Scene.19 PTSD
拙い文章ではありますが あなたの心に触れられたら 幸いです
世界が真っ赤に染め上がる。
血の赤。
激情の赤。
勝敗は決した。悠然と構えるカラスとうなだれる白鳥。勝者と敗者は明白だ。
離れたところで、闘争の一部始終を傍観していた俺は、結果を喜ぶでも悲しむでもない。その傍らには、俺の動向を見守るようにしてアリスが佇立していた。
それからのことは、よく覚えていない。
とにかく、あっという間の出来事だった。
鳴り響く銃声。
崩れ落ちるアリス。
俺は管理局員に殴り掛かって……あり得ない速度で早まる鼓動。
世界が遠のき、そして――世界は真っ赤に染め上がった。
「………………」
(――――――眠れない)
いまだ冷めやらぬ悪夢の中に居る。
俺は薄闇の中でベッドに横たわり、何度目かわからない寝返りを打つ。
(心臓の音、うるさいな……)
心身共に疲れ切っているはずなのに、日中の緊張が解けず中々睡眠のスイッチが入らない。
うとうとして、もう少しで眠りに落ちそうだというときに、なぜか意識が跳ね起きる。
(ひょっとして、このまま一生眠れないんじゃないか?)
寝ようとして焦れば焦るほど、ますます目が冴えてゆく。
もはや、自分が普段どうやって眠っていたのか分からない。
まるで、回送電車に独り取り残されているような感じだ。自分だけ明日という目的地で降りられず、終わらない今日に囚われている。
(ダメだ! 一端、気分を変えよう)
固く閉じていた瞼を見開く。
ここはケーキ屋の二階。
アンティーク調の家具で統一された、手狭ながら落ち着いた雰囲気の客間。突然の来訪にも関わらず、店主に快く迎えられて、俺が宛てがわれた部屋だ。
店主いわく、今回のようにワケありの客人を泊めることは珍しくなく、常にその為の備えがあるそうだ。なのでカラス以下三名が、しばらく滞在する話はすんなりと決まった。
実力主義を謳っていたカラスだが、ソファーベッドのある客間を俺にあっさり譲ると、バックヤードに引っ込んで行った。
同室で休むという選択肢を取らない理由は謎だったが、きっと早急に休息を必要としていたのだろう。本人は強がっていたものの、弱みを見せたくなかったのかもしれない。
(あんな戦いの後だしな……)
砂嵐。怒号。硝煙の臭い。昼間の光景が頭の中でぐるぐると巡っている。
(クソ……こんな調子じゃ、眠れるわけがねぇ……)
現在の時刻を確認しようと、枕元に置いてあった携帯端末を手に取る。
液晶画面をタップするが、どうしてか反応せず何も映らない。
繰り返し画面を弾くが、焦る持ち主とは対照的に、やはり端末は沈黙したまま、うんともすんともいわない。
(壊れた? 修理にどれくらいの費用と時間が掛かる? まだそんなに長く使ってないのに、姉さんに叱られる……)
などと憂慮するが、しばらくして携帯端末のバッテリーがないのに気づき、舌打ちを鳴らす。管理局の追跡から逃れようとして、自ら外していたことを思い出した。
さて、それでは時刻を確認するにはどうしたものか。薄闇の中、彷徨わせた視線が月明りに照らされた壁時計の上に止まる。
デジタル世代の俺は、あまり見慣れないアナログ時計に少し戸惑うが、さすがに読めないなんてことはない。
時計の短針が指し示すのは、数字の2が書かれているところで、長針はそこを少し過ぎ1に重なっている。
「2時間5分……丑三つ時か」
点検するように、そう呟いた。
デジタル表記のほうがよっぽど便利なのに、なぜ現代にこんな骨董品が残っているのだろう。
それとも人によっては、案外これはこれで使い勝手のいい物なのだろうか。
「心底、どうでもいい話だな――ん?」
時計に注いでいた視界の隅に人影が入る。
目を凝らすと、向かいにあるソファーに等身大の人形が座っていた。
「う、お……」
(軽くホラーだな……)
生気のない目を半開きにして放置されている人形は、薄闇もあって得も言われぬ不気味さを醸し出していた。
「それにしても、よく出来てるな……誰の趣味だ?」
この家にあるのだから、普通に考えてマスターの私物だろうか。
(独り身の男が、少女を模した等身大の人形を……?)
