第二十六話 「赤い目の鳥」
赤い目の鳥は、王都南区へ向かって飛んでいた。
低い屋根から屋根へ。
煙突の影を抜け、洗濯物の上をかすめ、細い路地へ消えては、また姿を現す。
普通の鳥ではない。
羽ばたきは不自然なほど一定で、風に流されることもない。
魔道具だ。
レインは通りを歩きながら、視界の端で鳥の位置を追った。
「速い?」
隣を歩くシエルが、小さな声で聞いた。
「いや、追える速さに落としてる」
「わざと?」
「たぶん。俺たちを撒く気なら、もっと高く飛べるはずだ」
視界にログが浮かぶ。
⸻
監視用魔道具
行動:
報告帰還中
追跡難度:
中
注意:
不自然な追跡行動は検知されます
⸻
「こっちが追ってると悟られたらまずいな」
「どうする?」
「普通に歩く」
「普通、難しい」
シエルは真剣な顔で言った。
さっき焼き菓子を食べていた時はかなり自然だったのに、意識した途端に動きが硬くなる。
レインは少しだけ笑った。
「じゃあ、買い物の続きってことにしよう」
「買い物?」
「リナの薬の素材を探してる途中だ。南区にも素材屋があるかもしれない」
「本当に探すの?」
「探す。嘘じゃない方が動きやすい」
ログが小さく点滅する。
⸻
行動方針:
自然な目的を持って追跡
推奨
⸻
レインは通りの看板を見ながら歩いた。
南区は中央通りより雑多だった。
露店。
古物屋。
小さな薬草店。
使い古された武具を並べる店。
貧しい者も多いが、そのぶん掘り出し物もありそうだ。
無価値の指輪が、時折かすかに熱を持つ。
だが、今は寄り道している場合ではない。
鳥はさらに奥へ進んでいく。
シエルがレインの袖を掴んだ。
「レイン」
「どうした?」
「鳥、少し止まる」
「え?」
その直後。
赤い目の鳥が、屋根の上でぴたりと止まった。
レインは息を呑む。
シエルの目が、ほんのわずかに淡く光っていた。
ログが浮かぶ。
⸻
【星読】微弱発動
予測時間:
3秒先
成功
発現率:
73% → 75%
⸻
「今の、見えたのか?」
シエルは少し驚いたように瞬きをした。
「……たぶん。止まるって、分かった」
「疲れは?」
「少しだけ」
レインはすぐにシエルの顔色を見る。
青ざめてはいない。
呼吸も乱れていない。
まだ大丈夫そうだ。
「無理はするな」
「うん。でも、役に立った?」
「ああ。かなり」
そう答えると、シエルの表情がほんの少しだけ柔らかくなった。
⸻
シエル
感情:
安心
誇らしい
⸻
本当に分かりやすい。
だが今は、そのログに構っている余裕はなかった。
鳥が止まった先。
そこは、グレイス奴隷商会の裏手だった。
正面入口ではない。
建物の裏にある、荷運び用の小さな通用口。
鳥はそこへ向かって降りていく。
「やっぱり商会か」
レインが呟いた時だった。
ログが新しく表示される。
⸻
注意。
報告先は商会本体ではありません。
魔力信号が地下へ転送されています。
⸻
「地下?」
シエルが見上げる。
「商会の下?」
「たぶん」
グレイス奴隷商会そのものが黒なのか。
それとも、商会の地下を別の誰かが使っているのか。
まだ分からない。
だが、監視鳥の報告が地下へ送られているのは確かだった。
レインは裏通りの屋台の前で足を止めた。
魚の干物を売る店だ。
匂いが強い。
鳥型魔道具の魔力反応を追うには邪魔かもしれないが、逆にこちらが立ち止まる理由にはなる。
「買うの?」
シエルが干物を見ている。
「いや、今は見てるだけ」
「魚、硬そう」
「保存食だからな」
屋台の店主が笑った。
「兄ちゃん、見る目あるな。そいつは北海干しだ。煮るとうまいぞ」
「いくらですか?」
「三枚で銅貨五枚」
レインは少し考え、買った。
シエルが不思議そうに見る。
「買うんだ」
「普通の客らしくな」
「あと、エレナが料理できる」
「それもある」
シエルはこくりと頷いた。
「エレナ、喜ぶかも」
その間に、赤い鳥は通用口の上の小さな穴から中へ消えていた。
ログが続く。
⸻
監視用魔道具
報告完了まで:
推定 120秒
逆探知可能時間:
短
推奨行動:
魔力信号の受信先を特定
方法:
無価値の指輪で魔力残滓を価値判定
⸻
「無価値の指輪で?」
レインは右手を見る。
黒い指輪は静かに光っている。
魔力残滓。
つまり、鳥が飛んだ跡に残る魔力の痕跡を読むということか。
難しそうだ。
だが、やるしかない。
レインは干物の包みを持ったまま、通用口に近づきすぎない位置へ移動する。
路地の壁。
古い石畳。
鳥が通ったであろう空間を見上げる。
右手の指輪が熱を持った。
⸻
【無価値の指輪】発動。
対象:
微弱魔力残滓
