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第三章 EP11 犯人アヤス


取調室。


アヤスは、黒い服のまま座っていた。


細いサングラスは、机の上に置かれていた。


ボスは、その向かいに座った。


ヤスは、壁際に立っていた。


安藤は、扉のそばにいた。


誰も、すぐには話さなかった。


取調室の時計だけが、音を立てていた。


ボス「アヤス」

アヤス「はい」


ボス「十年前の夜、お前はニュー・ヤスダに行ったな」


アヤスは、うなずいた。


アヤス「行きました」

ボス「何時だ」



アヤス「二十三時ごろです」



ボス「なぜ行った」


アヤスは、すぐには答えなかった。


ボス「紀之に呼ばれたのか」

アヤス「いいえ」


ボス「では、なぜだ」


アヤス「会うことになっていました」

ボス「誰と」


アヤス「紀之さんと」


ボス「何のために」

アヤスは、机の上のサングラスを見た。


アヤス「脅されていました」


ヤスは、何も言わなかった。


ボス「何でだ」


アヤス「競馬です」

ボス「競馬」

アヤス「はい」


ボス「金か」


アヤス「金ではありません」

ボス「紀之は借金をしていた」

アヤス「知っています」

ボス「なら金だろう」


アヤス「違います」


アヤスは、顔を上げた。


アヤス「あの人は、当てたかったんじゃありません」

ボス「何だと」

アヤス「当たるようにしたかったんです」


取調室が、少しだけ静かになった。





ボス「八百長か」


アヤス「そう呼ぶなら、そうです」

ボス「お前は関わったのか」


アヤスは、目を伏せた。


アヤス「一度だけ」

ボス「一度だけ」

アヤス「はい」


ボス「いつだ」


アヤス「十二年前です」

ボス「紀之と?」


アヤス「紀之さんは、そこにいました」

ボス「答えになっていない」


アヤス「私が悪いんです」

ボス「誰が悪いかは聞いていない」


アヤスは、唇を結んだ。

ボス「何をした」


アヤス「負けさせました」


ボス「誰を」


アヤス「ヤオヤノヤスです」


ボス「……馬の名前か」


アヤス「はい」


ボス「ふざけているのか」


アヤス「ふざけていません」


アヤスは、顔を上げた。


アヤス「あの子の名前です」


ボス「ヤオヤノヤス」


アヤス「はい」


ボス「一番人気だったのか」


アヤス「はい」


ボス「勝つはずだった」


アヤス「はい」


ボス「それを負けさせた」


アヤス「はい」


安藤が、端末を開いた。


安藤「ヤスード改」


ヤスード改『はい。ヤスード改です』


安藤「競走馬、ヤオヤノヤスを照合」


ヤスード改『照合します』


短い電子音が鳴った。


ヤスード改『該当レースを確認しました』


ボス「結果は」


ヤスード改『2024年、第8競走。淡路ヤスラギ特別』


ボス「淡路ヤスラギ特別」


ヤスード改『ヤオヤノヤス。単勝1番人気。オッズ1.1倍』


ボス「1.1倍」


ヤスード改『はい。着順は12着です』


取調室が、少しだけ冷えた。


ボス「1番人気が、12着」

ヤスード改『はい。なお、同日の記録に、もう一件あります』

ボス「何だ」

ヤスード改『レース後、ヤオヤノヤスが関係者の太ももを噛み、負傷させた記録があります』


ボス「誰を噛んだ」

ヤスード改『負傷者名は、記録されていません』

ボス「記録されていない?」

ヤスード改『はい。関係者一名、太ももを負傷。処理記録はありますが、氏名欄は空白です』


ボス「空白か」


ヤスード改『当時は、そう処理されています』


ボス「その馬は、その後どうなった」



ヤスード改『ヤオヤノヤスは、そのレースを最後に競走馬登録を抹消されています』



ボス「引退か」

ヤスード改『記録上は、そうなっています』

ボス「理由は」

ヤスード改『理由欄は空白です』

ボス「また空白か」


ヤスード改『はい。なお、レース後のコメントでは、原因不明の失速と記録されています』

ボス「原因不明か」

ヤスード改『当時は、そう処理されています』


ボスは、アヤスを見た。


ボス「原因は、お前か」

アヤス「はい」

ボス「紀之に言われてか」

アヤス「はい」


ボス「金を受け取ったのか」


アヤス「受け取りました」


ボス「なら、不正だな」

アヤス「はい」


アヤスは、逃げなかった。


その言葉だけは、逃げなかった。


アヤス「一度だけです」

ボス「一度で十分だ」

アヤス「分かっています」


ボス「分かっていたなら、なぜやった」

アヤス「弱かったからです」


ボス「誰が」


アヤス「私が」


ボスは、何も言わなかった。


アヤス「そのあと、二度としないと決めました」


ボス「でも紀之は許さなかった」

アヤス「はい」


ボス「何度もやれと言った」


アヤス「はい」

ボス「お前は断った」

アヤス「断りました」


ボス「だから脅された」


アヤスは、小さくうなずいた。


ボス「何で脅された」


アヤスの指が、少しだけ動いた。


アヤス「あの子のことです」





ボス「あの子」

アヤス「はい」

ボス「誰だ」


アヤスは、答えなかった。


ボス「トシユキか」

アヤス「違います」

ボス「コウゾウの孫か」

アヤス「違います」


ボス「なら誰だ」


アヤスは、サングラスに手を伸ばしかけた。


でも、触れなかった。


アヤス「私が逃がした子です」

ボス「逃がした?」

