Scene.18 掃き溜めの道・後
拙い文章ではありますが あなたの心に触れられたら 幸いです
下水道を行くカラスの後ろを、俺は重い足取りで追従している。こんな如何にも怪しく危険な男を頼らざるを得ないなんて、まったくもって不本意だ。
この頃にはもう、俺たちの間に対立関係が出来上がっていた。離れた位置を歩く仏頂面の男二人が、互いに顔を逸らして嫌味を応酬する。会話のドッヂボールだ。
「――と、そうだな。ここまで話して大方予想が付いているとは思うが、ひとつ忠告しておこう。俺は子供だからといって、特別扱いするつもりはない。重要なのは年齢ではなく当人の能力。刻印者に老いも若きも関係ないからな」
「そうだな。俺も能力がないのに、肩書にかこつけて威張り散らす奴は嫌いだ。それで? 頭を下げるなら肩を貸してやるぞ」
投げ付けられた嫌味を負けじと返して、俺は鈍足のそいつをズンズンと大股歩きで追い抜いた。
カラスは管理局の手によって、長期にわたり投獄されていたらしく衰弱が著しい。足を引きずりながら歩いている。
気に食わない野郎だが、長期にわたる入院生活の末に、衰弱していた俺は、多少なりとも同情心が湧く。
「問題ない。なにせ巷では"三本脚のカラス"で通っているくらいだ」
カラスは路傍に転がる錆びた鉄パイプを拾い上げて、杖の代わりとして使う。不自由な脚を懸命に動かすと、余計なお世話だとでも言うように俺を押し退けた。
「どれだけ打ちのめされようとも、立ち上がるための脚は……こいつがくれる」
そう言うとカラスは、自身の背中に刻まれた印を微かに浮かび上がらせた。
(脚の不自由は苦痛だけど……そういえば、この男は謎パワーで宙に浮けるんだったな)
急な膝の不調から、街中で歩けなくなる非常事態。それを俺は体験済みだ。
その時は、結構な恐怖を感じたものだったが、しかし、カラスの場合は仮に両足が使えなくなったとしても、不便だけはしないのかもしれない。
「――ん?」
数歩先行していたカラスは、振り返るとこちらに向かって手を差し出す。
(なんだ。偉そうなこと言っておいて、結局頼るのか)
俺は渋々ながら手を貸してやろうと歩み寄る。
「何を勘違いしている。携帯だ。所持している携帯端末をこちらに渡せ」
「あ? 何で?」
「通信から足が付く。俺が預かろう」
管理局が通信会社に協力を要請すれば、携帯端末を通して位置情報を割り出される、カラスはそう続けた。
「なら電源を切る。それで文句ないだろ」
交友関係を記すアドレス帳を始め、電子マネーによる決済履歴など、現代人の生活必需品である携帯端末は個人情報の塊だ。他人の手に渡すのは抵抗がある。素性の知れない相手となればなおさらだ。
また決して安くないそれを、簡単に手放せるほど、学生のお財布事情は豊ではない。
第一、今はダメでも、いつかまた使える日が来るかもしれないではないか。放棄するなんてとんでもない。
そんな俺の意見は「見通しが甘い」と一喝される。携帯端末を寄こすよう重ねて要求を突き付けられる。
両者一歩も譲らず重い沈黙が流れた。
「……先が思いやられるな」
先に折れたのはカラスのほうだ。
携帯端末を放棄させるのを諦めると、俺を置いて先に下水道を行くのだった。
◇◇◇
これで何度目の角を曲がっただろう。
下水道は、似通った景色が複雑に入り組んだ迷路だ。俺は自分の現在位置など、とっくに分からなくなっていた。
(気を失っている間に連れて来られたんだ。端から道筋も何もないけど……)
もしも案内役のカラスに置いて行かれでもしたら、迷子どころか都会のど真ん中(地下)で遭難でもしそうだ。
(現代人が遭難とかあり得ねぇ……)
そんな一抹の不安を抱えつつ進んでいると、果てしなく続くと思われた下水道も、ようやく終わりを見せる。
「おい、どういうことだ。行き止まりだぞ」
「そこから地上へ上がる」
一見、行き止まりのような通路だが、カラスが指し示す暗がりに目を凝らせば、壁から天井の溝に掛けて梯子が付いていた。
片足を庇いつつ器用にそこを登るカラスに続き、錆びてグラつく足場に肝を冷やしながらマンホールを抜けて地上に這い出した。
「……カフェか?」
「あるいはバーやパブか、そう思うだろ? だが店主いわく"街の明るいケーキ屋さん"だそうだ」
下水道を抜けて到着したのは、一軒のケーキ屋だった。
アンティーク調の外観。ガラス越しに覗く店内には飲食スペースがあり、カフェのような印象を受けたが、なるほど正面にある大きなショーケースには、売れ残ったいくつかのケーキが並んでいる。
カラスが言うには、有事のさいのセーフティーハウスとのことらしい。
