞳を直接向けきた。
上目遣いで見つめながら、じっと待つユーディーンの姿に、思わずソフィアはその頭を撫でてしまう。
撫でられたユーディーンは、それは嬉しそうに目を細めた。
――見た目は高貴な猫科の大型獣なのに、仕草はわんこ系って、いったい何のバグですの!
ソフィアは心の中でそう叫びながらも、ユーディーンを前に向かせて、なんとか髪を編み上げた。
「で……、出来ましたわ!」
髪を編むのとは別の面での疲労を感じたソフィアだったが、完成した髪型は、ユーディーンの美しい顔を引き立てる見事な仕上がりだった。
鏡にうつる自分の姿を見てユーディーンは。
「自分から言うだけあって、さすがに上手いな」
こうしてソフィアは、ユーディーンの専属髪結い係になった。
◇◇◇
「最近のユーディーン様は、表情が豊かになりましたよね」
あの汚部屋騒動のあと、ソフィアは掃除や洗濯などの生活全般のやり方をノヴァから教えてもらっていた。もちろんユーディーンも同席の上で。
「あら、ユーディーンは最初から、表情がころころと変わる人でしたわよ?」
手元の洗濯物を畳みながらソフィアは言った。
「いえいえ、僕たち塔の住人の前ではいつも無表情で、孤高で近寄りがたい雰囲気でしたよ」
「ユーディーンが無表情? 孤高? 近寄りがたい? ……誰かと間違えているのではなくて?」
「なんでだよ。人前では塔主らしくする必要あるし、当たり前だろ?」
実力で勝ち取った塔主の地位であるが、まわりの立場のある者たちは年上ばかりだ。そのため周囲には固い態度をとり続けてきた。周囲もまた、そんなユーディーンに距離を置いていた。
そんな中でソフィアだけは、ユーディーンに普通に接していた。王太子妃教育のたまものなのかは不明だが、時にはユーディーンより上からものを言う事もある。
その影響なのか、最近のユーディーンは会議の席などでも、柔らかい表情を見せるようになった。
「えー、泣き虫だし、小言多いし、初恋の人を見つけるために国家レベルの魔法システム作るような、かなりの変わり者が?」
「ソフィアにだけは変わり者って言われたかねーよ! 誰もがうらやむ膨大な魔力を、自分の魔力を押さえつけるために全振りするようなクレイジーな奴にはな!」
そんな二人のやり取りを、ノヴァが生暖かい目で見守っていた。
◇◇◇
そうして季節がいくつか進んだ頃に、王太子の婚姻が発表された。
魔塔の掲示板にも貼り出された告知を見て、ソフィアは国王の体調がいよいよ悪くなったのだろうと推測した。今後の不測の事態に備えて、王家が動き出したのだ。ダリウスへの譲位を見据えての、このたびの婚姻なのだろう。
ソフィアとの婚約解消から約一年での、新しい婚約者との婚姻。
前婚約者のソフィアは、王太子の理想の婚約者として、国民からの支持を得ていた。魔力発現というしかたのない理由での婚約解消だったが、国民感情は複雑だろう。
前婚約者が優秀すぎたこともあり、メイベルという、急に出てきた新婚約者に対して、良い印象を持たない国民も多い。そんな婚約者との今回のスピード婚だ。歓迎ムード一色とは言い難い。
「これは、元婚約者として、一肌脱がないといけませんわね」




