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第二章 EP12 犯人はヤス


 姫路へ向かう車の中で、ヤスは黙っていた。


 黙っているヤスは、だいたい何かを考えている。

 そして、だいたいろくなことではない。


 ヤスはボスの手帳を見ていた。

 正確には、また勝手にのぞき込もうとしていた。


 ボス「前を見ろ」

 ヤス「見てます」

 ボス「手帳を見ている」

 ヤス「前も見てます」

 ボス「一つにしろ」


 手帳には、黒堂の出した言葉が残っている。


 姫路。

 ヤス兵衛。


 それは、以前一度たどり着いた店の名前だった。


 兵庫県姫路市安田。

 居酒屋、ヤス兵衛。


 店主はネルソン・ヤスシ。

 その場にいたのは、オコエ・ヤスミン・デ・ラ・サンティシマ・ヤスニダード・ネルソン。

 そして、ヤン・スイホー。


 ヤス「ボス」

 ボス「何だ」

 ヤス「あの店、名前だけで疲れますね」

 ボス「今から行くんだ。疲れるな」

 ヤス「姫路市安田のヤス兵衛に、ヤス田さんを探しに行く」

 ボス「言葉にするな」

 ヤス「しかも僕はヤス」

 ボス「黙れ」


 車は姫路へ入った。


 見覚えのある通りに入ると、ヤスは少しだけ嫌な顔をした。


 ヤス「来ましたね」

 ボス「ああ」

 ヤス「ヤス兵衛」

 ボス「何度も言うな」


 店の前に車を止める。


 赤い提灯は、まだ出ていた。

 だが、灯りはついていない。

 暖簾も半分だけ出ている。


 営業しているのか、していないのか。

 その判断すら、少し怪しい店だった。


 ヤス「この店、前からこんな感じでしたっけ」

 ボス「前から怪しかった」

 ヤス「安心しました」

 ボス「安心するな」


 ボスが戸を開けた。


 中は薄暗い。

 焼き魚の匂いは、以前より薄かった。

 カウンターの奥に、ネルソン・ヤスシはいない。

 オコエの姿もない。


 ただ一人。


 丸顔の男が、座敷でせんべいを食べていた。


 ヤン・スイホーだった。


 ヤン「オオ、刑事サン。久シブリデヤンス」

 ヤス「ヤン・スイホーさん」

 

 ボス「一人か」

 ヤン「一人デヤンス」

 

 ヤス「ネルソンさんは」

 ヤン「イナイデヤンス」

 

 ボス「どこへ行った」

 ヤン「知ラナイデヤンス」

 

 ヤス「オコエさんは」

 ヤン「イナイデヤンス」

 

 ヤス「この店、誰の店なんですか」

 ヤン「ネルソンノ店デヤンス」

 

 ヤス「本人不在で、あなたがいるんですね」

 ヤン「留守番デヤンス」

 

 ボス「信用できんな」

 

 ヤン「ワタシ、信用安イデヤンス」

 ヤス「安いんですね」

 ボス「買うな」


 ヤンは、せんべいを一枚差し出した。


 ヤン「食ベルデヤンス?」

 ボス「いらん」

 ヤス「僕は少し」

 ボス「食うな」

 ヤス「はい」


 ボスはカウンターの前に立った。

 ヤンは座敷から動かない。


 ボス「ヤス田直人を知っているな」


 ヤンの手が、せんべいの袋の中で止まった。


 ヤン「ヤスダ?」

 ボス「若い刑事だ」

 ヤン「若イ刑事、ミンナ若イデヤンス」

 ヤス「そんなことないです」

 ボス「この男だ」


 ボスは携帯の画面を見せた。

 ヤス田の顔が映っている。


 ヤンは、目を細めた。

 それから、すぐに笑った。


 ヤン「知ラナイデヤンス」

 ボス「そうか」

 ヤン「見タコトナイデヤンス」

 ボス「そうか」

 

 ヤン「昨日来タデヤンス」

 ヤス「今、見たことないって言いましたよね」

 

 ヤン「記憶、今戻ッタデヤンス」

 ボス「都合のいい記憶だな」


 ヤンは、せんべいをかじった。


 ボス「いつ来た」

 ヤン「昨日デヤンス。タブン」

 

 ボス「何をしに来た」

 ヤン「知らナイデヤンス」

 

 ボス「誰に会いに来た」

 ヤン「誰ニモ会ッテナイデヤンス」

 

