Scene.20 絶望の先へ
長文失礼します
拙い文章ではありますが あなたの心に触れられたら 幸いです
「どうぞ」
一階にある飲食スペースのテーブル席。そこに座る俺の前に、湯気が立ち昇るマグカップが差し出される。
「……サンキュ」
カップの中に息を吹き掛けてから一口含む。
「――!?」
次の瞬間、舌先から鼻の奥にかけて電流に似た衝撃が走った。
カップの中で揺らめく人物が、険しい表情を浮かべている。いつぞやのように、吹き出さなかったこと褒めてやりたい。
「これ……何を入れた?」
謎の白い液体もといホットミルクを入れてくれた、イリスに問い掛ける。
「か、体が温まるように生姜とリラックス効果のあるシナモン、あとは香りづけにバニラエッセンスなど隠し味を少々」
「少々ね……ちなみにだけど、人形の体でも味覚は感じるものなのか?」
生身とは異なり、人工物であり、言ってしまえば偽物の体のイリスだが、こうして自然に受け答えを可能としていることから、人形を通して本体の人間と五感を共有しているものと推測される。
(一人称視点ゲームをプレイする感覚かな? 視覚や聴覚はまず機能しているとして、その他の嗅覚や味覚とかはどうなってるんだ?)
「に、人形の体には消化器官がないから飲食は無理だし、味覚は本体と共有していないよ」
(飲食を必要としないとは、そりゃあまたずいぶんと便利な体で……待てよ、それを動かしている人間、いわゆる中の人は別か)
人形の体だとしても、それを操っているのは人間なのだから、裏で生理活動は行われていると見ていい。24時間365日無休で働けますか、とはならないはず。
(となると、人形の動力源は中の人由来? それとも……いや)
刻印を用いて人形を遠隔操作する。イリスの稀有な能力について興味は尽きないところだが、目下の議題は、イリスの致命的までの味覚オンチについてだ。
「なるほどな。どうりで……」
イリスの弱点を垣間見た。料理下手あるある。提供されたホットミルクは隠し味がまるで隠れていない。
そもそも味オンチ以前に、調味料の適量は経験で分かるものだから、普段料理自体しないのだろう。
「――そ、そういえば、昼間のお礼がまだだったよね」
「お礼?」
並々と注がれている漢方薬いやさホットミルクを、恨みががましく見下ろしながら二口目を躊躇していると、イリスが姿勢を正して一礼する。
「み、自らの危険を顧みず、協力してくれて……ありがとうございました」
「……別に。逆に俺が助けられたわけだし」
銃撃から庇われて、命拾いしたのは俺のほうだ。
(だから、礼を言うのは俺のほうだ。俺……なんだけど……)
「け、結果はどうであれ、あなたの勇敢な行動は賞賛に値するものだと思うよ」
高所から落ちて来る者を受け止め、拳銃を構える奴に挑んだ。字面だけ見れば、誰もが取れる行動ではないのは確かだ。
(……それが、勇敢かどうかはともかく)
「全部、無駄だったけどな」
(結局のところ、俺は何もしていない。元はといえば……)
あの騒動に首を突っ込み、甚大な損失を被った俺の後悔は、時間を追うごとに増していく。
(後悔をしないために、行動したつもりだったんだけどな)
「そ、そんなことない。誰もができることじゃないよ。それに――」
(謙遜してるとでも思っているのか?)