表面価値:
なし
隠し価値:
信号経路追跡可能
⸻
見えた。
空中に、細い黒い糸のようなものが浮かんでいる。
普通なら見えない魔力の残り香。
それが建物の壁を抜け、地下へ伸びていた。
レインは息を詰める。
「シエル、見えるか?」
シエルは首を振った。
「何も」
「なら俺だけか」
黒い糸は、商会の地下へ向かっている。
だが途中で枝分かれしていた。
一本は地下。
もう一本は、商会の外へ。
細い路地の奥。
古い排水口へ向かっている。
ログが表示される。
⸻
信号経路:
1.グレイス奴隷商会地下
2.南区旧排水路
推奨:
2を調査
理由:
商会本体への直接侵入は危険
⸻
「排水路か」
「入るの?」
シエルの声に不安が混じる。
「今日は入らない」
レインは即答した。
シエルが少し安心した顔になる。
「準備なしで地下に入るのは危険だ。まずギルドに相談する」
「グラント?」
「ああ」
その時だった。
通用口が、内側から少しだけ開いた。
レインは反射的に干物屋の方へ視線を戻す。
シエルも何事もなかったように、干物の包みを見ている。
通用口から出てきたのは、細身の男だった。
灰色の外套。
目立たない服装。
だが、歩き方が妙に静かだ。
商会員には見えない。
レインの視界にログが浮かぶ。
⸻
対象:不明
所属候補:
邪神教
信頼度:12%
役割:
監視係/連絡員
所持品:
監視魔道具の記録石
危険度:
中
⸻
「邪神教……?」
名前だけで面倒そうだった。
男は周囲を確認し、何気ない様子で路地へ出る。
そして、レインたちとは反対方向へ歩き出した。
追うべきか。
ログがすぐに表示される。
⸻
選択肢:
【追跡する】
成功率:42%
危険度:中
【追跡せずギルドへ報告】
成功率:安定
情報価値:中
【シエルの星読を使用して進路予測】
成功率:上昇
シエル負担:中
推奨:
追跡せずギルドへ報告
⸻
レインは小さく息を吐いた。
欲を出すな、ということだ。
今の自分たちは戦闘向きではない。
シエルも能力が発現しかけているだけで、無理をさせるべきではない。
「追わない」
「いいの?」
「ああ。顔と経路は見た。十分だ」
「うん」
シエルは少しほっとしたようだった。
その反応を見て、レインは自分の判断が間違っていないと思えた。
無理をして情報を得るより、無事に帰る方が大事だ。
「ギルドに行く」
「干物は?」
「持っていく」
「うん。エレナに渡す」
シエルはなぜか少しだけ干物を大事そうに見ていた。
◇
ギルドへ向かう途中、レインは何度か背後を確認した。
監視鳥はもういない。
だが、見られていないと考えるのは危険だ。
ログにも、不審反応は出ていないが、完全に安全とは出ていなかった。
ギルドに着くと、入口付近の冒険者たちがこちらを見る。
少し前までとは視線が違う。
侮りではない。
興味。
警戒。
期待。
そして、一部には尊敬に近いものまで混じっている。
聖剣浄化。
ハズレ森の情報。
呪われた倉庫。
元パーティとのやり取り。
短期間で目立ちすぎた。
レインは少しだけ肩をすくめる。
「目立ちたくないんだけどな」
シエルが首を傾げる。
「でも、すごいから見られる」
「それは褒めてるのか?」
「褒めてる」
「ならいいか」
受付にいたエマが、レインを見つけて手を振った。
「レイン君。今日はどうしたの?」
「グラントさんに相談があります」
エマの表情が少し引き締まる。
「緊急?」
「中くらいです」
「中くらい……」
エマは苦笑した。
「レイン君の中くらい、たぶん普通の人には結構大きいよね」
否定できなかった。
エマはすぐに奥へ確認に向かった。
しばらくして戻ってくる。
「ギルドマスターが会うって。奥の部屋へどうぞ」
◇
奥の会議室には、グラントとボルドがいた。
ボルドは古い資料を広げていたが、レインを見るとすぐに顔を上げた。
「また何か見つけた顔だな」
「そんな顔してます?」
「している」
グラントは腕を組む。
「今度は何だ」
レインは椅子に座り、干物の包みを机の端に置いた。
グラントが眉をひそめる。
「それは?」
「干物です」
「なぜ持ってきた」
「追跡中に買いました」
「……最初から説明しろ」
レインは、監視用魔道具のことを話した。
赤い目の鳥。
レイン、シエル、リナを監視対象にしていたこと。
そのうち一羽を追ったこと。
グレイス奴隷商会の裏手に入ったこと。
信号が地下と旧排水路へ分かれていたこと。
灰色外套の男。
そして、ログで見えた“邪神教”という名。
もちろん、世界ログの存在は伏せた。
その代わり、“勘”と“指輪の反応”で押し通した。
