第二十五話 「誰でもできる仕事」
「レイン!」
茶店の扉が、乱暴に開かれた。
朝の穏やかな空気が、その一声でひび割れる。
店内にいた客たちが、一斉に振り返った。
入口に立っていたのはクラウスだった。
泥こそ落としているが、顔には疲れが残っている。
目は血走り、肩は怒りで上下していた。
その後ろにはガルド。
さらに少し遅れて、リリカが入ってくる。
リリカの顔は青い。
どうやら、茶店を出たところでクラウスに捕まったらしい。
レインは茶器を置いた。
視界にログが浮かぶ。
⸻
【クラウス】
状態:
怒り
嫉妬
焦燥
誤解
推定発言:
「俺の仲間に何を吹き込んだ」
発言成功率:
24%
⸻
「……また分かりやすいな」
レインが小さく呟くと、隣のシエルが焼き菓子を持ったまま、そっと身体を寄せてきた。
「うるさい人」
「間違ってない」
「レイン、嫌なら帰ろう」
シエルはクラウスを見ていた。
表情は薄い。
けれど、目の奥にははっきりと警戒がある。
レインの袖を掴む指に、少しだけ力がこもっていた。
守られる側だった少女が、今は自分を守ろうとしている。
そう思うと、少しだけ胸が温かくなる。
「大丈夫。すぐ終わる」
「ほんと?」
「たぶん」
「たぶんは嫌」
「じゃあ、早めに終わらせる」
シエルは小さく頷いた。
クラウスは店内の視線など気にもせず、レインの席まで歩いてきた。
そして、机を見下ろすようにして怒鳴った。
「お前、俺の仲間に何を吹き込んだ」
ログ通りだった。
レインは少しだけ肩をすくめる。
「何も吹き込んでない」
「嘘をつくな!」
クラウスの手が机を叩いた。
茶器が跳ね、店内の客がびくりと肩を震わせる。
「リリカが急におかしなことを言い出した。物資管理だの、装備整備だの、野営判断だの……全部お前の入れ知恵だろ!」
レインはリリカを見る。
リリカは唇を噛み、杖を抱えるように持っていた。
さっき、レインが応急整備した火晶杖。
魔石の光は、以前よりもずっと安定している。
「入れ知恵じゃない」
先に口を開いたのは、リリカだった。
クラウスが振り向く。
「何だと?」
「私が聞いたの。最近、うまくいかない理由を」
「だから、それがおかしいって言ってるんだ! なんでお前がこいつに相談するんだ!」
「必要だと思ったからよ」
リリカの声は震えていた。
だが、逃げてはいなかった。
「杖の導線が緩んでた。持ち手の内側にもヒビがあった。レインが見なかったら、私はそのまま使ってた」
クラウスの眉が動く。
「杖が少し悪かったくらいで――」
「昨日、火球が逸れたの」
その一言で、クラウスの口が止まった。
リリカは杖を強く握る。
「ただ調子が悪いだけだと思ってた。でも違った。前は、レインが整備してくれてたから起きなかっただけだった」
店内が静まる。
クラウスは一瞬だけ言葉を失った。
しかし、すぐに顔を歪める。
「そんなの偶然だ」
「偶然じゃない」
リリカは続けた。
「ガルドの剣も、湿気に弱いから油を塗ってたって。クラウスの予備ポーションも、使いすぎないように分けて管理してたって」
「だから何だ!」
クラウスの声が大きくなる。
「そんなもの、誰でもできる雑用だろうが!」
その言葉を聞いた瞬間、シエルの指がぎゅっとレインの袖を掴んだ。
レインは何も言わなかった。
胸の奥が、少しだけ冷える。
誰でもできる。
何度も言われた言葉だ。
剣を振るわない者の仕事。
魔法を撃たない者の仕事。
戦果に数えられない仕事。
できて当然で、失敗した時だけ責められる仕事。
そのすべてを、彼らは“雑用”と呼んだ。
だが、今は違う。
レインには見えている。
それに、もう一人で耐える必要もない。
レインは静かに立ち上がった。
「ガルド」
「あ?」
ガルドが目を丸くする。
「剣を見せてくれ」
「何で俺だよ」
「根元が錆びてる」
その一言に、ガルドの表情が変わった。
「……見ただけで分かんのか?」
「歩き方が少し重い。鞘に戻す時の音も鈍い。昨日、雨に濡れたまま布に包んだだろ」
ガルドは気まずそうに目を逸らした。
「まあ……急いでたからな」
クラウスが舌打ちする。
「見せる必要はない」
だが、ガルドは黙って剣を抜いた。
刃そのものは一見きれいだった。
しかし、柄に近い根元。
そこに薄く赤茶けた錆が浮いていた。
さらに、光にかざすと刃芯がわずかに歪んでいる。
レインの視界にログが出る。
⸻
【ガルドの剣】
状態:
