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第一章 EP05 逮捕!

取調室には、今度こそ本当に話を聞くべき相手が座っていた。


康三郎。

花隈町の古い住人。

近所では、ヤス三郎と呼ばれている老人だった。


ヤス三郎「なんや、また警察か」

ボス「康三郎さんですね」

ヤス三郎「このへんじゃ、ヤス三郎で通っとる」

ヤス「またヤスだ」

ボス「今回はそれでいい」

ヤス「いいんですか」

ボス「本人がそう呼ばれているならな」

ヤス「僕も本人がヤスです」

ボス「今はお前の話をしていない」


ヤス三郎は、古びた上着の袖を引っ張りながら、椅子に座り直した。

取調室の蛍光灯が、白髪の上に淡く落ちている。


ボス「佐々木キミヤスさんのことを聞きたい」

ヤス三郎「キミヤスか」

ボス「近所では、ヤスと呼ばれていた」

ヤス三郎「そらそうや。ここらは、ヤスが多い」

ヤス「多すぎます」

ボス「分かっている」


ヤス三郎は、少しだけ口元をゆがめた。

笑ったようにも見えたが、目は笑っていなかった。


ヤス三郎「あいつは、あんまり好かれとらんかった」

ボス「理由は」

ヤス三郎「金や」

ヤス「また金ですか」

ヤス三郎「この町で揉める理由なんか、だいたい金か女か昔の話や」

ボス「今回は、どれだ」

ヤス三郎「全部、少しずつやな」


ヨシヒコは、手帳を開いた。


ボス「キミヤスさんは、コウゾウさんと揉めていた」

ヤス三郎「揉めとったな」

ボス「内容は」

ヤス三郎「古い借りや」

ボス「ローン山側のことか」

ヤス三郎の顔から、ほんの少しだけ色が消えた。


ヤス三郎「その名前を、どこで聞いた」

ボス「コウゾウさんの部屋に、古いマッチ箱があった」

ヤス三郎「そうか」

ヤス「ローン山側って、そんなにまずい名前なんですか」

ヤス三郎「まずいというか、古い」

ボス「古いだけなら、誰も隠さない」

ヤス三郎「……せやな」


ヤス三郎は、しばらく黙った。

取調室の外から、誰かの足音が遠く聞こえる。


ヤス三郎「あそこは、昔の金貸しや。表向きはな」

ボス「表向き?」

ヤス三郎「帳簿が二つあったいう話や」

ヤス「二つ?」

ヤス三郎「見せる帳簿と、見せたらあかん帳簿や」

ボス「コウゾウさんは、そこにいた」

ヤス三郎「社長やない。使い走りや。帳簿を運んだり、紙を揃えたり、金を数えたりしとった」

ヤス「雑用ですね」

ヤス三郎「雑用ほど、いらんもんを見とる」


その言葉に、ヨシヒコはペンを止めた。


ボス「キミヤスさんは、その帳簿を探していた?」

ヤス三郎「そう聞いた」

ボス「誰から」

ヤス三郎「本人や」

ヤス「キミヤスさんから?」

ヤス三郎「ああ。少し前、酒臭い息で言うとったわ。『昔のヤスを掘り返したら、金になる』とか何とか」

ヤス「昔のヤス?」

ボス「誰のことだ」

ヤス三郎「知らん。聞いても笑っとっただけや」

ヤス「昔のヤスって、もう情報量がすごいのかゼロなのか分かりませんね」

ボス「今は、少しある」


ヨシヒコは、手帳に書いた。


古いヤス。


紙片の一文字と、嫌な形でつながる言葉だった。


ボス「事件の夜、何か見たか」

ヤス三郎「雨が降っとった」

ボス「それは知っている」

ヤス三郎「犬が吠えとった」

ヤス「犬のヤスですか」

ヤス三郎「犬のヤスや」

ボス「時間は」

ヤス三郎「夜中や。詳しい時間までは知らん」

ボス「誰かを見たか」

ヤス三郎「若い男を見た気がする」

ヤス「若い男?」

ヤス三郎「雨の中、ビルの方から新開地の方へ歩いていった」

