第十九話 「いい宿と、はじめての買い物」
「やっぱり、今日はいい宿にしよう」
レインがそう言うと、シエルは不安そうに人混みの方を見た。
先ほどの男は、もう見えない。
薄汚れた外套。
こちらを観察するような目。
そして、ログに浮かんだ【監視】の文字。
ただの通行人ではない。
少なくとも、レインを見る目的があった。
「……さっきの人、知り合い?」
「いや」
「怖い人?」
「分からない。でも、いい人ではなさそうだ」
シエルの手が、レインの袖を掴む。
その指先が少し震えていた。
レインは周囲を見回す。
夕暮れの王都は人通りが多い。
商人の呼び声。
馬車の車輪の音。
屋台から漂う肉の焼ける匂い。
帰宅する職人たちの足音。
人が多い分、監視者が紛れていても分かりにくい。
レインはログを探すように視線を動かした。
⸻
周辺警戒中……
不審対象:
現在検出なし
⸻
今は見失ったらしい。
だが安心はできない。
金貨三枚。
聖剣浄化。
月光花。
黒い指輪。
謎の鑑定能力。
この数日で目立ちすぎた。
自分が思っている以上に、周囲はレインを見始めている。
「シエル」
「うん」
「今日は前の安宿には戻らない。荷物だけ回収して、別の宿に移る」
「……分かった」
「それと、服と外套も買う。目立たないやつ」
シエルは自分の服を見下ろした。
昨日買ったばかりの簡素な服。
ボロ布よりはずっといい。
けれど、まだ“元奴隷の少女”という雰囲気は隠しきれていない。
特に首輪。
今は布で隠しているが、近くで見れば分かる。
その視線に気づいたのか、シエルはそっと首元を押さえた。
「これ……」
「ああ。それも何とかしたい」
レインが言うと、ログが浮かぶ。
⸻
シエルの奴隷首輪
状態:
所有者未登録
機能:
行動制限
魔力抑制
身分表示
解除方法:
1.奴隷商会で正式解除
2.高位解呪
3.物理破壊
推奨:
正式解除
⸻
「正式解除か……」
「外せるの?」
シエルの声が小さく震えた。
レインはすぐに頷いた。
「たぶん外せる。ちゃんとした方法で」
「……本当?」
「ああ。金はある」
そう言ってから、少しだけ実感が湧く。
金貨三枚。
数日前なら夢みたいな金額だった。
今なら、シエルの首輪を外せるかもしれない。
安全な宿にも泊まれる。
まともな食事もできる。
装備も買える。
レインは報酬袋を軽く握った。
「まずは宿。その後、明日、首輪のことを調べる」
シエルは少しだけ黙ってから、小さく頷いた。
「うん」
その声は、どこか泣きそうだった。
⸻
シエル
信頼度:44 → 46
感情:
期待
不安
少しだけ安心
⸻
レインはログを見て、胸の奥が少し重くなる。
期待させた以上、ちゃんとやらなければならない。
◇
前の安宿に戻ると、受付の老婆が目を細めた。
「おや、坊主。今日はずいぶん景気が良さそうじゃないか」
「荷物を取りに来ました」
「出るのかい?」
「はい。少し事情があって」
老婆はシエルをちらりと見る。
それから、ふん、と鼻を鳴らした。
「まあ、そうした方がいいだろうね」
「え?」
「昼間に変な男が来てたよ。あんたを探してた」
レインの背筋が冷えた。
「どんな男です?」
「外套の汚い男さ。冒険者には見えなかったね。あんたが戻ったら教えろって銀貨を出してきた」
シエルがレインの袖を強く掴む。
「それで……?」
「追い返したよ」
老婆は当然のように言った。
「銀貨一枚で客を売るほど安くない」
レインは少し驚いた。
正直、あまり愛想の良い宿ではなかった。
だが、最低限の筋は通す人らしい。
「ありがとうございます」
「礼なら宿代をちゃんと払っとくれ」
「はい」
レインは追加で銀貨を数枚出した。
老婆は受け取りながら、じろりとこちらを見る。
