Scene.10 誰でもない少女・後
拙い文章ではありますが あなたの心に触れられたら 幸いです
二人が相対する廊下に沈黙が降り、昼休みの喧噪が遠くで聞こえる。
それを破ったのは、俺でも美少女でもなく、たまたま通りかかった女生徒らの談笑する声だった。
女生徒らは、往来の真ん中で静止している俺たちを訝し気に一瞥して『かわい~』などと女子特有の常套句を連発しながら通り過ぎて行く。
そんな女生徒らを尻目に、視線を美少女へ戻す。
意見の衝突を恐れ協調性を重んじるあまり、良くも悪くも当たり障りのない言葉でお茶を濁す者が多いなか、打てば響き、歯に衣着せぬ物言いで切り返してくる美少女との掛け合いは、新鮮で妙な面白さがあった。
しかし、そのせいで中々会話を切り上げられずにいることが問題だ。
「まったく……一体全体なにを口走ってるんだ、俺は……」
「まったくだよ。一体全体なにを言ってるんだろうね、あなたは」
(大体、怪し過ぎるんだよ)
見知らぬ女が親し気に話しかけてきた場合、その背後を押して知るべし。美人局の類だと疑うのも無理からぬこと。
降ってきた出逢いに心躍らせ、自分に秘めたる魅力がある、などと勘違いをして得意になるなど愚の骨頂。
被害に遭わないための一番の対処法は、会話に応じないことだ。
「もしかして、はぐらかしてるのかな?」
「いやー、どうだろうね。こっちは君の名前だって知らないわけだし」
美少女の確信を突く問いに対して、俺ははぐらかすように明るく振る舞う。
「アリス」
「ん?」
「私の名前はアリス。どこにでもいて、誰でもない少女です」
「えっと……?」
(妙な言い回しだな)
自己紹介の際に他者と差別化を図るため、これと定めている決まり文句だろうか。
(だとすると、結構な痛々しさがあるな……)
「私のキャッチコピーですっ!」
「それはすごいな!」
アリスと名乗る美少女は、そう言って得意げに胸を張る。
「あなたも考えてもらうといいよっ」
「考えてもらう? いったい誰に?」
「私たちの後援者――おっと、ここから先は、まだ秘密っ! どうしてもっていうなら考えてもいいけど……知りたい? ねねっ、知りたい?」
「いや、別に」
「ぶー」
まったくもって興味を引かれない話題に、俺も適当にあしらうと、アリスはわざとらしく不満を口にした。
「それで、一応訊くけど苗字は?」
「佐藤 有栖 。あなたなら特別にアリスで構いませんよ」
「そうかい。それじゃあ佐藤サン」
「人が悪いよっ」
「呼び捨ては性に合わないんだ。以前それで失敗して――失敗? ……いや、どことなくぞんざいな気がしてね」
部活動を通じて、先輩後輩にしごきしごかれてきた俺は、上下関係や呼び名について一家言持ちだ。
「また変なところで律儀だね……」
心の距離を縮める狙いだろうか、ファーストネームで呼ばれることを望むアリスこと佐藤に対して、苗字呼びに徹することである種の予防線を張る。
「佐藤さんさ……あんたって、やっぱり――」
「しっ、待って。連中に嗅ぎ付けられちゃうかも」
アリスは自らの口元に人差し指を当て、こちらに声量を落とすように注意してくる。
「連中?」
「ここは人目が多いね、場所を移さないと……ついてきてっ」
「あ、なんだかとても残念な感じ」
身をかがめてしきりに辺りを警戒する様は、控えめに言って不審人物のそれで、俺は静かに距離を取った。
「否定や拒絶から何も始まらない。だから、この場はYESが正解の選択肢だよっ」
「そんなのケースバイケースだろ」
持ちかけられた話の何もかもに乗っていたら、たちまち詐欺師の餌食。それこそいいカモだ。