ボス「顔は」

ヤス三郎「よう見えん。けど、歩き方に見覚えがあった」

ボス「誰だ」

ヤス三郎「コウゾウの孫や」

ヤス「孫?」



ヤス三郎「磯辺トシユキ、だったかのぅ」



新しい名前が出た。


ヤス「トシユキさんは、コウゾウさんの孫なんですね」

ヤス三郎「ああ。ろくでもない孫や」

ボス「どこにいる」

ヤス三郎「新開地や」

ボス「新開地?」

ヤス三郎「あいつは、だいたい新開地のパチンコ屋でスロット打っとる」

ヤス「だいたいで居場所が割れる人生、嫌ですね」

ボス「店は分かるか」

ヤス三郎「分かる。あの音のやかましい店や」

ヤス「新開地で、音のやかましいパチンコ屋って絞れます?」

ヤス三郎「絞れる。いちばんやかましい」

ボス「案内はいらない。店名を言ってくれ」


ヤス三郎は、少し考えてから、店名を言った。

ヨシヒコはそれを手帳に書き込む。


ボス「トシユキさんが、事件と関係していると思うか」

ヤス三郎「知らん」

ボス「知らない?」

ヤス三郎「わしは見ただけや。殺したかどうかは知らん」

ヤス「でも、事件の夜に現場近くにいた」

ヤス三郎「いたように見えた」

ボス「その程度か」

ヤス三郎「老人の夜目に、どこまで期待しとる」

ヤス「急に正論ですね」


ヨシヒコは手帳を閉じた。


ボス「新開地に行くぞ」

ヤス「はい」

ヤス三郎「気をつけえ」

ボス「何に」

ヤス三郎「トシユキは逃げ足だけは速い」

ヤス「それ、だいぶ重要な情報では?」







新開地のパチンコ屋は、昼間から音で満ちていた。


光る台。

回る数字。

揃いそうで揃わない絵柄。

負けているはずなのに、勝っている顔をしている客たち。

ボス「平成か。いや、なんでもない」

ヤス「今、何にツッコんだんですか」

ボス「分からん」


ヤス「ここ、事件現場より怖くないですか」

ボス「音量の話なら同意する」


入口をくぐった瞬間、ヨシヒコはふと足を止めた。


ボス「この音、判断力を削るな」

ヤス「ボス、少し楽しそうですよ」

ボス「削られていない」

ボス「捜査中だ」

ヤス「自分に言い聞かせるみたいに言わないでください」


ヨシヒコは、店内の光から目をそらした。


ボス「トシユキを探すぞ」

ヤス「はい。パチスロに吸い込まれないでくださいね」

ボス「吸い込まれない」


店員に警察手帳を見せると、磯辺トシユキの名はすぐに出た。


店員「トシユキさんなら、さっきまであの台にいましたよ」

ボス「常連か」

店員「常連というか、ほぼ備品です」

ヤス「人を備品扱いしないでください」

店員「毎日いるので」

ボス「備品ではない」

ヤス「でも、少し分かります」


トシユキが打っていたという台の前に行くと、椅子の下に小さなバッグが置かれていた。


ヤス「忘れ物ですかね」

ボス「勝手に触るな」

ヤス「警察っぽいこと言いましたね」

ボス「警察だ」


店員が顔をしかめた。


店員「実は、それを見つけて声をかけようと思ったんですけど」

ボス「本人は」

店員「急にいなくなりました」

ヤス「逃げましたね」

ボス「まだ決めつけるな」

店員「忘れ物として保管しようと思って、中を少しだけ確認したんです」

ボス「身元確認か」

店員「はい。財布に身分証が入っていて、磯辺トシユキさんのものだと分かりました」

ヤス「それで本人に声をかけようとした」

店員「はい。ただ、その横に透明な小袋が見えて……怖くなって、そのまま触らずに置いてあります」


ヨシヒコの目つきが変わった。


ボス「そのままにしてあるな」