アヤス「はい」

ボス「誰から」


アヤス「紀之さんから」


ボス「紀之が何をした」


アヤス「その子を、使おうとしました」

ボス「競馬にか」

アヤス「はい」


ボス「お前が一度やった不正に、その子も関わっていたのか」

アヤス「違います」

ボス「違う?」


アヤス「知らなかったんです」

ボス「誰が」


アヤス「あの子は、何も知りませんでした」

ボス「なら、なぜ逃がした」


アヤス「紀之さんが、全部かぶせると言ったからです」


ヤスード改の画面は、まだ消えていなかった。

そこには、十二年前のレース結果が残っていた。


ボス「不正をか」

アヤス「はい」


ボス「お前がやったことを、その子にかぶせると」


アヤス「はい」


ボス「紀之が」


アヤス「はい」


ボス「だから逃がした」

アヤス「はい」


ボス「名前も変えさせたのか」


アヤスは、目を閉じた。


アヤス「母方の名を名乗らせました」

ボス「母方」


アヤス「紀之さんから見つからないように」

ボス「お前が隠した」


アヤス「はい」


ボス「それを、紀之は知っていた」

アヤス「知っていました」

ボス「十年前、それを持ち出した」


アヤス「はい」


ボス「もう一度、不正をしろと」

アヤス「はい」


ボス「断れば、その子のことを表に出す」

アヤス「はい」

ボス「汚いな」


アヤスは、少しだけ笑った。

笑ったように見えただけだった。


アヤス「紀之さんは、そういう人でした」


ボスは、何も言わなかった。


紀之。


父。


その名前が、取調室の中で形を変えていく。

ボスの知っている父ではなかった。

ボスが殺したと思っていた父でもなかった。

もっと汚く、もっと弱く、もっと人を壊す男だった。





ボス「十年前の夜」

アヤス「はい」

ボス「お前は紀之に会いに行った」

アヤス「はい」


ボス「不正を断るためか」


アヤス「それもあります」


ボス「他には」


アヤス「あの子のことを、二度と言うなと」

ボス「言える相手だったのか」

アヤス「言うしかありませんでした」

ボス「紀之は生きていたか」


アヤスは、黙った。


ボス「お前が着いた時、紀之は」



アヤス「生きていました」



ヤスが、少しだけ息を吸った。

それは誰にも聞こえないほど小さかった。


ボスだけが、見ていた。


ボス「どこにいた」

アヤス「部屋の中です」

ボス「倒れていたのか」


アヤス「壁にもたれていました」


ボス「血は」


アヤス「ありました」


ボス「話せたのか」

アヤス「話せました」


ボス「何と言った」


アヤス「笑っていました」


ボス「笑っていた」

アヤス「はい」

ボス「何を笑う」

アヤス「私を」


ボス「なぜ」


アヤス「また来たな、と」


ボスは、机の上に置いた手を見た。


アヤス「紀之さんは、言いました」


ボス「何を」

アヤス「やれ、と」


ボス「競馬か」


アヤス「はい」

ボス「断ったら」

アヤス「あの子を出す、と」

ボス「十二年前の話を」


アヤス「はい」


ボス「お前はどうした」

アヤス「断りました」

ボス「それで」


アヤス「紀之さんは、怒りました」

ボス「お前に手を上げたか」

アヤス「いいえ」

ボス「では」

アヤス「言葉です」


ボス「言葉」

アヤス「人は、言葉でも殺せます」


取調室の空気が、少しだけ沈んだ。





ボス「そのあと、何があった」


アヤスは、答えなかった。


ボス「アヤス」



アヤス「私がやりました」



ボス「何をだ」



アヤス「紀之さんを殺しました」



ボスは、アヤスを見た。

アヤスは、視線をそらさなかった。

ヤスも、安藤も、動かなかった。


ボス「どうやって」


アヤス「……」


ボス「答えろ」


アヤス「覚えていません」


ボス「殺したのにか」


アヤス「はい」


ボス「……」


アヤス「本当です」


ボス「凶器は」


アヤス「……」


ボス「どこで殺した」

アヤス「部屋です」

ボス「部屋のどこだ」


アヤス「……」


ボス「紀之は最後に何と言った」


アヤスは、何も言わなかった。


ボス「それも覚えていないのか」

アヤス「覚えていません」


ボス「笑っていたことは覚えている」

アヤス「はい」

ボス「脅されたことも覚えている」

アヤス「はい」

ボス「でも、殺した瞬間だけ覚えていない」

アヤス「はい」

ボス「都合がいいな」


アヤスの手が、机の下で握られた。


ボス「誰を守っている」

アヤス「誰も」

ボス「その子か」


アヤスは、答えなかった。


ボス「あの子を守っているのか」

アヤス「違います」

ボス「では、なぜ言えない」


アヤス「言えます」

ボス「なら言え」


アヤスは、ゆっくり息を吐いた。



アヤス「私がやりました」



ボス「……」

アヤス「紀之さんを殺したのは、私です」


取調室が、静かになった。

時計だけが、こつ、と鳴った。



アヤス「逮捕してください」



ボスは、何も言わなかった。

ヤスも、何も言わなかった。

安藤も、何も言わなかった。


アヤスは、机の上のサングラスを見ていた。


そこには、誰の顔も映っていなかった。


次回、第三章 EP11番外編 あの日の夜の前日。

事件の前日、一本の電話が、誰かの決意を揺らしていました。


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