「急に金を持つと、変なのが寄ってくる。気をつけな」
「……はい」
その忠告はかなり重かった。
レインは部屋から荷物をまとめた。
といっても、多くはない。
古い鞄。
着替え。
月光花。
回収した素材。
シエルの少ない私物。
荷物をまとめている間、シエルは静かだった。
彼女はベッドの端に座り、首輪を指で触っている。
「シエル」
「……何?」
「明日、首輪を外す方法を探す」
「うん」
「だから今日は、ちゃんと飯を食って、ちゃんと寝る」
シエルは少しだけ目を丸くした。
「それも、大事?」
「大事だ。ログにも……いや、俺の勘にも出てる」
危ない。
ついログと言いかけた。
シエルは不思議そうに首を傾げたが、それ以上は聞かなかった。
◇
レインが選んだ宿は、中央通りから少し外れた場所にある《銀鈴亭》という宿だった。
前の安宿とは違い、入口には魔石灯が灯り、扉も頑丈そうだ。
一階は食堂になっていて、商人や中堅冒険者が静かに食事をしている。
騒がしすぎず、安すぎず、高すぎない。
ログを見る。
⸻
宿屋:《銀鈴亭》
安全度:高
宿泊費:
一泊 銀貨8枚
特徴:
防犯魔道具あり
食事良好
客層安定
推奨宿泊
⸻
「ここにしよう」
「高くない?」
シエルが不安そうに聞く。
「高い。でも安全も込みだ」
受付にいた女将は、落ち着いた雰囲気の女性だった。
レインとシエルを見ると、すぐに身なりと荷物を確認する。
そして、丁寧に言った。
「お泊まりですか?」
「はい。二人で一部屋。できれば安全な部屋を」
「二階奥の部屋が空いています。表通りからは見えにくく、窓にも防犯鍵があります」
ログが浮かぶ。
⸻
提案評価:
良好
盗難危険度:低
襲撃危険度:低
⸻
「そこをお願いします」
「一泊銀貨八枚。夕食と朝食込みです」
レインは銀貨を払う。
数日前なら震える金額だ。
今でも少し震える。
だが、必要経費だ。
部屋に案内されると、シエルが小さく息を呑んだ。
「……広い」
広いと言っても、貴族の部屋のような豪華さはない。
だが、清潔なベッドが二つ。
鍵のかかる窓。
小さな机。
湯浴み用の桶。
暖かい毛布。
それだけで、シエルには十分すぎるようだった。
彼女はベッドにそっと手を置く。
「ふかふか……」
「前の宿よりはな」
「寝ていいの?」
「夜になったらな。まず飯」
シエルは少しだけ残念そうにベッドから手を離した。
その様子が妙に子供っぽくて、レインは少し笑ってしまった。
「何?」
「いや。ちゃんと食べてから寝た方が気持ちいいぞ」
「……分かった」
◇
夕食は、想像以上にまともだった。
柔らかいパン。
野菜のスープ。
鶏肉の香草焼き。
温かいミルク。
シエルは最初、料理をじっと見つめたまま動かなかった。
「どうした?」
「……これ、食べていいの?」
「そのために出てきたんだろ」
「全部?」
「全部」
シエルは恐る恐るスプーンを持った。
スープを一口飲む。
その瞬間、目がわずかに開いた。
「……あったかい」
「そりゃスープだからな」
「おいしい」
それは、あまりにも小さな声だった。
けれど、レインにはちゃんと聞こえた。
シエルは少しずつ、でも大事そうに食べ始める。
ログが浮かぶ。
⸻
シエル
栄養状態:改善
精神状態:安定傾向
【星読】発現率:
58% → 60%
⸻
「飯だけでも上がるのか」
「何が?」
「いや、元気になってるなって」
シエルは小さく頷く。
「うん。元気」
その表情はまだ硬い。
けれど、最初に路地裏で見つけた時とは全然違う。
ちゃんと食べて、眠って、安心できる場所がある。
それだけで、人は少しずつ戻っていくのだと思った。
食事を終えた後、レインは宿の部屋で荷物を広げた。
まずは月光花。
青白い花は、まだ淡い光を保っている。
