踏切
踏切があった。小さな踏切で、一日に何本も電車が通るわけではなかった。朝と夜に、少し本数が増える。昼間は、長い時間が空く。遮断機が下りている時間より、上がっている時間の方が、ずっと長い。
踏切の周りに、田んぼがあった。春は水が張られ、夏は緑になり、秋は黄色くなり、冬は枯れた。毎年そうだった。何十年も、そうだった。
踏切を渡る人は、色々だった。自転車で渡る人。歩いて渡る人。犬を連れた人。子供の手を引いた人。みんな、遮断機が上がるのを待って、渡った。急いでいる人も、ゆっくりの人も、踏切の前では同じだった。待つしかないから。
ある朝、一人の男が踏切の前に立った。スーツを着ていた。鞄を持っていた。会社に行く途中らしかった。遮断機が下りていた。男は立って待った。電車が通った。遮断機が上がった。男は渡らなかった。そのまま立っていた。また遮断機が下りた。また電車が通った。また上がった。男はまだいた。
三回目の電車が通って、遮断機が上がったとき、男は鞄を地面に置いた。しゃがんだ。顔を手で覆った。踏切の前で、しゃがんで、顔を覆っていた。
誰も来なかった。田んぼで、蛙が鳴いていた。電線で、鳥が一羽止まっていた。風が、少し吹いた。
男は立ち上がった。鞄を持った。遮断機が上がっているのを確認して、渡った。向こう側へ、歩いていった。振り返らなかった。
それから踏切は、また静かになった。昼間の、長い時間が続いた。田んぼに、風が渡った。電線の鳥が、飛んでいった。遮断機は、上がったままだった。何事もなかったように。でも地面に、鞄を置いた跡があった。砂が、少し押されていた。それだけが残っていた。
夕方、小学生が踏切を渡った。ランドセルを背負って、二人で喋りながら。遮断機が下りて、待って、上がって、渡った。地面の跡には、気づかなかった。気づかないまま、向こう側へ行った。笑い声が遠くなった。
夜、踏切に明かりがついた。遮断機が何度か、下りて、上がった。田んぼは暗かった。星が少し見えた。踏切は、ただそこにあった。朝の男のことを、覚えているわけでも、忘れているわけでもなく。ただ、あった。次の朝も、そこにある。
―終わり―