すでに営業時間は過ぎており、店は閉まっている。
「人目に触れる、ボサッとするな」
closeの札には目もくれず、扉に取り付けれられた鐘を響かせ店内へ入っていくカラス。
「すいませんね、お客さん。本日はもう閉店で――」
俺たちを迎えたのは、カウンターの奥で食器を片付けていた店主と思しき人物。
眩い禿頭と整えられた口髭が特徴的な、初老の男性。
背丈はそこそこだが、体付きががっしりとしているので実際以上に大きく見える。
肌の色が浅黒いこともあり、その風貌はパティシエというより、大工や漁師というほうが説得力があった。
(なんだろう……初対面のはずなのに、既視感を覚えるおっさんだ)
小学校の通学路で、外飼いされていた大型犬に似ている気がする。
(もちろん、見た目じゃなくて雰囲気というかなんというか……)
人懐っこい犬だったけど、当時は……当時からビビりだった俺は、姉と美咲に守られながら魔の通学路をやり過ごしていた。少し恥ずかしい思い出だ。
「お久し振りです、マスター」
カラスが前に出て一礼する。
傍若無人な奴だと思っていたが、そこは大人。一応目上の人間に対する礼儀は弁えているらしかった。
(いや、誰だよ……)
俺の戸惑いは、初対面の店主に対するものではない。
それまでの傲慢な態度とはうって変わり、まるで別人のように物腰の低い姿勢を見せるカラスに対してだ。
「おお! 大将、あんただったか! 入るときは裏口からにしてくれよ」
「付けられてなどいませんよ」
「しっかしまあ、酷ぇザマだな。最初、誰だが判らなかったぜ。どっと十年は老け込んでるねぇ!」
やたら威勢のいい店主は、恐縮しているカラスの背中を叩き笑い飛ばした。
それから二人は、世間話を交わしつつ今後の方針などを話し合う。
入り口で棒立ちでいる俺など、完全に蚊帳の外だ。
「行儀よくしろよ」
会話の合間に振り返ったカラスは元の姿に戻る。しかも、さりげなく店主の耳に届かないよう、声も抑えてあった。
(なんという変わり身の早さ……刻印に関する奴は、どいつもこいつも役者だな)
店主に見せていた柔和な笑顔は、あくまで営業用ということか。
予めこの仏頂面を拝んでいなければ、カラスの人となりを見誤っていたかもしれない。
「そう警戒しなくていい。刻印こそ有してはいないが、彼は我々の理解者であり、良き隣人だ」
冷めた視線を向けていた俺に、これまたカラスは何を勘違いしているのか、店主の人となりを紹介する。
「理解者? でも、それは……」
カラスの説明を訝しく思い、視線を店主へ向ける。
「なーに、バレなけりゃいいんだよ、バレなけりゃ。お偉いさん方が紫痕病の真実について公表しないのと一緒。隠し通せんなら、そいつぁ端っからないのと同じ、そうだろ?」
「は、はぁ……」
特に悪びれる様子もなく店主は言ってのけた。
だが、俺の認識が正しければ、感染者と知りながらそれを匿うのは、犯罪者の逃走幇助とまではいかなくても、それに近い罪に抵触するはず。簡単に片付けられる話ではない。
なぜ、ただの一般人と見受けるケーキ屋の店主が、危険を冒してまで刻印者の肩を持つのか。
身を預けるのに信用の足る人物か。
もしかしたら、味方のフリをして油断を誘い、管理局に突き出す算段ではないか。
(でも、それは何の為に? 店主も実は管理局側の人間なのか……?)
そんな疑念が俺の頭に浮かぶが、それを店主本人に直接問いただすのは、さすがに躊躇われたので、湧き出す猜疑心を押し込めて口を噤んだ。
紫痕症を患ってからというもの、他人の目に過敏になり、どうにも疑り深くなってしまっている。
「社会の爪弾き者の刻印者といえど、どこにも居場所がないわけではない。捨てる神あれば拾う神あり、ということだ」
とは、気色悪い愛想笑いを張り付けたカラスの弁。
「ま、今は色々とつらい時期とは思うがね。あんまり思いつめるんじゃないぞ。人生は長く、あんちゃんはまだ年若い。諦めない限り、道は必ず開かれるってもんだ」
(その言葉は……なんだかなぁ)
月並みな励ましではあるものの、カラスとの対比もあり、店主がとてもまともな大人に思える。少なくとも表面上は。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
「!?」
不意に横から掛けられた聞き覚えのある声。その声に俺は閃く。
思い起こすのは、礼儀正しく不自然なまでに徹底した丁寧語。
しかし、そこに敬意は込められておらず、歯に衣着せぬ物言いをする。
灰の景色を一望して、語られたのは世界の真実だったか。
類稀なる容姿に相応しい美声の主。それは、ずばり――。
(アリス! 生きていたのか!?)
