第一章 EP03 ヤス、容疑者になる
コウゾウとの話も一通り終わり、一度神戸県警に戻って、報告書と鑑識資料に追われているうちに、時計は昼前を指していた。
取調室には、真野ヤスヒロが座っている。
ヤス「ボス」
ボス「何だ」
ヤス「僕、こっち側で合ってます?」
ボス「手続き上はな」
ヤス「嫌な手続きですね」
ボス「床の紙片に、ヤスと書いてあった」
ヤス「僕もヤスヒロです」
ボス「今、それを言う必要はない」
ヤス「でも、言わないと後で不利になりそうで」
ボス「自分で不利にするな」
ヤスは、取調室の壁を見た。
何もない壁だった。
ただ、何もないからこそ、余計に取調室らしい。
ヤス「まさか本当に疑ってます?」
ボス「疑ってはいない」
ヤス「じゃあ、これは何ですか」
ボス「確認だ」
ヤス「容疑者の席で確認されてます」
ボス「椅子に罪はない」
ヤス「座らされる側にはあります」
ヨシヒコは机の上に資料を並べた。
佐々木キミヤス。現場の紙片。ローン山側。磯辺コウゾウ。そして、真野ヤスヒロ。
ボス「現時点で、ヤスという名前に該当する人物は多い」
ヤス「多すぎるんですよ」
ボス「被害者のキミヤス。通称ヤス」
ヤス「はい」
ボス「相棒の真野ヤスヒロ。通称ヤス」
ヤス「僕ですね」
ボス「犬のヤス」
ヤス「犬ですね」
ボス「康三郎。通称ヤス三郎」
ヤス「老人ですね」
ボス「みかちゃん電話の証言。ヤスが犯人」
ヤス「証言って言っていいんですか、あれ」
ボス「言わないと話が進まない」
ヤス「ひどい捜査ですね」
取調室の扉が開いた。
顔を出したのは、廊下にいた別の刑事だった。
名札には、『ヤス田』とある!!
ヤス田「鈴木さん、鑑識から追加資料です」
ヤス「またヤスだ」
ボス「名字だ。気にするな」
ヤス田「何の話です?」
ボス「気にするな。ヤス田ご苦労だったな。感謝する」
ヤス田刑事は資料を置くと、部屋の隅に一歩下がった。
ボス「ヤス」
ヤス「はい」
ボス「誰かに言えと言われてるような気がして言わないと気がすまないんだが」
ヤス「はい」
ボス「肩に蝶のアザはあるか」
ヤス「ありません。どうして僕に肩の蝶のアザがあると思ったんですか、ボス」
ボス「本当に?」
ヤス「何で疑いが深まったんですか」
取調室に、妙な沈黙が落ちた。
ヨシヒコは資料を見た。
何も書かれていない余白が、やけに白く見える。
その時だった。
ヨシヒコの頭の中に、ありもしない文字が浮かんだ。
なにか とれ>ふく
ヨシヒコ(なんなんだ。何故か、上着を確認しなければならない気がする)
ヤス「何言ってるんですか?」
なにか とれ>ふく
なにか とれ>ふく
ヤス「……」
なにか とれ>ふく
ヤス「ボス」
ボス「何だ」
ヤス「今、何か選びました?」
ボス「選んでいない」
ヤス「目がコマンドを選んでました」
ボス「そんな目はない」
ヤス「あります。刑事生活で一番嫌な目でした」
ヤス田刑事が、一瞬こちらを覗いたと思ったが気のせいにしておこう
ヤス田刑事は資料を置くと、部屋の隅に一歩下がった。
ヤス「乗らないでください」
ボス「真野」
ヤス「嫌です」
ボス「まだ何も言っていない」
ヤス「言う前から嫌です」
ボス「上着を」
ヤス「ほら言った!」
ヤスは椅子ごと後ろへ下がった。
椅子の足が、ぎぎ、と嫌な音を立てる。
ヤス「ボス、これ普通に問題になりますよ」
ボス「捜査上の確認だ」
ヤス「肩に蝶のアザがある気がしただけですよね」
ボス「気がしただけではない」
ヤス「じゃあ何なんですか」
ボス「誰かが、ふくをとれと叫ぶんだ」
ヤス「幻聴の方向で処理しますよ」
ボス「違う。もっと古い何かだ」
ヤス「余計に怖いです」
ヤス田刑事は、別資料を持ってきたが一歩下がった。
関わると危ない、と顔に書いてある。
ボス「真野、上着だけでいい」
ヤス「だけでいい、じゃないんですよ」
ボス「潔白を証明できる」
ヤス「僕の潔白は肩で決まるんですか」
ボス「少なくとも、蝶では決まらない」
ヤス「じゃあ見なくていいでしょう!」
その時、取調室の扉がもう一度開いた。
今度は、課長だった。
課長「何をしている」
ボス「捜査です」
ヤス「違います」
ヤス田「私は資料を届けに来ただけです」
課長「真野、なぜ椅子ごと下がっている」
ヤス「身の危険を感じたので」
課長「鈴木」
ボス「誤解です」
課長「まだ何も言っていない」
ヤス「でも、大体合ってます」
課長は、机の上の資料を見た。
それから、ヨシヒコを見た。
さらに、ヤスを見た。
最後に、もう一度ヨシヒコを見た。
課長「紙片にヤスと書いてあったから、真野を取調室に座らせた」
ボス「手続き上です」
課長「その流れで、肩のアザを確認しようとした」
ボス「確認しかけただけです」
ヤス「しかけました」
課長「鈴木」
ボス「はい」
課長「お前が確認される側に回れ」
ヨシヒコは黙った。
ヤスは、ゆっくりと立ち上がった。
ヤス「ボス」
ボス「何だ」
ヤス「僕、そっち側に戻っていいですか」
ボス「……戻れ」
ヤス「ありがとうございます」
ヤスは、取調室の出入口へ移動した。
さっきまで自分が座っていた椅子を見て、少しだけ胸を撫で下ろす。
ヤス「ボス、起訴処分です」
ボス「起訴は検察の仕事だ」
ヤス「じゃあ、検察に回します」
ボス「やめろ」
ヤス「少なくとも僕の中では有罪です」
ボス「何罪だ」
ヤス「コマンド暴発罪です」
ボス「コマンドが悪い」
ヤス「人のせいにしないでください」
こうして、ヤスの取調べは終わった。
代わりに、ボスの事情聴取が始まった。
次回、第一章 EP04「不起訴の男」。
容疑者がヤスなら、次に出てくる男もだいたい面倒です。




