Scene.13 暴風域・校庭のテロリスト
拙い文章ではありますが あなたの心に触れられたら 幸いです
教室内は騒然としている。
突如として、外からとどろいた轟音と衝撃によって窓ガラスはひび割れ、開始したばかりの五時間目の授業が中断された。
「な、何!? 何なの!?」
「うおおお……ゆ、揺れるっ、大きいぞ……!」
「じ、地震……いや、ガ、ガス爆発か?」
「み、皆静かに! 机の下から頭を出さない! 今、職員室に確認を取るから――」
顔を青ざめた教師が、取り乱す生徒たちを注意していると、教室の扉が開け放たれ、物々しい防護服の男たちがぞろぞろと入室する。
「紫痕症管理局です。現在、学校内に感染者が確認され、これの対処にあたっています。皆さんは我々の指示に従い、どうかその場を動かぬようお願いします」
「……か、管理局だって」
「外の騒ぎと関係がってこと……? 感染者は頭がやられるって話だし……」
紫痕症候群を巡る情報の中には、ウイルスに脳を侵された感染者が、異常行動に走るという俗説がある。
理性のタガが外れ、飢えた獣のように喚き散らし、凶器を手に暴徒化するなどと噂されていた。
「いくらなんでも、そんな……」
「ヤベーだろ……こんなのテロじゃん……」
管理局員の登場により、事の重大性に理解が及ぶと、生徒たちの間に波紋が広がってゆく。
「ど、どどどうしよう……」
「か、帰りたい……」
「センセー、例の留年生がいませーん」
「そこ! 危険だから窓に近付かないように!」
管理局員は出入り口である扉の前に立ち、浮足立つ生徒が教室の外に出て、管理対象と接触しないよう監視の目を光らせていた。
◇◇◇
風速にして凡そ30メートル超。
絶え間なく吹き荒れる暴風により、巻き上げられた土煙は砂嵐となり、校庭は局地的な砂塵地帯と化している。
白鳥以下管理局員は、管理対象のアリスを連行して、正門に停めてある車へ向かっていたのだが、前触れなく発生した砂嵐に行く手を阻まれていた。
「お、おおぉぉ……! こ、この風は、まさか……!」
大量かつ微細の砂粒が、衣服に覆われていない剥き出しの部分、主に顔面に叩き付けられる。鑢掛けのように皮膚を削った。
当然、視界は遮られ呼吸すらまともにできない状況だ。
猛威を振るう砂嵐に、管理局員たちは成す術なくうずくまる。
ただ一人、砂粒が素肌を打とうが、眼球を打とうが意に介さず、平然と佇むアリスを除いて。
「……こちらです」
アリスが呼びかける先、砂嵐を越えた上空に、かすかな人影が揺らめいていた。
◇◇◇
俺は騒動の原因を確かめるべく、美咲の静止を振り切って屋上をあとにした。
焦燥に駆られて、階段を一足飛びに降りる。
「ハッ――ハッ――ハッ――」
上履きから靴に履き替える時間さえ惜み、下駄箱を通過して転がるように外へ。
そこで俺を待ち受けていたのは、いまだかつて遭遇したことのない、不可思議な現象だった。
「ハア、ハア、ケホッ……ど、どうなってるんだ、これ……」
呼吸が乱れているのは、走ってきたからだけが理由ではない。
砂嵐に包まれている校庭で発生しているのは、竜巻のように巨大な塵旋風(つむじ風)だ。
そのあまりの迫力に、俺は身を隠すことも忘れ恐れおののく。
(あいつは……アリスはどうなった……?)
「ぬわああああァアアーーッ!」
突如、塵旋風の中から弾き飛ばされてきたのは、管理局員の一人。
空中で激しく回転し、十数メートルの高さから地面に落下。エビ反りの姿勢で狂ったように痙攣したあとピタリと沈黙する。
「……ッ!」
(し、死んだ、のか……!?)