「お前――は……」
反射的に振り向いた俺は勢いを削がれる。膨れ上がった期待も瞬く間に萎んでいった。
そこに居たのは、予想に反したウエイトレス姿の見知らぬ少女だった。
尋ね人のアリスは、十人が十人振り返るような美少女だったが、目の前の少女は整ってはいるものの、どちらかと言えば地味目な顔立ちだ。
髪型ひとつとっても、ボリューミーな長髪とは対照的に、こちらはベリーショート。
双方の共通点と言えば年齢くらいで、アリスとは似ても似つかない少女だ。
「ど、どうかした?」
「あ、いや悪い、人違いみたいだ……」
凝視している俺に対して、少女は気の弱そうな声音に恐れの色を加える。
「おかえりなさい? 困るなぁ、イリスちゃん。ウチそういう店じゃないから」
給仕服から連想したのだろう。ウエイトレス業務を、メイド喫茶のそれと誤解している少女を見て、店主は困惑している。
「イリス?」
「えっ? あ、はい……鈴木イリスと言いますが、何か?」
(色々、紛らわしいな……)
「わ、渡された衣服があまりにフリフリしていたので、てっきりそのようなサービスも行っているのかと……」
「そりゃまた偏った情報だなあ……大将、無垢な少女に妙な趣味を吹き込むもんじゃないぜ」
「俺ですか? 勘弁してくださいよ……」
給仕服に関する偏見の出所として、嫌疑を掛けられたカラスは、言いがかりだとばつが悪そうに苦笑いを浮かべる。
「に、似合うかな?」
イリスと呼ばれる少女は、着慣れぬ服に興味津々といった様子だ。くるりとその場で回転。しきりに自身の格好をチェックしている。円舞曲を踊るかのようにスカートをひらめかせた。
「――違う……いや、やっぱりそうだ――アリス。やっぱりそうだ……アリス、だよな?」
優雅なダンスに見惚れていた俺の口から、そんな言葉が零れた。
確証はない。突拍子のないことを言っている自覚はある。
目の前で踊る鈴木イリスの顔は、記憶の中に住む佐藤アリスとはまるで別人だ。話し方や性格だって違う。
けれど、感情が伴わない硬質な表情。似た声質。大仰な仕草。見た目以外では、双方には類似点も多い。何より、俺の直観が双方が同一人物だと告げている。
「また逢えましたね」
俺の疑問に対する答えとして、イリスはアリスが学校の階段の上で言ったセリフを、一字一句変わらずに述べた。
それは異なる姿の二人が、同一人物である何よりの証明。
俺の心が、俺の体が、歓喜に打ち震える。
「生きていた……! でも、どうして……」
どのようにして、あの状態から蘇ったのか。別人の姿になっているのか。俺の疑問は尽きない。
本人の口から聞いても、まだアリスの生存が信じられず、思わず近寄って銃弾によって穿たれたはずの額に触れようとする。
「お客様。当店はお障り禁止です」
そうしたら、アリスはくるりと身をひるがえして、俺が伸ばした手からすり抜けた。
「私の刻印は、無機物に己の意識を転移させ、自在に操るものでして。たとえ転移先の物体が破壊されてしまっても、本人さえ無事ならば、これこの通りへっちゃらなのです」
眩暈を起こしそうな説明は、このさい思考の外に置く。深く追求しても頭痛の種が増えるだけだ。
「あぁ……まあ、なんにせよ、無事でよかった……」
「心配してくれていたのですか?」
「そりゃあ……いや、何でもない。目の前で死なれたとあっちゃあ、寝覚めが悪いだろ」
アリスのことを散々冷たくあしらってきたので、真正面から問われると答えづらい。俺は気まずさを感じつつ、ぶっきらぼうに言い放った。
「素直ではありませんね。それともこれが、俗に聞く"つんでれ"というものでしょうか? ほうほう、これは興味深い」
「ハァ……あのな、俺は……」
実りのない俺たちのやりとりに、ウンザリした様子のカラスが、雑談は終いとばかりに手を打ち鳴らす。
「まずは長の名において、お前を組織へ歓迎しよう」
「組織?」
「そう。"組織"だ。実体無き非公式団体の我らは、定まった組織名を持たない」
カラスは得意気に口角を吊り上げる。それは正義の味方というよりも、悪の親玉が浮かべるように影のある笑みだった。
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