ボルドの表情が、一瞬で変わった。
「邪神教だと?」
グラントも眉を寄せる。
「知っているのか」
「知っているも何も、王国の危険指定組織だ」
ボルドは声を低くした。
「邪神を崇める連中だ。禁制品、呪物、違法奴隷、黒魔術。金になるもの、儀式に使えるものなら何でも扱う」
「実在するんですか」
レインが聞くと、ボルドは頷いた。
「存在は認知されている。ただし、連中は小さな集団に分かれて動く。末端を捕まえても、本体には届きにくい」
グラントが腕を組む。
「目的は?」
「分派によって違うとされている。金目当ての者もいれば、禁じられた儀式に狂った者もいる」
ボルドはそこで一度言葉を切った。
「どちらにせよ、関わっていい相手ではない」
レインは黙った。
邪神を崇める危険組織。
その名前が、監視鳥の先に出た。
聖剣の呪い。
黒血の魔石。
違法な奴隷商会の地下。
嫌なものが、少しずつ線で繋がっていく。
ただし、その線の先がどこまで続いているのかは、まだ見えない。
グラントが低く言う。
「グレイス奴隷商会との関係は?」
「分かりません」
レインは答えた。
「商会全体が関わっているのか、一部職員が通路を貸しているのか、あるいは地下を勝手に使われているのか」
「だろうな」
グラントは地図を広げた。
王都南区の古い排水路。
現在はほとんど使われていないが、一部は地下水路と繋がっているらしい。
「すぐに兵を入れると、相手に逃げられる可能性がある」
ボルドが言う。
「監視網があるなら、こちらの動きも見られているだろうな」
レインは考える。
相手はこちらを見ている。
だが、こちらも相手の一部を見た。
ここで大きく動けば、相手は逃げる。
なら。
「逆に、こっちが気づいていないふりをした方がいいと思います」
グラントが目を細める。
「続けろ」
「俺たちは引き続き、リナの治療薬を探しているだけの行動を見せます。その裏で、ギルドが旧排水路の周辺を調べる」
「囮になる気か」
「囮というほど危険なことはしません。見られている情報を選ぶだけです」
ボルドが少し笑った。
「監視されていることを利用するわけか」
「はい」
ログが表示される。
⸻
提案評価:
良好
成功率:
63% → 71%
条件:
ギルド側の慎重な調査
⸻
グラントはしばらく考えた。
やがて、短く頷く。
「分かった。こちらで密かに調査を入れる。お前は通常通り動け。ただし、単独行動は禁止だ」
「分かりました」
「シエルもだ」
シエルがこくりと頷く。
「うん」
グラントはさらに言う。
「リナという子どもについても、こちらで保護対象として記録しておく。無理に連れ出される危険があるなら、ギルドの保護名簿に入れた方がいい」
レインは少し驚いた。
「そんなことできるんですか?」
「できる。完全な拘束力はないが、少なくとも奴隷商会が勝手に手を出しにくくなる」
「お願いします」
これはかなりありがたい。
リナは自由民だ。
だからこそ、守る仕組みが必要だった。
ボルドが興味深そうに言う。
「その子の魔力病も気になるな。あとで見せてもらえるか?」
「治療目的なら」
「もちろんだ。研究目的だけではない」
少し怪しい。
だが、ボルドは危険人物ではない。
たぶん。
会議が終わろうとした時、扉が軽く叩かれた。
エマが顔を出す。
「ギルドマスター、すみません。《黎明の剣》の件で報告が……」
グラントの眉が動く。
「またか」
レインも嫌な予感がした。
エマは少し困った顔で続ける。
「リリカさんとガルドさんが、装備修理のため今日の依頼を辞退したいと申し出ています」
「妥当だな」
グラントは頷く。
「それで?」
エマは言いにくそうに視線を揺らした。
「クラウスさんが、二人抜きでも依頼を受けると言っています」
レインは無言で天井を見た。
シエルが小さく言う。
「うるさい人、また?」
「まただな」
グラントの声が低くなる。
「依頼内容は」
「南区の荷運び護衛です。ただ、旧排水路近くを通る予定があります」
部屋の空気が変わった。
レインの視界に赤いログが浮かぶ。
⸻
警告。
クラウスの受注予定依頼と、邪神教の活動圏が重複。
失敗率:
74%
介入推奨:
ギルドマスター経由
⸻
「……最悪の場所を選ぶなよ」
レインは思わず呟いた。
グラントが立ち上がる。
「その依頼は止める」
エマが小さく頷く。
「はい」
だが、その直後。
廊下の向こうからクラウスの怒鳴り声が響いた。
「俺は受けると言ってるだろ! B級冒険者を舐めるな!」
レインは深く息を吐いた。
今日もまた、静かな一日にはならなさそうだった。




