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第二章 EP01 解決済みの事件

真野ヤスヒロの自宅待機が明けた朝、刑事課の空気は重かった。

重い理由は、ヤスが戻ってきたからではない。

課長の机の上に、一冊の薄い報告書が置かれていた。


表紙には、赤い付箋が貼られている。



『小宮末広 死亡状況再確認』



ヤスはそれを見て、首をかしげた。


ヤス「ボス。小宮の件って、終わったんじゃないんですか」


ボスは報告書から目を離さなかった。


ボス「終わったことになっていた」

ヤス「その言い方、嫌ですね」

ボス「俺も嫌だ」


報告書をめくる音だけが、しばらく続いた。



小宮末広。



佐々木キミヤス殺害の容疑者として名前が挙がり、その直後に死亡した男。

遺書が見つかり、事件は小宮の犯行と自殺で処理された。

少なくとも、書類の上ではそうなっていた。

だが、再確認の結果、小宮の死にはいくつかの不自然な点が見つかった。


首に残った痕。


倒れていた位置。


遺書の紙に残った指紋。


そのどれもが、小さな違和感だった。


けれど、小さな違和感は、並べると形になる。


自殺ではない。


誰かが、小宮末広を殺した。






課長が部長室に入ると、背後で扉が重い音を立てて閉まった。


部長「小宮末広の件だ」

課長「はい」

部長「自殺で処理したな」

課長「報告書上は、そのように」


部長「報告書上は、ではない」


部長の声は低かった。

大きな声ではない。

だから余計に、逃げ場がなかった。



部長「首の痕。倒れていた位置。遺書の紙に残った指紋。どれも自殺を支えていない」

課長「当時の判断では――」

部長「当時ではなく、今の話をしている」



課長は口を閉じた。



部長「佐々木キミヤス殺害。小宮末広の自殺。それで解決済み。そう通したのは君だな」

課長「……はい」

部長「死人に全部を背負わせるのは簡単だ」

課長「そのつもりはありません」

部長「つもりの話ではない。結果の話だ」


課長の喉が、小さく動いた。


部長「本部から照会が来ている。小宮の死亡状況について、再捜査が必要だ」

課長「再捜査、ですか」

部長「聞き返すな」

課長「はい」

部長「解決済みの事件ではない。解決済みにした事件だ」



その言葉で、課長の顔色が変わった。



部長「鈴木を呼べ」

課長「鈴木を」

部長「それと、真野もだ」

課長「真野もですか」

部長「現場にいたんだろう」

課長「はい」



部長「なら呼べ。今日中に、小宮の周辺を洗い直せ」

課長「承知しました」

部長「もう一度言う」


課長は姿勢を正した。


挿絵(By みてみん)


部長「これは、解決済みの事件ではない」

課長「……はい」

部長「解決したことにした事件だ」



部長「この件については覚悟しておきたまえ。」

課長「……」



課長は、何も言葉を返せなかった。






課長は、部長室から戻ってきた。

顔色が悪かった。


もともと血色のいい男ではなかったが、その日は特に悪かった。

ヤスは思わず姿勢を正した。


ヤス「課長、おはようございます」

課長「真野」

ヤス「はい」

課長「声が大きい」

ヤス「すみません」


課長は席に着く前に、ボスを見た。


課長「鈴木」

ボス「はい」

課長「会議室へ来い。真野もだ」

ヤス「僕もですか」

課長「おまえ以外に真野がいるなら、そいつでもいい」

ヤス「いません」

課長「なら、おまえだ」



会議室の空気は、さらに重かった。

課長は椅子に座らなかった。

立ったまま、報告書を机に置いた。



課長「小宮末広の死因について、再確認が入った」

ボス「聞いています」

課長「聞いているなら、話が早い」


課長は報告書を軽く叩いた。


課長「自殺ではない可能性が高い」

ヤス「じゃあ、他殺ですか」

課長「その可能性が高いと言っている」

ヤス「ほぼ他殺ですね」

課長「言い換えるな」

ヤス「すみません」


課長は、深く息を吐いた。


課長「部長から、かなり強く言われた」

ヤス「怒られたんですか」

課長「真野」

ヤス「はい」

課長「そこを聞くな」

ヤス「すみません」



ボスは黙っていた。

課長の言葉には怒りがあった。

だが、その怒りはボスとヤスだけに向いているものではなかった。

もっと上から落ちてきたものを、下に流している。

そんな怒りだった。



課長「この事件は、解決済みだった」

ボス「はい」


課長「小宮が佐々木キミヤスを殺し、その後、自殺した。そういう処理だった」


ボス「処理、ですか」

課長「言葉を選んでいる余裕はない」


課長は、少しだけ目を伏せた。


課長「通したのは、俺だ」


ヤスは何も言えなかった。


課長「だが、間違っていた可能性がある」

ボス「可能性ではなく、間違っていたんでしょう」


課長はボスを見た。


短い沈黙が落ちた。


課長「……そうだ」


その一言だけは、言い訳ではなかった。


課長「もう一度、小宮の周辺を洗え」

ボス「了解しました」

課長「佐々木キミヤスの件も、最初から見直せ」

ヤス「最初からですか」

課長「最初からだ」

ヤス「またヤスだらけになりますね」

課長「ならないようにしろ」

ヤス「無理では」

課長「努力しろ」


ヤスは小さくうなずいた。

努力でどうにかなる種類のヤスではなかった。

会議室を出る直前、ヤスはふと振り返った。



課長は寂しそうな顔をして、どこかに電話をしていた。





会議室を出ると、廊下の窓に薄い雨が当たっていた。

神戸の街は、灰色に沈んでいた。


ヤス「ボス」

ボス「何だ」

ヤス「小宮は、犯人じゃなかったんですか」



ボスはすぐには答えなかった。

廊下の先にある階段を見ていた。



ボス「小宮が何かを隠していたのは間違いない」

ヤス「じゃあ」

ボス「だが、死んだ人間に全部を背負わせるのは楽だ」

ヤス「……」

ボス「楽な解決は、だいたい危ない」

ヤス「課長の前で言ってくださいよ」

ボス「言ったら怒られる」

ヤス「さっきから皆怒られてますね」



ボスは、ようやく歩き出した。


ボス「小宮の家に行くぞ」

ヤス「またですか」

ボス「解決済みの事件ほど、見落としが残る」

ヤス「それ、課長の前で言ったら怒られますよ」



ボスは答えなかった。





階段を降りる途中で、ひとりの刑事とすれ違った。

ヤス田刑事だった。

落ち着いた顔をしていた。

いつもと同じように見えた。



ヤス田刑事「再捜査ですか」

ボスは足を止めた。


ボス「耳が早いな」

ヤス田刑事「署の中ですから」

ヤスは、ヤス田刑事を見た。


ヤス「ヤス田さん、小宮の件、知ってたんですか?」

ヤス田刑事は、少しだけヤスを見た。


ヤス田刑事「解決済みの事件だったのではありませんか」


ボスは答えなかった。


ヤス田刑事「……このあと、どちらへ?」

ボス「小宮の家だ」


ヤス田刑事は、ほんの少しだけ目を伏せた。


ヤス田刑事「そうですか」


ヤス田刑事はそれ以上何も言わず、階段を上っていった。



ボスは階段を降りた。

ヤスも慌てて後を追った。

終わったはずの事件が、また動き出していた。


書類の上では、解決済み。


だが、現場はまだ、何も終わっていなかった。


次回、第二章 EP02「作られた自殺」。

自殺に見えた部屋には、誰かの都合が置きっぱなしでした。

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