⸻
月光花
状態:良好
残存花弁:5枚
用途:
高級回復薬
魔力安定剤
ユニークスキル発現補助
⸻
聖剣の応急封印と浄化で二枚使った。
残り五枚。
シエルの【星読】発現にはまだ使える。
次に黒い指輪。
⸻
無価値の指輪
所有者:レイン
効果:
【価値判定】
【隠し価値表示】
【低価値品補正】
熟練度:
7%
追加機能:
未解放
⸻
「熟練度あるのかよ……」
使えば伸びるタイプらしい。
便利ではあるが、少し不気味でもある。
“価値なき者”という言葉。
欠けた鍵。
二十年前のダンジョン災害。
気になることは多い。
だが、今すぐ踏み込むべきではない。
ログも長期保留と言っていた。
レインは次に、報酬袋を確認する。
金貨三枚。
銀貨多数。
銅貨少々。
これだけあれば、当面は困らない。
問題は使い道だ。
⸻
メインクエスト:
『生活基盤を整えよ』
進行項目:
安全な宿への移動:達成
シエルの装備購入:未達成
月光花の調合:未達成
無価値の指輪の性能確認:進行中
奴隷首輪の解除:新規追加
推奨優先度:
1.奴隷首輪の解除
2.シエルの装備購入
3.月光花の調合
4.自分の装備購入
⸻
「俺の装備、最後なのか」
まあ、納得ではある。
シエルはまだ危うい。
首輪もある。
体力も戻りきっていない。
レイン自身も弱いが、ログと指輪である程度は補える。
「明日は奴隷商会か……」
そう呟くと、シエルの肩がびくっと動いた。
レインはしまったと思う。
奴隷商会。
シエルにとっては嫌な場所だろう。
「無理に連れて行かなくても――」
「行く」
シエルは小さく、でもはっきり言った。
「自分のことだから」
レインは少し黙った。
そして頷く。
「分かった。一緒に行こう」
「うん」
シエルは首輪に触れる。
「外れたら……私、どうなるの?」
「自由になる」
「自由……」
その言葉を、シエルは確かめるように呟いた。
「自由って、何をしたらいいの?」
レインは答えに詰まった。
当たり前のことのはずなのに。
シエルにとっては、それすら分からない。
「まずは、食べたいものを食べればいい」
「それだけ?」
「着たい服を選ぶ」
「服……」
「行きたい場所に行く。嫌なことは嫌って言う。眠い時は寝る」
シエルは真剣な顔で聞いていた。
まるで、とても難しい魔法の講義を聞いているみたいだった。
「……難しい」
「まあ、少しずつでいい」
レインはそう言ってから、自分でも少しおかしくなる。
自分だって、自由になったばかりだ。
《黎明の剣》を追放されるまでは、居場所にしがみついていた。
無能と言われても、雑用係と言われても、そこにいるしかないと思っていた。
今は違う。
自分で選んでいる。
依頼も、宿も、仲間も。
少し怖い。
でも、悪くない。
「レイン」
「ん?」
「私は……」
シエルは少し迷ったあと、小さく言った。
「レインのそばにいたい」
レインは一瞬、言葉を失った。
視界にログが浮かぶ。
⸻
シエル
信頼度:46 → 49
感情:
安心
依存傾向 微
願望:同行継続
⸻
依存傾向。
その文字に、レインは少しだけ眉を動かした。
嬉しい。
頼られるのは嬉しい。
でも、依存させたいわけではない。
シエルには自由になってほしい。
その上で、一緒にいることを選ぶならいい。
「シエル」
「……嫌?」
「嫌じゃない」
シエルの目が少しだけ揺れる。
「ただ、首輪が外れたら、お前は自分で選べる。俺のそばにいるのも、別の道を行くのも」
「別の道は嫌」
即答だった。
「早いな」
「嫌」
シエルはもう一度言った。
レインは苦笑する。
「じゃあ、今はそれでいい。でも、いつかちゃんと考えればいい」
「……分かった」
本当に分かっているかは怪しい。
けれど、今はこれ以上言っても難しいだろう。
