第二章 EP02 作られた自殺
小宮の家へ向かう車の中で、ヤスはなぜか少し機嫌がよかった。
自宅待機明けの刑事としては、不自然なほどだった。
ボスはハンドルを握ったまま、前だけを見ていた。
ヤス「そういえば、謹慎中にみかちゃんに電話してみたんっすよ」
ボス「……」
ヤス「でも、勝手にしゃべって電話切られちゃって」
ボス「……」
ヤス「かわいい声だったなぁ」
ボスは無視した。
ヤス「ボス、聞いてます?」
ボス「聞かないようにしている」
ヤス「聞いてるじゃないですか」
ボス「後悔している」
車は元町へ入った。
雨は上がっていたが、路地にはまだ水が残っている。
古い家の壁は湿っていて、街全体が一度濡れた紙のように見えた。
小宮末広の家は、その奥にあった。
*
小宮の部屋は、前に来た時よりも暗く見えた。
窓は閉まっている。
カーテンは半分だけ開いていた。
畳には、まだ湿った匂いが残っている。
ヤス「うわ。なんか、じめじめしてますね」
ボス「窓を閉め切っていたからだろう」
ヤス「小宮さん、換気しない人だったんですかね」
ボス「死んだ後は、誰でも換気しない」
ヤスは黙った。
押し入れの下に、黒いカビが広がっていた。
壁紙の端が浮いている。
その近くに、小さなキノコのようなものが生えていた。
ヤス「ボス」
ボス「何だ」
ヤス「これ食べると、大きくなれますかね?」
ボスは無視した。
ヤス「でも、小さくなる可能性もありますよね」
ボス「真野」
ヤス「はい」
ボス「食うな」
ヤス「食いませんよ」
ボスは部屋の中央にしゃがんだ。
鞄から鑑識資料を取り出し、畳の上に広げる。
小宮が倒れていた位置。
遺書が置かれていた机。
椅子の向き。
遺体の首に残った痕。
遺書に残っていた指紋。
ひとつずつ、部屋の中の物と照らし合わせていく。
ヤス「現場で資料を見ると、嫌な感じしますね」
ボス「机の上で見るより、嘘が減る」
ヤス「嘘ですか」
ボス「資料は間違えない。だが、資料にされる前の現場は、誰かが間違えさせることがある」
ヤスは遺書の写真を見た。
机の上に、きれいに置かれている。
置かれすぎている。
ヤス「これ、やっぱり変ですね」
ボス「何がだ」
ヤス「遺書って、こんなにまっすぐ置きますかね」
ボス「続けろ」
ヤス「僕なら、もっとぐしゃってなります」
ボス「おまえの遺書は参考にならない」
ヤス「ひどい」
ボスは椅子を見た。
写真では、椅子は机の正面にあった。
今も同じ場所にある。
だが、畳に残る脚の跡は、少しだけずれていた。
ボス「椅子が動いている」
ヤス「警察が動かしたんじゃないですか」
ボス「最初の検分後に、元の位置へ戻した記録がある」
ヤス「じゃあ、今の位置が元の位置」
ボス「そういうことになっている」
ヤス「また嫌な言い方ですね」
ボス「俺も嫌だ」
ボスは壁に掛かった時計を見た。
古い丸い時計だった。
針は止まっている。
時間は、十一時二十二分を指していた。
ヤス「止まってますね」
ボス「ああ」
ヤス「電池切れですか」
ボス「そうかもしれない」
ヤス「事件の時間を示しているとか」
ボス「そうかもしれない」
ヤス「ボス、急に何でもありになってません?」
ボス「だから調べる」
ボスは時計を外した。
壁に、四角い色あせが残っていた。
時計の裏には、細く折られた紙が貼りついていた。
ヤス「何ですか、それ」
ボス「見られたくなかったものだろう」
ボスは紙を慎重にはがした。
古い書類だった。
端は茶色くなり、折り目は白く傷んでいる。
表には、ローン山側の文字があった。
ヤス「ローン山側」
ボス「また出たな」
書類には、土地の名義と金の流れが書かれていた。
一章で見た資料と似ている。
だが、そこにひとつだけ、見覚えのない名前があった。
磯辺アヤス。
ヤス「誰ですか、この人」
ボス「知らない名前だ」
ヤス「またヤスですか」
ボス「磯辺だ」
ヤス「ヤスじゃないですか」
ボス「今はそこじゃない」
ボスは書類を裏返した。
裏には、小さく日付が書かれていた。
二〇二六年。
十年前だった。
ヤス「十年前……」
ボス「小宮は、この書類を隠していた」
ヤス「じゃあ、小宮さんは何か知ってたんですか」
ボス「知っていたか、知らされたか」
ヤス「知らされた?」
ボス「誰かに、これを持たされていた可能性もある」
部屋の中が、急に静かになった。
雨はもう降っていない。
それなのに、どこかで水の落ちる音がした。
ボス「……何か匂うな」
ヤス「すみません。おならしちゃいました」
ボスは無視した。
ヤス「今のは僕です」
ボス「分かっている」
ヤス「分かってて無視したんですか」
ボス「事件に集中している」
ヤス「僕のおならも事件の一部かもしれませんよ」
ボス「ならない」
ボスは書類を鞄に入れた。
それから、もう一度部屋を見回した。
小宮の部屋は、自殺の部屋に見えた。
遺書が置かれていた机があり、椅子があり、止まった時計がある。
だが、それらは少しずつ整いすぎていた。
誰かが、そう見えるように置いた。
ボス「小宮は、自殺したんじゃない」
ヤス「殺されたんですか」
ボス「ああ」
ヤス「じゃあ、この部屋は」
ボス「殺された後、自殺にされた」
ヤスは、資料の中の写真を見た。
机の上に置かれた遺書が写っている。
小宮末広の言葉として残されたもの。
だが、それが本当に小宮の言葉なのか、もう分からなかった。
ヤス「嫌な事件ですね」
ボス「最初からそうだ」
ボスは玄関へ向かった。
ヤスも後を追う。
ヤス「次、どこ行くんですか」
ボス「再びコウゾウの家に出向くか」
ヤス「こうちゃんですか」
ボス「あの老人は、ローン山側を知っている」
ヤス「犬のヤスもいますね」
ボス「犬は聞き込み対象ではない」
ヤス「でも足が土で汚れてましたよ」
ボス「今それを言うな」
玄関の外に出ると、湿った風が吹いた。
元町の路地は、まだ乾いていない。
解決済みの事件は、もう一度、自殺ではなくなった。
そして、十年前の名前が、時計の裏から出てきた。
次回、第二章 EP03「アヤスという女性」。
ヤスがヤスをアヤスとき、事件は再びコウゾウの屋敷へ動き出します。




