57 『恋物語』
「えっ」
男が驚いたように顔を上げた。
艶めく漆黒の髪に、力強さを感じる真紅の瞳。
そして、端正な顔立ちをした男だった。
……同い年、くらいでしょうか……? でも……。
ラキシアや姉と変わらなさそうに見えるのに、不思議と大人びて見える。
それはその男が醸し出す、どこか落ち着きを感じさせる雰囲気からだろうか。
今まで関わってきた同年代の人たちとは、あきらかに何かが違う。
それに……。
……かっこいい……。
おもわず吸い込まれてしまいそうな真紅の瞳で、こちらを真っ直ぐに見つめてくる。
その姿がまるで、本に描かれている勇者様のようにかっこよくて——
……い、いけませんッ! じろじろ見ては失礼ですッ!
頭に浮かんだものを振り払って、ラキシアは恐る恐る尋ねた。
「あ、あの〜、大丈夫ですか??」
「へっ??」
目の前の男は、どこか戸惑っているように見えた。
「…………あっ、いや! えっと、その……」
そのたどたどしい言葉に、ラキシアは不安になる。
……もしかしてッ、何か事件に巻き込まれて怪我でもッ……!?
そして、ラキシアは相手に不安を与えないように、落ち着いた声で尋ねた。
「もしかして、怪我をされたんですか?」
「えっ」
ラキシアの問いかけに、男が声を漏らした。
……まずはお二人の状況を確認してッ、そして私にできることをッ!
「………………怪我??」
…………あ、あら??
男は首をかしげた。
ラキシアもつられてかしげそうになったが、ぐっと我慢する。……思ってた反応と違う。
その動揺を顔に出さないように、視線を男の横……今なお苦しそうな表情で横たわっている幼い少女に向けた。
「あっ、はい。そちらに横たわってる女の子なんですが……」
男は少女の方に視線を向ける。
「あ…………」
その横顔は、とても焦ってるように見えた。
絶対に、ただ事ではないはずだ。
ラキシアはもう一度、落ち着いた声でゆっくりと尋ねた。
「怪我ですか? それとも体調を崩されたとか?」
男の返答を待つ。
それによって、ラキシアが力になれるかがわか——
「あの!!」
「は、はい!」
男がガバッと立ち上がり、声をかけてきた。
けっこう大きな声だったので、こちらも驚いて大きな声で返事をしてしまった。
……び、びっくりしまし——
「水と食べ物! 何でもいいんで、持ってませんかッ!?」
「は、はい??」
…………いま、なんて……??
ラキシアは今度こそ、首をかしげるのを我慢できなかった。
「ぅ……ぅぅ…………」
少女が苦しそうに呻いていた。
「な!? ななな!? なんじゃこれはッ!?」
お弁当に入っていたパンを幼い少女が頬張っている。
「これも! それも! むぐッ! そして、ムシャムシャ……こっちも! ゴクンッ! どれも妾の心を満たしてくれる! なんと素晴らしいんじゃッ!!」
そんな少女を見ながら、ラキシアは微笑んだ。
ここまで美味しそうに食べてもらえると、作ってきた甲斐があるというもの。すごく嬉しい。
本当は、このお弁当は神様のために作ってきていたのだが……まぁ、こんなときもあるだろう。
……神様も、きっと許してくれますよねッ!
「どうぞ食べてください」
どこか遠慮してそうな男にも、声をかける。
「えっ、でも…………このままじゃ、あなたのが全部なくなりますよ?」
「私のことは気にしないでください。家もここから近いですし、いつでも食べられますから」
「そ、そうですか……じゃあ、お言葉に甘えて……」
「どうぞどうぞ」
「ほんとだ! 美味しい!」
「ふふ。ありがとうございます」
男の方も美味しそうに食べてくれた。
「だから言ったであろう? 素晴らしい!とな」
「あら?」
「……ん? わっ!? ぷっ……ん〜」
ラキシアは、少女の口元に付いたパン屑やソースをハンカチで拭く。
……ふふ、可愛らしい女の子ですッ。
「はい、綺麗になりましたよ」
「何から何まですみません」
男は申し訳なさそうに頭を下げてきた。
その姿を見て、ラキシアはこの男が悪い人ではないと確信した。
「いえいえ、気にしないでください。それに、小さな子の面倒を見るの、私大好きですから」
むしろ、すごくいい人なのではないかとも思った。
……声をかけてよかったですッ!
それから、二人といろんな話をした。
ご兄妹で遠いところから来たそうで、『じこしょうかい』や『らのべ』、『しょうせつ』など、知らない言葉を教えてもらった。
それがとても新鮮で楽しかった。
そして、二人がとても仲良しなのも伝わってきた。
途中で言い合いをしていたが、その姿がなんだか微笑ましくて、おもわず声を出して笑ってしまうくらいに。
「ちなみに、ラキシアは普段どんな小説を読むの?」
「どんな?ですか……えっと…………」
その質問に、一番好きな物語が頭をよぎった。
姉に呆れられるくらい何度も何度も読み返して、いつのまにか勇者様とお姫様の台詞をほぼ全部覚えてしまった大好きな本。
壮大な恋の物語。
「恋物語が……だ、大好きで…………すごく、ドキドキするっていうか……」
そんな物語を思い浮かべながら、ラキシアは答えた。
ただ、ラキシアの周りに好みが合う人はいない。
姉いわく、ほとんどの恋物語は展開がありきたりで、なおかつ都合が良すぎて現実的じゃないから、あんまり面白いと思えないのだそうだ。
……そ、そこがいいのにッ!