「今更だけどさ、誰かと話をする気分じゃないんだ」
そんな心の余裕は、俺にはない。
だって現在、この身体には――。
「あれ? こんなところで何をしてるの?」
「――えっ?」
聞き馴染みのある声が耳に届き、俺の心臓が高鳴る。
俺たちの会話に割って入ってきたのは、件の銀髪とは対照的で、陽光を吸い込むような黒髪の少女、美咲。
佐藤といる現場には、もっとも居合わせて欲しくない人物だ。
「み、美咲がどうしてここに?」
大学生の彼女が高校にいる理由を尋ねる。
「あなたにお弁当作ってきたんだけど、うっかり今朝渡しそびれちゃって……学校の距離も近いし届けにきちゃった」
「あ、ああ……そうだったか……」
「なぁにその態度。私の手作り弁当だぞ? ここは泣いて喜ぶところでしょ」
「も、もちろん、嬉しいよ、うん!」
「うむ。よろしい。これを食べて勉学に励めよ、少年」
「ははぁ」
冗談めかした口調から渡された弁当を、俺は片膝を着き謹んで頂戴する。
「ところで……この辺では見ない子だね」
美咲は、並び立つ俺たちを不思議そうに見比べる。
とりわけ目を引く、美少女アリスに興味津々といったふうで訪ねてきた。
「い、いや、その子は……」
「私の名前はアリス。どこにでもいて――」
「あぁーーっ!」
「わっ!? な、なに、急にどうしたの?」
意味深な態度を取り続け、怪しい人物である佐藤が、美咲に関わることを阻止しようとして、俺は大声を上げた。
「悪いな、美咲。ちょっと急用だ! ほら、ぼさっとしてないで行くぞ、アリスサン!」
「えっ、あ、ちょっと――」
アリスの手を引くと、美咲を残してそそくさとこの場を立ち去る。
◇◇◇
屋上へ続く階段を上る俺の足取りは重い。
「最悪だ……」
「うんうん。私と話していたいのはわかるけど、ちょっと強引だったよね。変に勘ぐられなければいいけど」
(こいつ、都合のいい解釈を……)
「そっちこそ変に勘ぐるな。あいつとは、その……そういう関係じゃない」
後ろを歩くアリスから投げ掛けられた、中々に鋭い見解を溜息交じりで否定した。
「なにやら複雑な事情がおありで?」
「全然。あの子とは小さい頃から一緒で、昔から兄妹みたいな感じなんだ。親しいといえばそうだけど、男女の関係となると……距離感が難しいな……」
「へえー」
自分で訊いておきながら、アリスは気のない返事をした。
どうやら女子にして珍しく、色恋沙汰には関心が薄いようだ。
(愛の告白を疑っていた俺は、とんだ間抜けだな……)
「実際、世の幼馴染なんてそんなもんだろ? 成長し大人になるにつれて、次第に疎遠になっていくんだ」
性別の垣根なく、無邪気に戯れていられたのは昔の話。
やがて、それぞれが別々のコミュニティを形成する。
道すがらすれ違っても、友人の手前そしらぬ顔。
大人になったのは彼か彼女か。
楽しい時間は思い出になり、やがて色褪せる。
「そうなの? かなり親しそうに見えたけど……」
「だもんで、実際に交際したのは三日だけ」
「ん!? んんん? 急展開だね。ちょっと意味がわからないぞ」
「言葉通りの意味さ。卒業を前に焦って告白して、でも奇跡的に念願が叶って、それから……実感も湧かないうちに、たぶん自然消滅した。俺が交通事故に遭ったのを発端に――って、初対面の奴に何を話してるんだ、俺は」
手すりのない階段を一段、一段踏みしめる。
去来する幼馴染と過ごした日々を、転げ落ちてしまわぬよう記憶の奥に押し込めた。
室内と屋上を隔てる扉の前に辿り着くと、錆びて重たくなったドアノブを捻り開け放つ。
ご高覧いただき ありがとうございました 次回へ続きます