根元に軽度の錆
刃芯に微細な歪み
継続使用時:
破損率 23%
簡易整備後:
破損率 8%
⸻
「強く打ち合えば折れる可能性がある」
ガルドの顔色が変わった。
「マジかよ」
「すぐ折れるわけじゃない。でも、次の依頼にそのまま持っていくのは危ない」
「……前は?」
「雨の日は俺が乾いた布に替えてた。野営前に油も塗ってた。湿気が多い場所では、剣を地面に置かないように荷台の上へ移してた」
ガルドは剣を見たまま黙った。
クラウスが苛立った声を出す。
「そんな細かいことを、いちいち――」
「細かいことを放置すると、依頼中に死ぬ」
レインの声は、思ったより低かった。
クラウスが目を細める。
レインは今度、クラウスの腰袋へ視線を向けた。
「クラウス。予備ポーション、今何本持ってる?」
「は?」
「答えろ」
「……三本だ」
ログが表示される。
⸻
【クラウス】
所持ポーション:
通常回復薬 1本
低品質回復薬 2本
不足リスク:
高
⸻
「まともな回復薬は一本だけだな」
クラウスの顔が強張った。
「何で分かる」
「袋の膨らみと重さ。それに、お前は良い薬から先に使う癖がある」
「……」
「前は、クラウス用、緊急用、共用で袋を分けてた。お前が気分で使い切らないように」
周囲の客がざわつく。
「それ、雑用っていうか管理役だろ」
「B級でもポーション切らしたら終わりだぞ」
「前衛ほど管理してくれる奴いないと危ないよな」
クラウスの顔が赤くなる。
「黙れ!」
怒鳴り声が店内を揺らした。
だが、その声にはもう、最初ほどの勢いはなかった。
リリカが小さく言う。
「クラウス。もうやめて」
「お前まで俺に指図するのか」
「違う。現実を見てって言ってるの」
リリカの声が震える。
「私たち、レインが抜けてから失敗が増えた。ハズレ森も、採取も、護衛も。私の杖も、ガルドの剣も、ポーション管理も。全部、崩れてる」
クラウスは歯を食いしばった。
「それを全部、こいつのおかげだったって言うのか?」
「全部じゃない」
レインは静かに言った。
クラウスがこちらを見る。
「お前たちが強かったのは事実だ。俺は前衛じゃないし、戦闘でお前たちに勝てるとも思ってない」
クラウスの表情に、一瞬だけ勝ち誇ったような色が戻る。
だが、レインは続けた。
「でも、強いだけじゃ依頼は成功しない」
その言葉に、クラウスの顔が止まった。
「素材は保管を間違えれば劣化する。ポーションは分けておかないと一気になくなる。武器は湿気で傷む。魔道具は振動で導線が緩む。野営地は風向きと地面を見ないと、夜中に崩れる」
レインはひとつずつ、淡々と並べる。
「全部、戦闘中には見えない。でも、失敗すれば戦闘中に出る」
リリカが息を呑んだ。
ガルドは剣を握りしめている。
クラウスだけが、認められない顔でレインを睨んでいた。
「そんなもの……」
「誰でもできる?」
レインが先に言った。
クラウスの口が止まる。
「なら、やればいい」
静かな一言だった。
派手な怒鳴り声ではない。
人を叩き伏せるような言葉でもない。
けれど、その場にいた誰よりも重かった。
「誰でもできるなら、今日からやればいい。俺がいなくても回るなら、それを証明すればいい」
クラウスは何も言えなかった。
言えば言うほど、今まで自分たちがやっていなかったことを認めることになるからだ。
レインの視界にログが浮かぶ。
⸻
《黎明の剣》
総合成功率分析:
レイン所属時:87%
現在:49%
低下要因:
物資管理不足
装備整備不足
野営判断不良
消耗品浪費
メンバー間信頼低下
⸻
さらに、別のログが重なる。
⸻
クラウス
発言成功率:
24% → 11%
周囲評価:
低下中
⸻
「十一……」
「何が十一?」
シエルが小声で聞く。
「気にしなくていい」
「また?」
「ああ。まただ」
シエルは少しだけ首を傾げた。
その時、茶店の奥から落ち着いた声がした。
「店内での大声は、他のお客様のご迷惑になります」
店主だった。
白髪混じりの老紳士。
穏やかな表情だが、目は笑っていない。
「お話が済んだのでしたら、外でお願いいたします」
クラウスの顔が屈辱に歪んだ。
「……行くぞ」
誰に向けた言葉なのか分からない。
リリカは動かなかった。
ガルドも、少し遅れて剣を鞘に戻しただけだった。
クラウスが振り返る。
「何をしている」
ガルドは頭をかいた。
「俺、鍛冶屋行ってくるわ」
「は?」