 ヤス「じゃあ、何しに来たんですか」

 ヤン「誰カニ会イニ来タデヤンス」

 ヤス「話が戻りました」


 ボスは、表情を変えなかった。


 ボス「ネルソンに会いに来たのか」

 ヤン「ネルソン、イナカッタデヤンス」

 

 ボス「オコエか」

 ヤン「オヤスモ、イナカッタデヤンス」

 

 ヤス「じゃあ、あなたに会いに来た?」

 ヤン「ワタシ、人気者デヤンス」

 ボス「違うな」

 ヤン「早イデヤンス」


 ボスは、少しだけ店内を見回した。


 壁には、以前と同じ競馬のポスターが貼ってある。

 港の写真もある。

 その奥に、古い旅館の絵葉書のようなものが一枚、画鋲で留められていた。


 ボス「これは」


 ボスが近づくと、ヤンが急に立ち上がった。


 ヤン「ソレ、触ラナイ方ガイイデヤンス」

 ヤス「言われると触りたくなるやつですね」

 

 ボス「おまえは触るな」

 ヤス「EP11の反省はしています」

 ボス「遅い」


 絵葉書には、海沿いの建物が写っていた。

 古い文字で、旅館・ニュー・ヤスダ、と書かれている。


 ヤス「ここにもニュー・ヤスダ」

 ボス「ヤス田は、これを見たか」

 ヤン「見タカモシレナイデヤンス」

 

 ボス「見たんだな」

 ヤン「見テナイカモシレナイデヤンス」

 ボス「嘘が雑だ」


 ヤンは肩をすくめた。


 ヤン「刑事サン、怖イデヤンス」

 ボス「怖がるほどのことを知っているな」

 ヤン「知ラナイデヤンス」



 ボス「小宮末広」

 ヤンの目が、一瞬だけ動いた。



 ボス「佐々木キミヤス」

 今度は、せんべいの袋が小さく鳴った。



 ボス「磯辺コウゾウ」

 ヤンは笑った。

 だが、その笑い方は、少しだけ下手だった。

 


 ヤン「名前、多イデヤンス」

 ヤス「それは本当にそうです」

 ボス「ヤス田は、何を聞きに来た」

 

 ヤン「昔ノ話デヤンス」

 ボス「十年前か」

 ヤン「十年前カ、二十年前カ、酒ノ席ノ話ハ全部古イデヤンス」


 ヤンは、窓の外を見た。


 ヤン「ローン山側。旅館。借金。花ノ絵。床下。ヤス、ヤス、イソベ、ヤス……」

 ヤス「雑に混ぜないでください」

 

 ボス「今のは、誰の言葉だ」

 ヤン「昔ノ人ノ言葉デヤンス」

 

 ボス「ヤス田も同じ言葉を探していたのか」

 ヤン「探シテタカモデヤンス」

 

 ボス「何を隠している」

 ヤン「嘘デヤンス」

 

 ヤス「隠しているのが嘘?」

 ヤン「嘘ヲ隠シテルデヤンス」

 ヤス「もうだめです。脳が戻ってきません」




 その時だった。


 ボスの携帯が鳴った。


 店の空気が変わった。


 ボスは画面を見た。

 署からだった。


 ボス「鈴木だ」


 短い沈黙。


 ボスの眉が、わずかに動いた。


 ボス「……何だと」

 


