Scene.2 陰気な通院
拙い文章ではありますが あなたの心に触れられたら 幸いです
平日午前中の病院は、健康な若者にとって縁のない世界だ。
窓から自然光が差す薄暗い院内には、体に不調を抱え生気のない老人の姿ばかりが目につく。
非常にも無情。
いつかお前も老いさらばえて、あのようになるのだ。
そう暗に示されているみたいで不愉快だった。
入院中もそうだった。まったくもって気が滅入る場所だ、と独り言つ。
「まだ信じられない。まるでタイムリープでもしたみたいだな……」
検査のために戻って来た病院の陰気なロビーにて。
中庭を望む窓ガラスに、うっすらと写る自分の像を見つめながら、男子学生ことその少年――此の少年はその身に降りかかった悲劇を振り返る。
―—あの日……事故に遭ったあの日、目の前にトラックが迫り視界が暗転したと思ったら、次の瞬間には療養病床の上で白い天井を見つめていた。
瞬く間に季節が巡り、気がつくと17から18へと歳を重ねていたのだった。
18歳。世間ではもう立派な成人だ。
大人になれば、何でもできるようになると思っていた。
心身共に成熟し、つらいことや悲しいことは全て克服するのだ、と根拠もないのに信じていた。
けれど、やはりというか、どうやらそうもいかないということを、此の少年は身をもって知る。
受付を済ませて待合室に到着した此の少年は、本棚の中から何気なしに一冊の絵本を手に取る。
夢や希望。
美しい友情や真実の愛。
愉快痛快な勧善懲悪と恒久的な平和。
幼い頃に憧れた物語の世界は、およそ180センチメートルの高さから見渡してみても存在せず、あれは誰かの願いが込められた幻だったのだと悟った。
此の少年が色とりどりのページをめくり、その上に目を滑らせていると、どこからともなく現れた幼児が、体を預け絵本を覗き込んできた。
そして困惑している年長者を見上げると、次のページをめくるよう目で訴える。
この少年は周囲を見渡し幼児の保護者を探すが、それらしい人物はいない。
やれやれ仕方がないな、とため息交じりの此の少年が、しばらくの間、求められるがままに朗読劇を開催していると、幼児を探していた母親がようやく現れて、申し訳なさそうにお辞儀を繰り返す。
そうしていると自分の順番が回ってきたので、此の少年は絵本を幼児に渡し診察室へ入った。
現実の人生は苦悩にまみれている。
この世の不幸を数え上げたらキリがなく、それらを紛らわすように散りばめられた幸福はわずかばかり。
命は誕生した瞬間から、決して逃れえない死という爆弾を背負わされ、老いにしろ、病にしろ、いずれ破滅が確定されているのだから、人生の本質はどうしたってネガティブ寄りに傾く。
現代社会において、死が最も身近にある場所にいるせいだろうか、此の少年はそれはもう暗い死生観をひとしきり頭に巡らせる。
ひとつの検査を終えたら部屋を移動して、また順番がくるまで待機。今日はこれをあと数回繰り返さなければならず、此の少年何度目かの溜息を吐く。
こういった具合に辛気臭く、またとりとめのないモノローグを垂れているのは、此の少年が齢18にして絶望の淵に立っているからだ。
1年もの間、此の少年は昏睡していために、身の回りの環境は激変していた。
高等学校三年生だった此の少年は、入院している間休学状態だったので、もう1年やり直さなければならない。
幼馴染の少女を始め同学年の友人は、先に卒業してしまった。
見知った教師や、以前は後輩だった現同級生たちからは、仲間から取り残された可哀想な者として腫物扱いだ。
運動神経に長けた此の少年は、かつてはスポーツ特待生として名を知られ、プロ入りも確実といわれた有望株だった。
周囲の期待と称賛を一身に浴びていたが、今やそれも過去の話。
医者も目を見張る脅威の回復力とリハビリにより、日常生活を送れるくらいにはなったが、いまだ全快とは言えず、再び選手として復帰できるかは不明だ。
頼りにしていた推薦の話も流れてしまっていた。
両親がおらず、経済的に進学が厳しい此の少年にとって、援助が受けられないのは大打撃だ。
――ふざけるな。
此の少年は怒りに震えた。
たった数秒における不慮の事故で、十数年に渡る人生が台無しにされる、こんな不条理なことがあってたまるか。
無論、事故を引き起こしたトラックの運転手には然るべき制裁が下されたが、そんなことはどうでもいい。
いくら被告人が罰せられようが、失われた空白の1年は二度と戻ってはこないのだから。
——どうすればいいんだ。
此の少年は悲観に暮れる。
学業。
友人。
将来の展望。
青少年のアイデンティティを成すそれらの要素を一気に失い、自分に一片の価値も見出せなくなってしまった。
だから心は荒んでいく。
いっそ開き直り非行に走って、他人の迷惑を顧みない若者、いわゆる不良にでもなってしまおうか。そうしたら鬱屈とした気分も少しは紛れるのかもしれない。
校舎の屋上で教師の目を盗んでタバコを吹かし、繁華街の路地裏でケンカに明け暮れ、深夜の住宅地をバイクで暴走もとい珍走するのだ。
そうすれば世間のどこに出しても恥ずかしい非行少年に――と、此の少年はそこまで考えて、ステレオタイプな不良になる妄想をしぼませる。
もとより不良はなろうとしてなるものではなく、落ちるべくして落ちるもので、あれやこれやと思索しているあたり、端からやさぐれる適性がないのではないのだろう。
スポーツにひたむきだった此の少年は、半ば真面目なせいで、そこらの半端者より半端な我が身を呪った。
ひょっとすると、酸いも甘いも噛み分けた大人たちは、此の少年の苦悩など、まだ社会に出たこともない青二才の世迷言だ、と一笑に付すかもしれない。
『人生は長く、君はまだ道半じゃないか! 今は苦しいだろうけど、それがすべてじゃない! 諦めるのは早計だ! 夜が必ず明けるように。雨がいつか止むように。未来はきっとすばらしいぞ!』
頭の中に浮かぶ仮想人物が、人生相談所のマニュアルにでも書かれていそうな文言を用いて、ご高説を垂れる。
ありふれた正論は、安全地帯から囃す外野の一方的な見解だ。個別の悩みを抱え渦中で足掻く当事者には響かない。
――ウン十年先の話など知るか! 俺は今つらいんだ! 1分1秒が重く苦しくて堪らないんだ! 教えてくれよ、今すぐ楽になる方法を!
此の少年の切実な訴えに対して、仮想人物の返答は7度日が沈んでも上がってこなかった。
ご高覧いただき ありがとうございました 次回へ続きます
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