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第一章 EP07 トントントン


翌日。


ヨシヒコとヤスは、再び花隈町に来ていた。


ヤス「ボス」

ボス「何だ」

ヤス「もうEP07ですよ」

ボス「朝から何の話をしている」

ヤス「普通なら、そろそろ犯人の目星くらいついてる頃です」

ボス「普通の事件ならな」

ヤス「この事件は普通じゃないですか」

ボス「被害者もヤス。相棒もヤス。犬もヤス。近所にもヤス。証言に出てくるのも昔のヤス。普通の事件として扱う方が無理がある」

ヤス「それはそうですね」

ボス「納得するな。捜査するぞ」


昨日の夜。

新開地のお好み焼き『元気』で、キミヤスが口にしていたという言葉が出た。


昔のヤス。

ローン山側。

コウゾウ。

花の絵。


どれも、キミヤスの死と直接つながっているようには見えない。

だが、無関係にしては、何度も顔を出しすぎていた。


ヤス「でも、昨日はかなり進みましたね」

ボス「そうだな」

ヤス「花の絵と、傘の男と、ボスが三杯飲んだこと」

ボス「最後の情報はいらない」

ヤス「一杯だけとは何だったんですか」

ボス「捜査上の表現だ」

ヤス「捜査上の表現で二杯増えるんですか」

ボス「増えたんじゃない。結果的に三杯で止まった」

ヤス「止まったことを評価する段階なんですね」


ヨシヒコは答えず、コウゾウの屋敷へ向かって歩いた。





磯辺コウゾウの屋敷は、前に来た時と同じように古びていた。


庭の土は少し乾いている。

昨日の雨の気配は、もう薄い。

犬小屋のそばで、犬のヤスが尻尾を振っていた。


犬のヤス「ワン」

ヤス「犬のヤス、元気ですね」

ボス「お前が犬に話しかけると、名前の整理が余計に難しくなる」

ヤス「でも、事件の重要参考犬ですよ」

ボス「参考犬という言葉はない」

ヤス「作りましょう」

ボス「作るな」


玄関を開けたコウゾウは、二人の顔を見るなり、露骨に嫌そうな顔をした。


コウゾウ「また来たんか」

ボス「聞きたいことがあります」

コウゾウ「昨日も聞いたじゃろうが」

ヤス「昨日は別件逮捕もありました」

コウゾウ「知らん」

ボス「トシユキさんは、薬物所持の疑いで逮捕されました」

コウゾウ「……あの馬鹿が」

ヤス「反応が早いですね」

コウゾウ「孫が馬鹿なのは、前から知っとる」

ボス「事件夜に、そのトシユキさんを見たという証言があります」

コウゾウ「知らん」

ボス「まだ何も聞いていません」

コウゾウ「聞かれても知らん」

ヤス「先回りで黙秘ですね」

ボス「黙秘というより、準備された逃げだ」


コウゾウは視線をそらした。

その目は、部屋の奥へ一瞬だけ動いた。


ヨシヒコは、それを見逃さなかった。


ボス「今日は、花の絵を見せてもらいます」

コウゾウ「花の絵?」

ヤス「コウゾウさんの部屋にあった、あの妙に明るい絵です」

コウゾウ「ただの絵じゃ」

ボス「ただの絵なら、問題ありません」

コウゾウ「見るだけならええ」

ボス「外します」

コウゾウ「それは取るなぁぁぁ!!」


部屋の空気が止まった。


ヤス「今の叫び方、ただの絵ではないですね」

ボス「そうだな」

コウゾウ「違う。違うんじゃ」

ヤス「何が違うんですか」

コウゾウ「それは……その、壁が傷む」

ボス「壁を心配する声量ではありませんでした」

ヤス「屋敷全体が傷むくらい叫んでました」

コウゾウ「黙れ」


ヨシヒコは、花の絵に近づいた。

古い額縁。

薄く変色した花の絵。

前に見た時は、何かを隠しているようには見えなかった。


だが、隠し事というものは、隠している場所より、隠している人間の顔に出る。


ボス「外すぞ」

