Scene.8 うららかな通学路・後
拙い文章ではありますが あなたの心に触れられたら 幸いです
(……おかしい)
学校が近付くにつれて、俺の足取りは気分と共に重くなる。
(な……んだよ、これ……!)
歩く度、不自然なくらい荒くなる動悸と呼吸。
(リハビリをサボってたから、症状が悪化した?)
異常なまでの発汗と、吐き気を催す胃のムカつきに襲われる。
(嘘から出た真。本当に風邪でもひいたか?)
小刻みに震える掌を見下ろしながら自問する。
(もしかして怖いのか? 人前に出るのが……なぜ?)
不可解なことに、俺は登校に恐れを感じていた。
無断欠席をしていた自分が、クラスメイトにどう見られるかなど、素行不良で校内中に悪評が広まっているのに今更だろう。
けれども理屈ではない何か、言葉では言い表せないものに怯えている。
「どうしたの? やっぱり気分が悪い?」
「――ぇ…………あ。わ、悪い。ボーっとしてた」
この身を案じる声に呼び掛けられ、不安に飲まれていた俺は我に返る。
足下から視線を上げると、美咲が寄り添ってくれていた。
「側にいるから大丈夫だよ」
瞬間、まるで魔法を掛けられたみたいに、俺を支配していた負の感情が消え去った。
縫い付けられていたかのように、動かせなくなっていた足が跳ね上がる。
「な、なんだよそれ。子供じゃないんだぜ? 俺の母さんかっての」
いい格好しいの俺は、浮かべていた喜色を隠し、素っ気ない態度を取ってごまかした。
「うわ……母親呼ばわりとかないわー。後学のために教えてあげるけど、女子は母親扱いされるのホントに嫌がるからね?」
それから二人は微妙に間を開けながら通学路を歩く。
鞄を持つのとは逆の手が、触れそうで触れない距離。
友人と呼ぶには近く、恋人と呼ぶにはやや遠い。
二人の関係性を表すのに適切な距離間だ。
「あー、えっと……最近どうだ? 大学の方は……」
「ようやく慣れてきた感じかな……って、そっちこそ私のお父さんかっての」
我ながら不器用な会話の切り出しから、俺たちは会話を再開する。
「俺の方はさ……ほら、どうかな?」
「どうって……なにが?」
得意気にキメ顔を作ったつもりだが、美咲の反応は薄い。
「気づかないか? 前髪を3ミリ切り揃えてみた」
「女子か。というか、切り揃える前髪ないでしょ、君」
短髪を生かした期間限定の雑なボケに、適当なツッコミが入る。
互いに気張らず応対するあたり、いつもの調子を取り戻しつつあった。
「あれ、その手は?」
頭髪を弄る俺の手が、美咲の目に留まる。
「あー、これか……」
この手には包帯が巻かれてある。
昨晩、紫痕症らしき痣をどうにかしようと錯乱した末に、振り下ろしたカッターナイフは、結局手の甲を逸れ机の上に突き立てられた。
刃が手を傷付ける寸前で、理性が働き臆したのだ。
つまり包帯の下は、まったくの無傷だということだ。
「ちょっと引っ掛けて……まあ、大した怪我じゃないんだけど、一応な」
「気を付けてね……大事な利き手でしょ」
「……どうだろう」
いずれ故障した膝を完治させた俺が、選手として復帰を果たす日を思っての言葉だろう。
左手の怪我と言うのは、その場しのぎの嘘であり、包帯は痣を人目から隠すために巻いたものなので、本気で心配されるとばつが悪い。
美咲のことだから、俺の嘘など見抜いている可能性がある。
しかし、だからといって簡単に真実は明かせない。
仲違いとは別に、美咲と距離を置こうとしていた理由のもうひとつは、ほぼ無自覚、ほぼ無症状とはいえ、この身が感染症に罹っている可能性があること。
(いやいや、まさかそんな……)
一晩明けて深夜テンションが過ぎ、冷静になってみればあり得ない話だ。
公表されている感染者数を鵜呑みにするのなら、紫痕症の罹患率は何万、何十万人に一人の割合だ。
毎年平均1000万人の感染者を出し、十人に一人という罹患率のインフルエンザと比較してみても遥かに少ない。
身近な人間に感染者が出たという話もなく、それなのに手の甲にちょっと奇妙な痣が浮かんだくらいで取り乱した。大した確証もなく感染を疑ってしまうなど、どうかしていた。
(良くないことが続いたせいで、つい重く捉えてしまってるんだ……そうとも。俺に限って病に罹るはずがない)
俺は心の中で感染を強く否定し、全ては気のせいだと言い聞かせる。
人はそれを希望的観測、または正常バイアスという。
(……空気感染はしないらしいけど、念のため気を付けた方がいいかもな)
隣を歩く美咲を盗み見る。もしも彼女に病を伝染してしまったらと思うと気が気じゃない。
(やっぱり誘いは突っぱねるべきだったか)
万が一この身が感染しているのなら、登校などもってのほか。
表を出歩くなど、感染を拡大させる軽率極まりない行動だ。
大人しく自室に籠り、活動を自粛するべきだろう。
(けど、それじゃあ自分が病に感染していると、肯定してるみたいじゃないか)
浮かんでは消え、消えては浮かぶ。
堂々巡りの苦悩を振り払おうと努めるが、考えないようにすることは、それ自体考えることと同義であり、無意識を意識するような方法では、払拭し切れずにいた。
(……不安を解消するためにも、やはり検査を受けないとな)
散々悩んだ末、明日にでも病院で紫痕症の検査を受ける決心をする。
そして縁起でもないことだが、検査の結果次第では、しばらくの間、こうして美咲と並んで登校するどころか会うことすら難しくなるだろう。
ならばせめて、美咲の姿をこの目に焼き付けておこうと、再びその横顔を盗み見る。
見慣れたはずのその顔は、時々に趣を変化させていき、ちっとも見飽きることがない。
(ああ……そうだな。とても――)
その先は、とてもじゃないが照れ臭くて言えない。たとえ頭の中だとしもだ。
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