 ヤスは、ボスの顔を見た。

 ヤンも、せんべいを口に運ぶ手を止めている。


 ボス「分かった。すぐ戻る」

 通話は切れた。


 ヤス「何かありましたか」

 ボスは携帯をしまった。


 ボス「ヤス田が出てきた」

 ヤス「出てきた?」


 ボス「自首だ」


 店内が静かになった。


 ヤン「犯人ハ、ヤスデヤンス?」

 ヤス「今それ言わないでください」



 ボスはヤンを見た。


 ボス「ネルソンに伝えろ。次は直接聞く」

 ヤン「伝エルデヤンス」

 ボス「嘘を混ぜるな」

 ヤン「難シイ注文デヤンス」


 ボスは店を出た。

 ヤスも慌てて続く。


 暖簾が揺れた。


 背後で、ヤン・スイホーの声がした。


 ヤン「ヤスハ、多スギルデヤンス」


 その言葉だけは、嘘ではない気がした。





 神戸へ戻る車の中で、ヤスは何度も口を開きかけた。


 だが、何を言えばいいのか分からなかった。


 ヤス田が自首した。


 逃げていたはずの人間が、戻ってきた。

 追っていたはずの人間が、自分から出てきた。


 ヤス「ボス」

 ボス「何だ」

 ヤス「ヤス田さんは、逃げるつもりじゃなかったんでしょうか」

 ボス「逃げた人間が、最後に戻ることもある」

 ヤス「どうして」

 ボス「守りたいものがあるからだ」


 ヤスは、窓の外を見た。


 姫路の町が後ろへ流れていく。


 ヤス「守るために、自首するんですか」

 ボス「人は、間違った守り方をする」


 ボスの声は、いつもより低かった。


 ヤスは、それ以上聞けなかった。





 神戸県警に戻ると、空気が変わっていた。


 廊下を歩く刑事たちの足音が、いつもより硬い。

 誰も大きな声では話さない。


 ヤス田は、取調室にいた。


 手錠はかけられていなかった。

 だが、逃げるつもりがないことは、座っている姿だけで分かった。


 ヤス田は、ボスとヤスを見ると、小さく頭を下げた。


 ヤス「ヤス田さん……」


 ヤス田「真野くん」


 声は、思ったより穏やかだった。


 ボスは椅子に座った。

 ヤスも、その隣に座る。


 しばらく、誰も話さなかった。


 最初に口を開いたのは、ヤス田だった。


 ヤス田「佐々木キミヤスを止めたのは、俺です」


 ヤスは、息を止めた。


 ヤス田「キミヤスは、ローン山側の古い記録を追っていました」

 ヤス田「小宮末広のことも、コウゾウさんのことも」

 ヤス田「旅館・ニュー・ヤスダのことも」


 ボスは、黙って聞いている。


 ヤス田「俺は、止めなきゃいけないと思った」

 ヤス「止めるって……」

 ヤス田「話を。調査を。全部です」


 ヤス田は、机の上に置かれた自分の手を見た。


 ヤス田「けど、止め方を間違えた」


 その声は、少しだけ乾いていた。


 ヤス田「小宮さんを利用しました」

 ヤス「利用……」

 ヤス田「小宮さんには、弱いところがあった。昔のことを知っていた。黙る理由もあった」

 ヤス田「だから、そこに罪を置いた」


 ボス「小宮を犯人に見せたのか」


 ヤス田「……はい」


 ヤスは、言葉を失った。


 小宮末広。

 自殺として処理された男。

 犯人として、書類の上に置かれた男。


 ヤス田「小宮さんを殺すつもりはありませんでした」

 ボス「だが、死んだ」

 ヤス田「はい」


 その一言は、逃げていなかった。


 ヤス田「コウゾウさんも、同じです」


 ヤス「コウゾウさんも……」


 ヤス田「コウゾウさんは、十年前の処理を知っていました」

 ヤス田「床下に残したものも、隠していたものも」

 ヤス田「あの人は、最後に喋るつもりだった」


 ボス「だから消した」


 ヤス田は、目を伏せた。


 ヤス田「俺は、また止めようとしました」

 ヤス田「でも、もう戻れないところまで行っていた」


 ヤスは、拳を握った。


 怒っていいのか。

 悲しんでいいのか。

 分からなかった。


 目の前にいるのは、同じ署の刑事だった。

 先輩だった。

 自分を三宮へ誘った人だった。


 そして、現在の事件の犯人だった。


 ボス「借金のことは」


 ヤス田は、少しだけ顔を上げた。


 ヤス田「父です」


 その言葉で、取調室の空気が変わった。


 ヤス田「父、ヤス田紀之が作った借金です」

 ヤス田「旅館・ニュー・ヤスダは、それで潰れました」

 ヤス田「家族も、名前も、全部ばらばらになった」


 ヤス「家族……」


 ヤス田「兄と、妹がいました」


 ヤスは、BAR裏靖で聞いた写真の話を思い出した。


 兄。

 妹。

 父親らしき男。

 そして、語られなかった父親。


 ヤス田「十年前、俺たちは父を止めようとしました」

 ヤス田「父は、もうまともじゃなかった」

 ヤス田「借金も、怒鳴り声も、家の中にあったもの全部が、あの夜に集まっていた」