哀れな管理局員から目を背けると塵旋風へ振り返る。
まるで意思を持ち、校庭内で起こっている何事かを隠蔽するかのように、俺の行く手を阻む。
「これじゃあ進めない……! いったい、中で何が――――ぇ」
俺の意思に呼応した。そう勘ぐってしまうくらいに絶妙なタイミングで、邪魔な塵旋風が消え去る。
周辺は変わらず砂煙が立ち込めているものの、ひとまず前方への道が開けた。
俺は誘われるままに風の裂け目を通る。
大体、校庭の中心まで歩いた頃だろうか。台風の目のように、比較的穏やかな空間が広がっていた。遮られていた視界も限定的だが確保される。
(あれは何だ?)
空中にぽつんと黒い点が浮かんでいる。よく目を凝らして焦点を合わせた。
「――――は? あ、あり得ないだろ……ッ!」
信じ難い光景を目の当たりにして、絞り出すように驚きの声を上げた。
遥か上空に浮かぶ影。なんと、それは空中に投げ出されているアリスその人だった。
先ほどのような塵旋風によって、管理局員共々巻き上げられたのだろうか。
塵旋風が消え去った今、浮遊する力を失い落下を始めている。
「――――ッ!」
(あり得ない。あの高さからだぞ。それこそ共倒れだ)
まさか、自分がこんなお人好しで愚かだとは、この瞬間まで露にも思わなかった。
「……二度目だな。バカじゃないか」
俺は自分と言う人間を知っている。
「バカだろ」
きちんと損得勘定を行ったうえで、自分に利がある適切な行動を取る、浅ましい人間だということを。
他人の目があるところでは体裁を取り繕い、時に善人を演じたりもする。
けれども、その姿を俯瞰している自分だけは欺きようがなく、だから自分が利己的な人間だということは、誰よりも詳しく理解していた。
(繰り返すつもりか? すでに身をもって経験済みだろ)
脳裏に蘇るのは、怪物を前にして恐怖に飲まれたあの夜。少女を見捨てて逃走した苦い記憶。
奇しくも、当時と現在の状況は似通っている。
少女が危機に瀕しており、救うためには自身を投げ出さなければならない。
だからこそ、なのだろう。
――もう同じ後悔は、二度と繰り返したくはなかった。
「この――大バカ郎があああぁぁぁーーーーッ!」
頭の中で算出した答えを破り捨て、胸に秘めた想いは体を突き動かす。
人間ひとりが落下する危険極まりない地点に到達した。
頭上に迫る危機。これからこの身に起こるであろう惨劇。それを予想して俺は全身を強張らせる。
そして――――。
「………………あれ?」
一行にやってこない変化に、固く瞑っていた瞼を恐る恐る開いた。
「別に、避けていただいても構わなかったのですが」
俺の広げた両腕に、すっぽり収まったアリスが言う。
「……マジかよ……重さすら感じなかったぞ……」
アリスの体重が軽いのは、階段で飛び付かれた件により既知の事実だったが、今回は遥かに高所からの落下だ。
普通なら到底無事で済まされるものではないのだが、落下の衝撃は信じられないくらい軽く、決死の覚悟で身構えていた俺は拍子抜けする。
「これのおかげです」
アリスの周りを、薄く柔らかな風による揺らぎが包み込んでいる。それがまるで意思を持っているかのように彼女を守った。
これまた信じ難いことだが、落下の際にクッションの役割を果たし、ダメージを和らげたのだ。
「あなたには、冷徹な印象を受けましたが」
「冗談を言うな。以前は好青年で通っていた俺だぞ」
「完全にメッキが剥がれて、素が出ていますよ」
「お前もな」
俺の豹変ぶりを指摘するアリスのほうこそ、出会った当初から雰囲気がだいぶ変化している。
(要するに、お互い猫を被って化かし合ってたわけだ)
「いや、今はそれよりも――」
視線をアリスから上空へ移す。