眠れないこともあり、心身不調な今の俺には、感謝の言葉でさえ向こう見ずを嘲る嫌味に聞こえてしまう。
「…………」
意を決して二口目を飲もうとしていた俺は、カップを口から離してテーブルに置く。
「俺は何もしていない……何もしていないんだ……! 何も望んでこんなっ! ……クソッ!」
当人の気も知らないで褒めそやすイリスに、ずっと燻っていた不満、抑えていた苛立ちが堰を切って溢れ出す。
「――お前たちのせいだ」
「わ、私たち?」
「だって、そうだろ? お前たちに出会わなければ、俺はこんな目に遭わずに済んだ」
俺は自身の手に浮かぶ痣を乱暴に掻きむしる。
ただでさえ厭わしいそれが、落伍者と言わしめるそれが、カラスらと同族の証のようで一層憎らしく感じた。
「お前たちさえ現れなければ――!」
テーブルから顔を跳ね上げ、イリスを睨み付けた途端、俺はハッとなり我に返る。
イリスのただでさえ能面のような顔が、一層冷たく感じられた。怒号を上げる俺に対して、ただ静かに見つめ返す姿は、いつかの美咲と同じだ。
「……こんなのは八つ当たりだ……俺の悪い癖だな……」
また同じ過ちを繰り返している自分を省みる。
つらい思いをしているからといって、周囲の人間に当たるなんて幼稚だ。
そんなことをしたところで、問題は解決しないどころか、人の信頼を失い余計に自分を追い詰めるだけ。
(どうして、いつも俺はこうなのだろう……いい加減、学習しろよ)
うじうじとみっともない。ぐるぐると同じところを回っている。
自分の過ちを理解しているはずなのに、気持ちが追いつかない。
俺は俺であることが心底嫌になる。叶うことなら逃げ出したいくらいだ。
(違うな。そこで逃げ出すという発想が出る時点でダメなんだ)
「刻印は疫病などではない」
店の奥、階段の上から見知らぬ半裸の男が現われた。
「手前の不幸が、俺たちの所為だって? まだそんなことを言っているのか。女の腐ったような奴だな」
「え、えっと、今の時代、その発言は多方面に問題ありそう……」
変質者の登場に身構える俺と、冷静に指摘するイリス。
「紫痕症候群は、致死率の高い極めて危険な感染症。発症して間もなく皮膚に入れ墨のような痣が浮かび上がる特徴が、その名の由来であり、また病を忌避した一部過激な人間からは、烙印などと呼ばれている――」
体から湯気を上げ、水滴を飛ばしながら濡れた髪をタオルで拭く様子から、男は風呂上がりだということが伺えた。
「――感染者は病状が進行するにつれ、狂言や寄行が目立つようになり、社会性が著しく低下することから、疑いのある者は感染拡大を防ぐため、速やかに隔離する必要がある――だったか」
あらかた髪の水気を拭きとった男が、頭から首にタオルを掛けると、その素顔が露わになる。
やつれてはいるものの精悍な面構えで、ひと昔前なら二枚目俳優で通用しそうな見た目だ。
「断じて、刻印は疫病などではな――」
「あんた誰だ? なぜここにいる」
「…………」
説明を遮られて、饒舌に語っていた男が不満そうな顔をする。
俺は見知らぬ男に警戒していた。
ここで重要なのは男の容姿などではない。唐突に表れたこいつは果たして敵か味方か、その一点だ。
「カ、カラスだよ」
「カラスって……まさかあのカラスか? こいつが? …………嘘だろ?」
蓬髪は綺麗に整えられて、男ながら濡羽色。伸び放題だった髭も、今はさっぱりと剃り落とされていた。
以前は、顔の半分以上が毛に覆われ隠れていたが……なるほど、こういう顔立ちをしていたのか、と俺は改めて感心する。
小汚いボロの腰布を纏っていたときは、ともすればくたびれた老人のようにも見えたが、実年齢は三十台半ばといったところだろうか。想像していた年齢よりもずっと若い。
「刻印の発現は後天的なものが殆どで、生まれもっては稀だ。だから外的要因を疑うのも、まあ頷ける」
(なんで、カラスはいつも脱いでいるんだ)
「しかし個人によって刻印の形が異なるように、その因子も様々だ。実際のところ、明確な他者への感染例は報告されておらず、感染症という説は信憑性に欠く」
「どうだか……俺は、あんたたちと出会った直後に発症したけどな」
全ての元凶と思しき出来事が脳裏に蘇る。
紫痕症がはっきりとした形で現れたのは、怪物に襲われていた謎の少女と遭遇した直後だ。
あの夜、怪物と少女の体に奇妙な痣が刻まれていたのを、俺はこの目で見ていた。
どことなく不穏に感じていたが、今なら解る。あれは紫痕症で、少女の正体は別の人形を操っていたアリスだったということが。
全てはあの時から始まっていた。ならば、その出会いに因果関係があると見るのは自然な発想だ。
「偶然と片付けるには、あまりにタイミングがよすぎる」
「それなら、その怪物も原因として疑ってかかるべきだろう」
「それは……」
「この場に居ない、人ならざるモノを恨むのは難しいか。おそらく、その怪物も刻印者が変異したものなんだが……知る由もないな」
「なんだって?」
(あんな化物が刻印者……元は人間だって……?)
