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第二章 EP02 作られた自殺

小宮の家へ向かう車の中で、ヤスはなぜか少し機嫌がよかった。

自宅待機明けの刑事としては、不自然なほどだった。


ボスはハンドルを握ったまま、前だけを見ていた。



ヤス「そういえば、謹慎中にみかちゃんに電話してみたんっすよ」

ボス「……」

ヤス「でも、勝手にしゃべって電話切られちゃって」

ボス「……」

ヤス「かわいい声だったなぁ」


ボスは無視した。


ヤス「ボス、聞いてます?」

ボス「聞かないようにしている」

ヤス「聞いてるじゃないですか」

ボス「後悔している」



車は元町へ入った。

雨は上がっていたが、路地にはまだ水が残っている。

古い家の壁は湿っていて、街全体が一度濡れた紙のように見えた。


小宮末広の家は、その奥にあった。





小宮の部屋は、前に来た時よりも暗く見えた。

窓は閉まっている。

カーテンは半分だけ開いていた。

畳には、まだ湿った匂いが残っている。


ヤス「うわ。なんか、じめじめしてますね」

ボス「窓を閉め切っていたからだろう」

ヤス「小宮さん、換気しない人だったんですかね」

ボス「死んだ後は、誰でも換気しない」


ヤスは黙った。


押し入れの下に、黒いカビが広がっていた。

壁紙の端が浮いている。

その近くに、小さなキノコのようなものが生えていた。



ヤス「ボス」

ボス「何だ」

ヤス「これ食べると、大きくなれますかね?」


ボスは無視した。


ヤス「でも、小さくなる可能性もありますよね」

ボス「真野」

ヤス「はい」

ボス「食うな」

ヤス「食いませんよ」


ボスは部屋の中央にしゃがんだ。

鞄から鑑識資料を取り出し、畳の上に広げる。


小宮が倒れていた位置。

遺書が置かれていた机。

椅子の向き。

遺体の首に残った痕。

遺書に残っていた指紋。


ひとつずつ、部屋の中の物と照らし合わせていく。


ヤス「現場で資料を見ると、嫌な感じしますね」

ボス「机の上で見るより、嘘が減る」

ヤス「嘘ですか」

ボス「資料は間違えない。だが、資料にされる前の現場は、誰かが間違えさせることがある」


ヤスは遺書の写真を見た。

机の上に、きれいに置かれている。

置かれすぎている。


ヤス「これ、やっぱり変ですね」

ボス「何がだ」

ヤス「遺書って、こんなにまっすぐ置きますかね」

ボス「続けろ」

ヤス「僕なら、もっとぐしゃってなります」

ボス「おまえの遺書は参考にならない」

ヤス「ひどい」


ボスは椅子を見た。

写真では、椅子は机の正面にあった。

今も同じ場所にある。

だが、畳に残る脚の跡は、少しだけずれていた。


ボス「椅子が動いている」

ヤス「警察が動かしたんじゃないですか」

ボス「最初の検分後に、元の位置へ戻した記録がある」

ヤス「じゃあ、今の位置が元の位置」

ボス「そういうことになっている」

ヤス「また嫌な言い方ですね」

ボス「俺も嫌だ」


ボスは壁に掛かった時計を見た。

古い丸い時計だった。

針は止まっている。

時間は、十一時二十二分を指していた。


ヤス「止まってますね」

ボス「ああ」

ヤス「電池切れですか」

ボス「そうかもしれない」

ヤス「事件の時間を示しているとか」

ボス「そうかもしれない」

ヤス「ボス、急に何でもありになってません?」

ボス「だから調べる」


ボスは時計を外した。

壁に、四角い色あせが残っていた。

時計の裏には、細く折られた紙が貼りついていた。


ヤス「何ですか、それ」

ボス「見られたくなかったものだろう」


ボスは紙を慎重にはがした。

古い書類だった。

端は茶色くなり、折り目は白く傷んでいる。


表には、ローン山側の文字があった。


ヤス「ローン山側」

ボス「また出たな」


書類には、土地の名義と金の流れが書かれていた。

一章で見た資料と似ている。

だが、そこにひとつだけ、見覚えのない名前があった。


磯辺アヤス。


ヤス「誰ですか、この人」

ボス「知らない名前だ」

ヤス「またヤスですか」

ボス「磯辺だ」

ヤス「ヤスじゃないですか」

ボス「今はそこじゃない」


ボスは書類を裏返した。

裏には、小さく日付が書かれていた。


二〇二六年。


十年前だった。


ヤス「十年前……」

ボス「小宮は、この書類を隠していた」

ヤス「じゃあ、小宮さんは何か知ってたんですか」

ボス「知っていたか、知らされたか」

ヤス「知らされた?」

ボス「誰かに、これを持たされていた可能性もある」



部屋の中が、急に静かになった。

雨はもう降っていない。

それなのに、どこかで水の落ちる音がした。



ボス「……何か匂うな」




ヤス「すみません。おならしちゃいました」


ボスは無視した。


ヤス「今のは僕です」

ボス「分かっている」

ヤス「分かってて無視したんですか」

ボス「事件に集中している」

ヤス「僕のおならも事件の一部かもしれませんよ」

ボス「ならない」


ボスは書類を鞄に入れた。

それから、もう一度部屋を見回した。


小宮の部屋は、自殺の部屋に見えた。

遺書が置かれていた机があり、椅子があり、止まった時計がある。

だが、それらは少しずつ整いすぎていた。


誰かが、そう見えるように置いた。


ボス「小宮は、自殺したんじゃない」

ヤス「殺されたんですか」

ボス「ああ」

ヤス「じゃあ、この部屋は」

ボス「殺された後、自殺にされた」


ヤスは、資料の中の写真を見た。

机の上に置かれた遺書が写っている。

小宮末広の言葉として残されたもの。

だが、それが本当に小宮の言葉なのか、もう分からなかった。


ヤス「嫌な事件ですね」

ボス「最初からそうだ」


ボスは玄関へ向かった。

ヤスも後を追う。


ヤス「次、どこ行くんですか」

ボス「再びコウゾウの家に出向くか」

ヤス「こうちゃんですか」

ボス「あの老人は、ローン山側を知っている」

ヤス「犬のヤスもいますね」

ボス「犬は聞き込み対象ではない」

ヤス「でも足が土で汚れてましたよ」

ボス「今それを言うな」


玄関の外に出ると、湿った風が吹いた。

元町の路地は、まだ乾いていない。


解決済みの事件は、もう一度、自殺ではなくなった。


そして、十年前の名前が、時計の裏から出てきた。

次回、第二章 EP03「アヤスという女性」。

ヤスがヤスをアヤスとき、事件は再びコウゾウの屋敷へ動き出します。

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