そもそも本を読む人自体、身近にほとんどいない。
ラキシアは、いろんな人に恋物語の素晴らしさを伝えたいのだが……。
……そういえば、先生からも不評でしたね、あの本……。
以前、先生にも大好きな本を見せたときに、渋い顔をしたのを思い出す。
……あんなに素敵なお話なの——
「恋物語、いいじゃん」
……えっ……。
「……ほ、本当ですか!?」
「う、うん」
つい声を上げてしまった。
まさか共感してもらえるとは。
……こ、この人ならッ、あの本も好きになってくれるでしょうかッ……?
そう思いながら、ラキシアは言葉を続ける。
「お姉ちゃん……姉には、夢を見過ぎってよく言われるんですけど…………でもやっぱり、本に書かれてる物語に、憧れるときが、あって……それに、いつかは…………いや、やっぱり、そのぉ……」
「ん?」
言葉にしてみたものの、なんだか恥ずかしくなって、どんどん尻すぼみになっていく。
すると——
「憧れる気持ち、わかるよ」
その言葉を聞いて、おもわずぐいっと前のめりになる。
「わかってくれますか!?」
「まぁ、ね……」
「私の周りには恋物語を読む人がいなくて、わかってくれる人がいてすごく嬉しいです!」
なんだか良き理解者を得たような気持ちになった。
そして嬉しいことに、今度らのべを読ませてもらえることになった。
そこにはいったいどんな物語が描かれているのか、今からとても楽しみだ。
そんなわくわくした思いを抱きながら、ふと空を見上げて——
「あっ、いけない!? もうこんな時間!!」
「ど、どうしたの?」
日の傾き具合からして、いつもなら白い像へのお祈りと薬草採取を済ませて、そろそろ家に帰る時間だ。
……お話が楽しくて、ついうっかりしてましたッ……や、薬草だけでも取りに行かないとッ…………神様ッ、ごめんなさいッ!
「えっと、薬草を取りに行かなくちゃいけなくて……すいません! 村まで案内するのもうちょっと待ってくれますか?」
心の中で神様に謝り、二人に事情を話して待ってもらうことにする。
……急がないとッ、お姉ちゃんにも心配かけちゃいますッ!
『お、遅かったわねッ……な、何してたのよッ』
姉の顔が頭をよぎった。
そして、二人にはこの場で待ってもらい、薬草を取りに行こうとする。
「じゃあ、ゆっくり休んでてください。十分くらいで戻ってきますので」
「わ、わかったよ……ラキシア、くれぐれも気を付けて」
とても心配そうな声だった。
それに、このやり取りは……。
ラキシアはおもわず聞き返す。
「気を付ける……ですか?」
「この辺って魔物が出るんでしょ? だから、心配で……」
「ぇ…………」
……うそッ、その言葉ッ……!?
ラキシアは目を見開く。
そしてすぐに、動揺を見抜かれないように穏やかな口調で答える。
「大丈夫ですよ。この辺の魔物は子供でも倒せるくらい弱いので。それに……」
「??」
「私、こう見えてけっこう強いんですよ?」
と、あの勝気なお姫様のように、腰の剣に触れながらほんのちょっとだけ不敵に笑って言った。
「ふふッ」
ラキシアは大急ぎで薬草を取りながら、おもわず微笑んだ。
『くれぐれも気を付けて』
『気を付ける……?』
『この辺って危険な魔物が出るだろ? だから、心配で……』
『大丈夫よ。この辺の魔物くらい問題ないわ。それに……』
『??』
『私、こう見えてけっこう強いのよ?』
どこか飄々として掴みどころがないけれど、ときおり心配そうな表情を見せる勇者様。
勝気な性格で何でも一人でやろうとする、人に頼るのが苦手なお姫様。
そんな二人の物語。
その物語の二人の台詞を思い浮かべる。
ラキシアのお気に入りのやりとりだ。
もちろん、他にも好きな台詞はあるのだが。
まさかその勇者様と同じようなことを言われてしまうとは。
少し運命的なものを感じてしまう。
それがなんだかおかしくて、ついつい物語のお姫様の真似をしてしまった。
……あ、でも……ちょっと驚かせてしまいましたね……。
『私、こう見えてけっこう強いんですよ?』
あのとき、アサヒは目を見開いていた。
当然だ。
誰でも、いきなりあんなことを言われたらびっくりするだろう。……気をつけないと。
……それにしても、アサヒさんとカサネちゃんかぁ。いい人たちで、本当によかったです。
ラキシアは思った。
もっと二人から、いろんな話が聞いてみたいと。
だから……。
……遠いところから来たのであれば、しばらく私たちの家に泊まっていってくれないでしょ——
ドス。ドス。ドス。
「…………ん??」
ドスッ。ドスッ。ドスッ。
「揺れて、る……?」
ドスッ! ドスッ! ドスッ!
「ッッ!!」
ドスッ!! ドスッ!! ドスッ!!
「違う!!」
……地震じゃない!! これはッ!!
そう遠くない場所……アサヒたちがいる方から聞こえてきた。
……ドスンッッ!!!!
「グギャーーーーーーッッ!!!」
「魔物ッ!!」
地面を揺るがす轟音と、禍々しい雄叫びが。
……アサヒさんッ!! カサネちゃんッ!!
「ッッ」
ドサッ!
そして、ラキシアは薬草などが入っている荷物を放り出して、走った。