 ボスは何も言わない。


 ヤス田「俺は、ずっと思っていました」

 ヤス田「あの夜に、全部終わったんだと」


 ヤス「全部?」


 ヤス田「父も。家族も。兄さんも」


 ヤスは、ボスを見た。


 ボスは動かなかった。


 ヤス田「でも、終わっていなかった」

 ヤス田「キミヤスが掘り返した」

 ヤス田「コウゾウさんが残していた」

 ヤス田「小宮さんが、まだ怖がっていた」


 ヤス田は、静かに息を吐いた。


 ヤス田「だから、俺はやった」


 ヤス「何を、ですか」


 ヤス田「現在の事件です」


 その言葉は、取調室に落ちた。


 重く、乾いた音がしたような気がした。


 ヤス田「佐々木キミヤスの件」

 ヤス田「小宮末広を犯人に見せたこと」

 ヤス田「コウゾウさんを止めようとして、結果的に死なせたこと」

 ヤス田「ニュー・ヤスダを壊したこと」


 ヤス田は、ボスではなく、ヤスを見た。


 ヤス田「現在の事件は、俺がやりました」


 ヤスは、何も言えなかった。


 犯人は、ヤス。


 その言葉が、何度も頭の中で反響した。


 だが、目の前にいるのは、自分ではなかった。


 ヤス田直人。


 もう一人の、ヤスだった。


 ヤス「どうして、出てきたんですか」


 ヤス田は、少しだけ目を伏せた。


 ヤス「逃げられたかもしれないのに」


 ヤス田「逃げるつもりなら、もっと遠くへ行きました」


 ヤス「じゃあ、どうして」


 ヤス田「守りたかったんです」


 ヤス「誰を」


 ヤス田「妹を」


 そこで、一度言葉が止まった。


 ボスの指が、机の下でわずかに動いた。


 ヤス田「そして……」


 ヤス田は、ボスを見た。


 その目には、もう逃げる色はなかった。


 ヤス田「兄さんを」


 ヤス「兄さん?」


 ボスは、何も言わなかった。


 ヤス田「兄さんには、これ以上、近づけたくなかった」

 ヤス田「十年前にも」

 ヤス田「今にも」


 ヤスは、ボスを見た。


 ボスは、ただ黙っていた。


 その沈黙は、知らない人間の沈黙ではなかった。


 ヤス「ボス……?」


 ボスは答えなかった。





 ヤス田は、そのまま逮捕された。


 取調室を出る時、ヤス田は一度だけ立ち止まった。


 ヤス「ヤス田さん」


 ヤス田は振り返らなかった。


 ただ、小さく言った。


 ヤス田「真野くん」

 ヤス「はい」

 ヤス田「三宮で、話しておけばよかった」


 それだけだった。


 ヤスは、何も返せなかった。


 扉が閉まる。


 第二章の事件は、終わった。


 少なくとも、そう見えた。


 現在の事件の犯人は、捕まった。

 犯人はヤス。


 その言葉は、間違っていなかった。


 だが、ヤスは知っていた。


 間違っていない言葉が、いつも正しいとは限らない。


 兄さん。


 ヤス田が最後に残した言葉だけが、取調室の空気に残っていた。




 『神戸ヤスれんぞくさつじんじけん』

      完








 その時、ボスの携帯が鳴った。


 ボスは画面を見た。

 淡路側の警察からだった。


 ボス「鈴木だ」


 電話の向こうの声が、早口で何かを告げた。


 ボスは、ゆっくりとヤスを見た。


 ヤス「……何ですか」

 ボス「ニュー・ヤスダ爆破現場の件だ」

 ヤス「はい」

 ボス「現場に残っていた小さな鞄から、おまえの指紋が出た」

 ヤス「……はい?」


 ボス「さらに、爆発直前に鞄を持ち上げていたところを、住民が見ている」

 ヤス「持ち上げただけです!」


 ボス「触るなと言った」


 ヤス「言われた時には、もう触ってました!」

 ボス「だから悪い」

 ヤス「僕じゃないですよ!」


 ボスは電話を耳に当てたまま、短く答えた。


 ボス「分かった。今から向かわせる」

 ヤス「向かわせる?」

 ボスは電話を切った。


 そして、ヤスを見た。


 ボス「淡路へ行け」

 ヤス「僕、今、第二章を終えた気がしていたんですが」

 ボス「おまえだけ終わってない」


 ヤス「犯人はヤスって、そういう意味じゃないですよね?」

 ボス「さあな」

 ヤス「さあな、じゃないですよ!」


 廊下の向こうで、誰かがヤスを呼んだ。

 今度は、ヤス田ではない。

 真野ヤスヒロを呼ぶ声だった。

 

 真野ヤスヒロは静かにパトカーに乗り込んだ。


 第二章は、終わった。

 少なくとも、ヤス以外の人間にとっては。


 『ぴーぽーぴーぽーぴーぽーぴーぽー』

      完






 ヤスード改「もうちょっとだけ続くんじゃ」



次回、第二章 EP12番外編「連れていかれるヤス」。

ヤス「捕まってしまったけど、僕はやってない!たぶん」


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