「この剣、見てもらう。折れたら洒落にならねぇし」
クラウスの顔が固まる。
「ガルド、お前まで……」
「悪い。でも、ここは確認しとく」
ガルドはレインをちらりと見た。
「……助かった」
短い言葉。
それだけ言って、ガルドは店を出ていった。
リリカも立ち上がる。
「私も、杖をちゃんと修理に出す」
「リリカ!」
クラウスが怒鳴る。
だが、リリカは今度は怯まなかった。
「クラウス。私たち、一回ちゃんと見直した方がいい」
「見直す? 何を」
「レインじゃなくて、自分たちを」
クラウスの表情が歪んだ。
リリカは深く息を吐く。
「今日は戻らない。杖を直してからギルドに行く」
そう言って、彼女も店を出ていった。
残されたクラウスは、しばらく立ち尽くしていた。
周囲の視線が集まる。
好奇。
呆れ。
そして、少しの侮り。
クラウスはその視線に耐えられなかったのか、レインを睨みつける。
「お前のせいだ」
レインは黙っていた。
「お前が、俺たちを壊してる」
その声は怒りに満ちていた。
けれど、どこか怯えているようにも聞こえた。
レインは静かに答えた。
「俺はもう、お前たちのパーティにいない」
「……」
「壊れてるなら、中にいる人間の問題だ」
クラウスの拳が震えた。
今にも殴りかかりそうだった。
だが、ここは茶店だ。
周囲には客も店主もいる。
ログが浮かぶ。
⸻
クラウス
暴力行為発生率:
37%
周囲証人:
多数
暴力行為実行時:
ギルド処分確率 91%
⸻
クラウスも、その危険は分かっているのだろう。
結局、拳は振るわれなかった。
「俺は認めないからな」
クラウスは低い声で言った。
「お前が俺たちを支えてたなんて、絶対に認めない」
レインはその言葉に、少しだけ目を細めた。
ああ。
やはり、そうなのだ。
クラウスは事実を知りたいわけではない。
ただ、認めたくないだけなのだ。
クラウスは最後にレインを睨みつけると、荒々しく店を出ていった。
扉が閉まる。
ようやく、店内に静けさが戻った。
シエルが小さく息を吐く。
「勝った」
「勝ち負けじゃない」
「でも、勝った」
シエルは断言した。
レインは少し笑う。
「そう見えたなら、まあいいか」
その瞬間、ログが表示される。
⸻
イベント達成。
『誰でもできる仕事』
《黎明の剣》
パーティ安定率:
44% → 31%
内部信頼崩壊度:
48% → 61%
ざまぁ進行度:
58% → 68%
⸻
「……一気に進んだな」
数字を見て、レインは小さく呟いた。
ただ、不思議と胸は晴れなかった。
気持ちよさはある。
見下されていた仕事が、少しだけ認められた。
それは確かに嬉しい。
けれど、同時に虚しさもあった。
三年間。
これだけのことをしていたのに。
なぜ、今にならなければ誰も見なかったのか。
シエルが、そっとレインの袖を掴んだ。
「レイン」
「ん?」
「私は、見る」
「何を?」
「レインがしてること」
シエルは真っ直ぐこちらを見ていた。
「見えないことも、ちゃんと見る」
レインはすぐに返事ができなかった。
その言葉が、胸の奥に静かに落ちる。
今すぐ返せる言葉はなかった。
けれど、三年間の何かが、ほんの少しだけ報われた気がした。
代わりに、視界へログが浮かぶ。
⸻
シエル
信頼度:62 → 65
【星読】発現率:71% → 73%
⸻
レインは小さく笑った。
「ありがとう」
シエルは少しだけ満足そうに頷いた。
その時、店の外で羽音がした。
赤い目の鳥が、一羽。
屋根の上からこちらを見ていた。
⸻
監視用魔道具
取得情報:
レインの装備整備能力
《黎明の剣》内部不和
クラウスの敵意
重要度判定:
中
報告行動へ移行します。
⸻
「……まずいな」
レインは眉をひそめた。
今のやり取りも、監視者に見られていた。
ただの薬探しではなく、レインの支援能力まで知られた可能性がある。
だが、同時にログが続く。
⸻
逆利用可能。
取得情報に偽装余地あり。
次段階:
監視者の報告先を追跡してください。
⸻
レインは席を立つ。
「シエル、行くぞ」
「鳥?」
「ああ」
「追う?」
「壊さず、気づかれず、どこに戻るか見る」
シエルは焼き菓子の最後の一口を食べ、こくりと頷いた。
「分かった」
レインは会計を済ませ、店を出る。
赤い目の鳥は、屋根の上で一度だけ羽ばたいた。
そして、王都南区の方へ飛んでいく。
その先には。
グレイス奴隷商会があった。