店員「はい」

ボス「誰も触るな。応援を呼ぶ」

ヤス「殺人事件の容疑者候補を追ってきたら、別件っぽくなりましたね」

ボス「言うな」

ヤス「でも、なりました」

ボス「言うなと言った」


その時だった。


通路の向こうから、若い男がこちらを見た。

痩せた体。

派手な上着。

雨でもないのに、落ち着きのない目。


男は一瞬、こちらと目が合った。


そして、走った。


ヤス「あ、逃げました」

ボス「追うぞ」


トシユキは、店内の通路を抜けようとした。

しかし、パチンコ屋の通路はまっすぐなようで、意外と曲がりくねっている。

しかも人が多い。

さらに音がうるさい。


トシユキ「無理無理無理無理!」


ヤス「逃げ足だけは速いって、本当でしたね」

ボス「感心するな」



ヨシヒコはトシユキの進路を見て、出口側へ回り込んだ。

ヤスは反対側から追う。


トシユキは景品カウンターの前で足を滑らせた。

床に散らばった玉を踏んだのだった。


トシユキ「うわっ!」


派手な上着の男が、あっさり転んだ。


ヤス「パチンコ玉って、こういう使い道もあるんですね」

ボス「2036年だよな?」


ヨシヒコは、倒れた男の腕を押さえた。


ボス「磯辺トシユキだな」

トシユキ「ちゃう」

ヤス「では、あのバッグは誰のものですか」

トシユキ「俺のや!」


ヤス「本人確認、取れましたね」

ボス「取れたな」

トシユキ「え?」


バッグの中には、身分証と、薬物らしき小袋が入っていた。

確認のため、応援の警察官が呼ばれた。


トシユキ「ちゃうねん」

ボス「何が違う」

トシユキ「それは、俺のやけど、俺のちゃう」

ヤス「今、かなり高度なことを言いましたね」

ボス「高度ではない。破綻している」


挿絵(By みてみん)


トシユキは、登場して数分で別件逮捕された。





パチンコ屋の前に出ると、店内の音が少し遠くなった。

それだけで、ようやく人の声が聞こえる気がした。


ヤス「ボス」

ボス「何だ」

ヤス「逮捕しましたね」

ボス「別件だ」

ヤス「タイトル回収ですね」

ボス「事件を回収しろ」

ヤス「容疑者が一人増えたと思ったら、別件で減りました」

ボス「減ってはいない。ややこしくなっただけだ」


ヨシヒコは、新開地の通りを見た。

派手な看板。

昼間から開いている店。

どこか湿った路地。


この町には、事件と関係ない悪さも多すぎる。


ヤス「どうします?」

ボス「コウゾウに聞く」

ヤス「トシユキのことを?」

ボス「それもある」

ヤス「他には」

ボス「ローン山側。古いヤス。キミヤスが探していた名前」

ヤス「コウゾウさん、また黙りそうですね」

ボス「黙るなら、黙る理由を聞く」


事件は、解決していない。


ただ、また一人、別の罪で捕まっただけだった。


ヨシヒコは、花隈町の方へ歩き出そうとして、ふと足を止めた。


新開地の空は、もう夕方の色に変わっていた。


ボス「……今日はここまでだな」

ヤス「コウゾウのところへ行くんじゃないんですか」

ボス「明日だ」

ヤス「急に人間らしい判断ですね」

ボス「せっかく新開地に来たんだ。一杯だけ飲んでいくぞ」

ヤス「一杯だけで済むんですか」

ボス「済む」

ヤス「その返事がもう信用できません」


二人は、新開地の路地へ歩き出した。

次回、第一章 EP06「一杯だけ」。

刑事ものにおける「一杯だけ」は、だいたい一杯で終わりません。

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