「お前が憤るのはもっともだ。刻印が発覚すれば多くを失う。畏怖され、蔑まれ、まるで犯罪者のように追い回されて、仕舞には家族や友人にも見放される」
まるで転落する者をすぐ側で見てきたように、どこまでも暗い展望をカラスは語る。
「過去に積み上げてきたキャリアの如くが水泡に帰す。その後は多くの苦難が待ち受けるだろう。まさしく人生のどん底。はっきり言ってそう、最悪だな」
もしかしたら、自身の経験談を元に話しているのかもしれないが、そこに同情はなく憐憫の欠片もない。
ただ淡々と確信を持って、当事者の俺に現実を突き付ける。
「だが、もしもあの場で我々に出会わなければ、お前はどうなっていた?」
「……管理局」
アリスとの出会いはきっかけにすぎない。
学校などの公共機関では、感染症対策の一環として定期検診が実施されている。
俺が紫痕症を患っていることは、遠からず露呈していたはずだ。
その結果何が起こり、そしてどうなるか。下水道でカラスとしていた問答に戻る。
「だから、お前はイリス当たるよりも、この俺に反感を抱くよりも、まず先に刻印を覚醒したとき、傍に同胞が居た幸運に感謝すべきだ」
「…………」
カラスの言い分は正しいのかもしれない。
素直に受け取れないのは、配慮が足りない高圧的な物言いに対して、まさしく反感が先立ってしまうからだ。
終始一方的なカラスとの会話は、会話であって会話ではなかった。
カラスは結論ありきの持論を並べ、相手の反論を制し最適解を強制する。
よくよく正しく、突き詰めて考えれば、誰でも簡単に行き着く道理を説くのだが、言うは易く行うは難し。世の中、正論だけで回るように整然としてはいない。
「物事には、言い方ってものがあるだろ。自分を賢いと思い込んでいる奴。ダメオヤジの典型だな」
「オジ……」
オヤジ呼ばわりされて、カラスが若干ショックを受けたように口ごもる。
若く見えようが、本人がどう認識していようが、十八歳の若者からすれば、一回り以上年の離れた三十過ぎの男はオヤジに分類される。
年を重ねれば、いずれ自分もなるので、殊更年齢について貶すつもりはないが、事実は事実だ。
人情なりが入る込む隙間はなし。血の通わない正しいだけの言葉は暴力的で、ただただ人を傷付けるのだと、ダメオヤジことカラスと相対した俺は知った。
「遠からず直面することだ。事実がすげ代わるでなし。優しい嘘で濁したところで何になる……いや、年齢のことじゃないぞ? ……であるならば、教え導くのが年長者の優しさというものだろう」
かく言うカラスは、刻印者が成す組織の長を勤めているのだという。
無駄の一切を排する合理的思考。
情に惑わされず、冷徹に取捨選択をする判断力。
いずれも人の上に立つ人間に必要な資質なのだろう。
そんな人間だからトップに立てるのか、トップに立つからそんな人間になるのか。
感情表現に乏しいイリスとは、また違った意味で人間味の感じられない男だった。
「まあ、すぐに順応するのは難しいだろうがな」
俺の気持ちを知ってか知らずか、カラスは一定の理解を示すが、続く言葉はやはり厳しいものだった。
「刻印者となった者の多くが、始めは戸惑いを見せる。諦念から隠者になる者。怒りに身を焼き復讐者になる者。欲望に溺れ狂人になる者。まあ、その後は色々だがな。要はお前次第だ」
「俺、次第……」
最悪の状況に陥っているとしても、まだ選択の余地は残されており、この俺にも選べる未来はあるとでも言うのか。
「過去を悔やんでも始まらない。現状を嘆いても終わらない。例え望まぬ結果だとしても、事実として力を得てお前の世界は一変した。今後、何を成すべきか考えろ。他人の所為にして逃げているうちは、諦めることも叶わないだろうよ」
「ごめんなさい」
カラスが得意になって説教を垂れているなか、不意に零れた謝罪の言葉は、俺ではなくイリスのもの。
今更、謝られてどうなる。
彼女を責めて何の意味がある。
気が晴れるどころか罪悪感が増し、さらに重くなるばかりではないか。
「……謝るのは俺のほうだろ。それと、その……あの時、守ってもらった礼がまだだったな」
気まずい思いから、ぎこちなくなりつつも、ようやく俺は頭を下げることができた。視界の隅で、したり顔を浮かべているカラスが不愉快だ。
(お前に言われなくても、謝るつもりだったっての)
「す、鈴木は、他人の感情の機微に疎いところがあって、その……私は、刻印者として目覚めたとき、失うものなんて一つも持っていなかったから……」
イリスが、身の上を話したそうな空気を漂わせる。
『ドウシタンダ? 話ヲ聞コウカ? ソウダネ。ツラカッタヨネ。ワカルヨ』
少女の弱音に耳を傾け理解を示したフリをする……きっと好感度を勝ち取るのに、この上ないチャンスだろう。
だが、しかし俺は気づかないフリを決め込んだ……湿気っている空気がさらに重くなるような、傷の舐め合いなどゴメンだ。
(恋愛とか、人生によっぽど余裕のある奴しかできない……いや、こいつとどうこうなりたいわけじゃないけど)
自分の気持ちさえ整理できていないのに、他人を慰める余裕なんてあるものか。
相手が刻印に関わる者ならなおのこと。やはり深く立ち入る気にはならない。
視界の隅で、寂しそうに佇むイリスが不憫だ。
こうして社会の落伍者……烙印を押されたひねくれ者の苦難は続き、そしてここから始まるのだった。
Act.1 烙印者・完
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