精神衛生上、あまり深く考えないほうが良さそうだ。
「ふむ」
人形を覗き込み、まじまじと観察する。
生身の人間と見紛うほど、かなり精巧に造られている人形だ。
俺も流行りのゲームやアニメなどは嗜むものの、こういった趣向……いわゆるオタク趣味には、あまり関心がない。けれど、なぜだろう。目の前の人形には興味を引かれる。
(この人形、以前どこかで……)
「……ふむ」
ちょっとした好奇心から、人形に着せてあるスカートの裾を摘まむ。
周囲に人が居ないのを確認すると、好奇心の赴くままに未知の解明を――……。
「……アホか。何やってるんだ、俺は」
自分の愚行を戒めスカートから手を放す。
「特殊なシリコーン製です」
そこで突然上がった声に、俺は肩を跳ね上がらせる。
「熱可塑性エラストマーのほうが安価で手頃ではあるのですが、そうなるとやはり質感が――」
「ア、アリ――お前か、心臓に悪いな……」
(一瞬、人形が喋り出したかと思ったぜ……いや、すでに喋り出しているんだっけか)
後ろを振り返ると、扉の隙間からアリスがこちらをじっと覗き込んでいた。
(み、見られてた? いつから?)
今しがたの変態行為を目撃されていた可能性に、俺の額から冷や汗が伝う。
(お天道様が見ているじゃないが、悪い事はするもんじゃないな……)
「――人形作りに造詣の深い刻印者が、刻印を用いて手掛けた代物です。精巧な作りもさることながら、生物さながらに動くことで、見る者の錯覚を引き起こすそうです。無機物である人形を、自分たちと同じ血の通った人間であると。まあ、流石に触れたら偽物だとわかりますが」
「な、なるほど……つまりお前の所有物か」
やけに饒舌に詳細を話す様子が、人形の持ち主が誰であるかを如実に物語っている。
「……あ、えと……そ、そう、だよ。鈴木が操るスペアの素体」
アリスは、自分が一方的に話していた状況を顧みて、気まずそうに目を泳がせた。
(本当に人間そのものだな……でも、人形を操っているんだろ……?)
「お前のことは、何て呼べばいいんだ? イリスか? それとも、やっぱりアリスか?」
「こ、この姿のときはイリスかな……一応、潜入任務だし」
「潜入ね……ハァ、また騒ぎになるのは勘弁だぞ」
イリスの口から出た不穏な単語に、俺はゲンナリする。
「ひ、酷い汗だね……待ってて、換えのシャツを持ってくるから」
寝苦しさとなんやかんやで、汗に濡れていた額を袖で拭っていると、イリスが気遣ってくる。
「ああ、いいよ。自分で何とかする。どうせ眠れないしな……」
日の出まではまだ時間があるが、とうに眠気は吹き飛んでいる。
「ひ、昼間のことが相当堪えているんだね……PTSDかな」
「PT……?」
「"Post Traumatic Stress Disorder"ショック体験をしたことにより、その後も精神的苦痛が続く心的外傷後ストレス障害のこと……らしいよ。たった今、中の人がネットで調べた」
「お、おう……あ。戦場帰りの兵士が~っていうアレか?」
戦争ものの映画や、某国の退役軍人のドキュメンタリーなどで聞きかじった情報だ。
「う、うん。他には凄惨な事件の被害者などが発症するって……」
「それが、俺にも起こったっていうのか……冗談だろ。病はもうたくさんだ」
俺は精神病の患者に見るように、まず自身が患っていることの否定をしたのだった。
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