「なんなんだ、あれは……」
「"カラス"人の世に巣くう害鳥が」
俺の疑問に対して、偶然にも答えるかたちとなったのは、暴風によろめいている白鳥の悪態だった。
奴が睨み付けているのは、上空から降りてくるひとりの男……。
その男は浮いていた。
学校の校庭で、身に纏うのは破れかかった腰巻のみ。
異様な格好をしている、長身瘦躯の変質者。
だが、浮いているというのは比喩表現などではない。
実際に、何も掴まるところのない空間で宙に浮いているのだ。
「カラス?」
見た目年齢は四、五十代ほど。
伸び放題の蓬髪と髭は、皮脂やら埃やらで固まっており、しばらく|櫛で梳いていないのが伺える。
前髪の隙間から、僅かに覗かせる顔も垢塗れで、だらしないを通り越し不潔でみっともない。
さながら、聖堂の壁画に描かれているような清貧の殉教者。
もしくは無人島に漂流してから、数ヶ月越しに救出された遭難者だろうか。
「忌々しい烙印者風情が! 人間を、この私を見下ろすかッ!」
カラスと呼ばれる男に対して、敵愾心を剥き出しにして、怒鳴り散らすのは白鳥。
そこに先刻アリスを嘲笑っていた時の余裕は見られない。
相手が自分と対等か、もしかするとそれ以上の存在として、脅威に感じている表れだ。
「…………」
いまだ無言を通すカラスが、緩慢な動作で掌を翳した。
「!?」
すると、そこから《《突》》如として《《風》》が発生。
標的にされた白鳥は、姿勢を低くし必死の形相で耐えるが、再び放たれた突風を食らうと堪らずすっ転ぶ。
気障ったらしい男の無様な姿に、俺は胸がすく思いがした。
敵の敵は味方ではないが、カラスに対して好ましい印象を抱く。
「どんな手品だ?」
もはや、驚くのにも疲れて思考を放棄する。
オーケストラの指揮者さながら。腕を振る度に風を自在に操り、空をも飛ぶカラスの芸当を見て、騒動の一因を担い、事情に精通しているであろうアリスの解説を待つ。
「彼の、カラスのコクインによるチカラです」
「こくいん……?」
kokuin――こくいん――響き通り"刻印"と漢字変換するのだろうか。俺にとっては聴き馴染みがなく、日常的には使わない単語だ。
「天に見初められし覚醒者。懐に奇跡の一画を宿す」
どこぞの聖書から引用でもしたのだろうか。天使と見紛う姿の少女は神学めいた詩を詠う。
その一説の通りに、半裸のカラスの身体には、奇妙な痣がびっしりと刻まれている。
嫌な予感がした。痣を見て俺が連想するのはただひとつ。
「……紫痕性症候群だろ。体内に侵入した未知のウイルスが、脳を侵食し精神異常を引き起こす。極めて危険な感染症」
ここ数日の間、我が身に起きた不幸として、紫痕症について調べてきた。なので、他人に解説できるくらいには詳しくなっていた。
「おざなりな説明ですね。そんなデマを信じているのですか?」
「う……」
もっとも、大半の知識はネット上に転がっていた信憑性の乏しいものだ。俺としても、全てを鵜呑みにしているわけではない。
ネット上で乱立している悲観的な見解の多くが、眉唾であっていて欲しいところだが、デマをデマとして否定するには判断材料が不足している。
「ウイルスが宿主をゾンビ化して、操るという噂も聞くが……」
病気ひとつで攻撃性が増し、人格までもが豹変するなど荒唐無稽に思えるが、一般に周知されている病、例えば狂犬病になぞらえて考えると、途端に説得力が増す。
俺が目を通した記事のひとつに、紫痕症は……発熱、麻痺、昏睡、興奮性、幻覚、精神錯乱などの神経症状が現われ、狂犬病に類似した症状が多くあるとして紹介されていた。
「ゾンビ化ですか? 寄生虫に侵されたカタツムリでもあるまいし……」
情報というのは、その裏に必ず発信者が居て人を介して送られる。