コウゾウ「やめろ」

ボス「令状が必要なほどのものなら、そう言ってください」

コウゾウ「……」

ヤス「黙りましたね」

ボス「なら外す」


ヨシヒコは、額縁を持ち上げた。


壁には、小さなボタンがあった。


ヤス「出ましたね」

ボス「ああ」

ヤス「花の絵の裏にボタン。これはもう、あれですね」

ボス「あれとは何だ」

ヤス「地下通路です」

ボス「決めつけるな」

ヤス「でも、流れ的に」

ボス「流れで捜査するな」


それでも、ヨシヒコの口からは、妙な言葉が出た。


ボス「ぼたん おす。ここだよここ」

ヤス「では、ボタンをおします」


ヤスは、何のためらいもなくボタンを押した。


トントントン。


小さな音が、部屋の中に響いた。


何も起きなかった。


ヤス「……」

ボス「……」

コウゾウ「……」


もう一度、ヤスはボタンを押した。


トントントン。


隣の部屋で、カタン、と音がした。


ヤス「開きましたね」

ボス「ああ。何が開いたかは分からない」

ヤス「地下への階段ですかね」

ボス「その顔をするな。期待するな」

ヤス「してません」

ボス「している顔だ」


犬のヤスが、急に走り出した。


犬のヤス「ワン!」

ヤス「あ、犬のヤスが」

ボス「犬が先に動いたな」


二人は隣の部屋へ向かった。

コウゾウも、観念したように後をついてくる。


隣の部屋の床の隅から、小さな台がせり出していた。


その上には、犬用のエサ皿が置かれていた。


犬のヤス「ワン!」


犬のヤスは、当然のようにエサ皿の前に座った。


ヤス「……」

ボス「……」

コウゾウ「……」


ヤス「犬のご飯でした」

ボス「見れば分かる」

ヤス「地下通路ではありませんでした」

ボス「見れば分かる」

ヤス「捜査、進みました?」

ボス「少なくとも、この屋敷にはボタン式の犬用給餌装置があることは分かった」

ヤス「そこからですか」

コウゾウ「だから取るなと言ったんじゃ。ヤスの飯の時間が狂う」

ヤス「犬のヤスの方ですか」

コウゾウ「犬のヤスに決まっとる」

ボス「決まっていない。ここでは何も決まっていない」


犬のヤスは、まだ何も入っていない皿を見つめていた。

ヤスが気の毒そうにしゃがむ。


ヤス「空ですね」

コウゾウ「押す時間が早いんじゃ」

ボス「自動で出るんじゃないのか」

コウゾウ「皿だけ出る」

ヤス「餌は?」

コウゾウ「わしが入れる」

ボス「それは自動ではない」

ヤス「ただの皿置き場ですね」

コウゾウ「うるさい。昔は便利じゃったんじゃ」

ボス「昔は、ですか」


ヨシヒコは、その言葉に反応した。


昔。

この屋敷では、何度もその言葉が出る。

昔のヤス。

昔の金貸し。

昔の帳簿。

昔は便利だったボタン。


役に立たなくなった仕掛けほど、残っている理由がある。


ボス「コウゾウさん」

コウゾウ「何じゃ」

ボス「このボタンは、最初から犬のために作ったものですか」

コウゾウ「そうじゃ」

ボス「いつから」

コウゾウ「忘れた」

ヤス「また忘れましたね」

ボス「便利な忘れ方だ」

コウゾウ「年寄りは忘れる」

ボス「都合の悪いものから順に忘れる人間もいます」


コウゾウは黙った。


ヨシヒコは、エサ皿の台座に目を落とした。

古い。

かなり古い。

犬用にしては、妙にしっかりした作りだった。


ヤス「ボス、何かあります?」

ボス「今のところは、何もない」

ヤス「本当に何もないんですか」

ボス「何もないことを、確認している」

ヤス「それ、進んでるんですか」

ボス「進んでいないように見える時ほど、余計なものを見る」


ヨシヒコは手帳を開き、鉛筆の芯を舐めた。


花の絵。

ボタン。

犬のヤス。

皿だけ出る仕掛け。

コウゾウは、絵ではなくボタンを止めた。


短く、そう書いた。


ヤス「ボス」

ボス「何だ」

ヤス「結局、地下迷路はありませんでしたね」

ボス「あってたまるか」

ヤス「ちょっと期待してませんでした?」

ボス「していない」

ヤス「でも、さっき『ぼたん おす』って言いました」

ボス「あれは、捜査上の確認だ」

ヤス「捜査上の確認で、急にひらがなになるんですか」

ボス「なる時もある」


犬のヤスが、空の皿の前で小さく鳴いた。


犬のヤス「ワン」

コウゾウ「待っとれ。今やる」


コウゾウは、台所の方へ歩いていった。

その背中は、さっきまでより少し小さく見えた。


ヤス「追います?」

ボス「追わない」

ヤス「いいんですか」

ボス「逃げるなら、もっと前に逃げている」

ヤス「じゃあ、どうします?」

ボス「捜査本部に戻る」

ヤス「急に現代の捜査ですか」

ボス「人を呼ぶ」

ヤス「誰を?」

ボス「ヤスを」

ヤス「多すぎます」

ボス「分かっている。だから、呼ぶんだ」


ヤスは少しだけ嫌そうな顔をした。


ヤス「またヤスだらけになるんですね」

ボス「もうなっている」

ヤス「じゃあ、これ以上増やさない努力を」

ボス「事件は努力では減らない」


部屋の隅で、犬のヤスがようやく餌をもらっていた。

カリカリと乾いた音がする。


ヤス「ボス」

ボス「今度は何だ」

ヤス「EP07、捜査進みました?」

ボス「進んだ」

ヤス「どこがですか」

ボス「地下迷路がないことが分かった」

ヤス「またそこですか」

ボス「それと、コウゾウは花の絵を怖がったんじゃない」

ヤス「え?」

ボス「ボタンを押されることを怖がった」

ヤス「でも、出てきたのはエサ皿ですよ」

ボス「だから妙なんだ。あれが本当に犬の飯だけなら、あそこまで叫ぶ必要はない」

ヤス「じゃあ、別の意味がある?」

ボス「あるか、あったか。少なくとも、コウゾウは何かを思い出した」


コウゾウは、犬のヤスの頭を撫でていた。

その手は、少し震えていた。


その時、ヤスの端末が鳴った。


ヤス「捜査本部からです」


ヤスは画面を確認した。


ヤス「コウゾウさんの屋敷に昔出入りしていた人物が、一人浮かびました」

ボス「誰だ」

ヤス「小宮末広。元警備員です」

ボス「小宮末広……コミヤスエヒロか。またヤスだな」

ヤス「またヤスです」

ボス「この事件、終わる気があるのか」

ヤス「それ、僕の台詞です」


ヨシヒコは、もう一度だけ花の絵を見た。


絵の裏には、ただボタンがあった。

ボタンの先には、地下迷路ではなく、犬のエサ皿があった。


それでも、コウゾウは大声で叫んだ。


釣られて、ヨシヒコも叫んでしまった。


ボス「あたたたたーっ!」


しかし、なにもおこらなかった!


ヨシヒコは、しばらく黙った。


なんで叫んでしまったんだろう。

意味はない。

ただ、叫びたくなった。




ならば、隠されていたのは仕掛けではない。

その仕掛けを知っている人間の方だった。




次に呼ぶべき名前は、もう決まっていたがなんとなく電話がしたくなって電話をしてしまった。


何故か指が、勝手に番号を押す。



0、0、0、0、0、0、0、0、0、0。



呼び出し音は、一度も鳴らなかった。



すぐに、女の子の声が聞こえた。



みかちゃん「こちら、みかちゃん。おでんわありがとう」

みかちゃん「私、ヤスって人が犯人だと思うな」



コミヤスエヒロ。


通称、ヤス。


電話番号はまだわかってない。

次回、第一章 EP08「呼んでない」。

呼んでいないものほど、なぜか来ます。

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