この手に届く頃には、すでに誰かしらの主観によって脚色されており、純度が落ちた手垢塗れの状態だ。
もしもニュースの裏にある物事の真相に触れたければ、それなりの地位に就くか、特殊な技能や人脈を持たなければならず、そんなのは選ばれた一握りの人間だけ。
単なる高校生が、一国を揺るがすかもしれない、感染症の真相に迫ろうだなんて土台無理な話だった。
「自分の与り知らぬ世界だからと境界線を引き、大した疑問も抱かず、与えられた情報に踊らされ、まやかしの安寧を享受する。真に平和なことですね」
冷淡に言い放つアリス。
そこに初対面で見せた人懐っこい佐藤の面影はない。
けれど、抑揚のない機械的かつ事務的な口調は、しっかりと無表情にマッチしている。
外見と内面の齟齬による違和感がようやく消えた。
これこそが彼女本来の姿なのだろう。
「悪いかよ。たとえ疑問に感じたとしても――」
「あなたたちは何も知らず、そして知ろうともしない」
「――俺のようなガキに――」
「その無知、無関心が、知れず世界を歪めているというのに」
「――何ができるっていうんだ」
「管理局は嘘を吐いています」
「ッ! 陰謀論者かよ……!」
アリスいわく、世間には伏せられているが、紫痕症には秘められた超自然的なチカラが宿るらしい。
とある筋では刻印と呼んで神聖視し、その印を刻む者を刻印者と崇めているのだと言う。
「取って付けたような説明だな。それこそ、おざなりな情報じゃないか」
誇大妄想も甚だしい。普段であれば歯牙にも掛けないところだろう。
しかし現実として、体中に刻まれている痣を脈動させ、文字通り嵐を呼ぶ異能力者が居るのだから、その妄想を確かなものとして認めざるを得ない。
とはいえ、手放しに信じるにはまだ多くの疑問が残る。
情報ネットワークが、全然構築されていない一昔前ならまだしも、大衆にまで開けた現代において、完全なる情報統制など果たして可能なのだろうか。
国家間の首脳会談における密約や、大企業の役員会議など、一部の人間による閉ざされた席での話ならいざ知れず、紫痕症は不特定多数の中から偶発的に発生する。
その性質から鑑みても、到底管理が可能なものではないはずだ。
「人々が取捨選択する情報、信ずる自由も与えられたもの。なにも封じ込めるばかりが情報統制ではありません。多くのデマを流布させて、真相を埋もれさせるのもまた情報統制です。そういう意味では、雑多な情報に溢れた現代の方が、画策するのに適しているのでしょうね。核心に迫る証言は都市伝説となり、証拠映像はフェイク動画として消費されるように」
真偽の狭間で揺れている俺を見て、好機と捉えたアリスは畳みかけるように主張する。
「そう。管理局は世間に虚偽の情報を流し、異端者として我々をも封じ込めようとしているのです」
異能というかたちで、強力な武力を有する刻印者は、支配者層から潜在的な反乱分子として危険視されているのだとアリスは嘆く。
「まあ、その理由は後付けでしょう。要するに彼らは、自分たちより優れた存在に嫉」
「もういい。やめろ。十分だ。聞きたくない」
聞けば思考してしまう。
思考すれば深入りし、取り込まれてしまう。
この混乱に乗じて、俺を囲い込むつもりなのかもしれないが、提供される情報が危険であることは想像に難くない。
日の下を歩いていれば気づかないけれど、世の中には知らなくていい事がある。恐らく知っているだけで命を脅かされるような情報もあるのだ。
「これが世界の隠された真実。その一端であり、またあなたの真実」
紫痕症もとい刻印に関する秘話を明かしたアリスは、満足げに一息ついた。
ご高覧いただき ありがとうございました 次回へ続きます