その時、窓の外で小さな音がした。
カツン。
レインの身体が固まる。
シエルもすぐにこちらを見る。
部屋は二階。
窓には防犯鍵がある。
外は細い路地。
風で何かが当たっただけかもしれない。
だが、ログが赤く浮かんだ。
⸻
警告。
外部からの視線を検知。
⸻
「……来たか」
レインは灯りを少し落とし、窓へ近づく。
カーテンの隙間から外を見る。
路地の向こう。
屋根の上に、小さな黒い影があった。
人影ではない。
鳥。
いや、鳥の形をした何か。
目だけが赤く光っている。
ログが浮かぶ。
⸻
監視用魔道具
所有者:
不明
目的:
対象観察
危険度:低
破壊推奨:
いいえ
追跡推奨:
不可
⸻
「魔道具か……」
誰かが、レインを調べている。
冒険者ギルドか。
レイヴェル家か。
奴隷商会か。
それとも、黒い指輪や聖剣に関係する誰かか。
判断材料が少ない。
シエルが不安そうに近づく。
「敵?」
「今は見てるだけみたいだ」
「壊さないの?」
「壊したら、こっちが気づいたってバレる」
シエルは小さく頷く。
「じゃあ、気づいてないふり?」
「そうする」
レインはカーテンを戻し、何事もなかったように机へ戻った。
だが、心の中では警戒を強める。
ログが表示される。
⸻
サブクエスト発生。
『監視者の正体を探れ』
推奨:
現時点では保留
優先事項:
生活基盤の安定
⸻
「保留ばっかりだな」
今すぐ追うべきではない。
まずは足場を固める。
安全な宿。
シエルの首輪解除。
装備。
調合。
自分の能力確認。
やることはいくらでもある。
レインは椅子に座り、深く息を吐いた。
シエルはベッドに腰を下ろし、眠そうに目をこすっている。
「眠いか?」
「少し」
「寝ていいぞ」
「レインは?」
「少し整理してから寝る」
シエルは迷うようにレインを見た。
それから、隣のベッドではなく、レインに近い方のベッドへ移動する。
「こっちで寝る」
「好きにしろ」
「うん」
シエルは毛布に包まると、すぐに目を閉じた。
よほど疲れていたのだろう。
しばらくすると、小さな寝息が聞こえ始めた。
レインはその姿を見て、少しだけ安心する。
今日一日で、いろいろなことが変わった。
だが、この寝顔だけは守りたいと思った。
その瞬間、視界にログが浮かぶ。
⸻
シエル
状態:睡眠
精神安定度:上昇
【星読】発現率:
60% → 61%
⸻
「寝るだけでも上がるのか」
小さく笑う。
明日、首輪を外す。
そのためには、奴隷商会へ行く必要がある。
嫌な予感はする。
だが、避けて通れない。
レインは机の上に硬貨を並べ、明日の予算を計算した。
その時、右手の黒い指輪がかすかに光る。
⸻
明日の推奨準備:
・身分証の確認
・ギルドマスターへの相談
・首輪解除費用の相場確認
・護衛候補の選定
注意:
奴隷商会には、隠し価値を持つ商品が存在します。
⸻
「隠し価値を持つ商品……?」
嫌な書き方だった。
奴隷を“商品”と呼ぶ場所。
シエルも、そこから来たのだろう。
レインは眉をひそめる。
その下に、さらにログが浮かぶ。
⸻
新規イベント予告。
『奴隷商会の掘り出し物』
発生条件:
シエルの首輪解除手続き
⸻
「掘り出し物って……人を物みたいに言うなよ」
レインは思わず低く呟いた。
だが、ログは淡々としている。
世界は、そういうふうに人を分類する。
価値があるか。
価値がないか。
高いか。
安いか。
使えるか。
使えないか。
だからこそ、無価値の指輪があるのかもしれない。
誰にも見向きされないものの価値を見つけるために。
レインはシエルの寝顔を見た。
「……明日、ちゃんと外してやるからな」
返事はない。
ただ、シエルの寝息だけが静かに響いていた。
窓の外では、赤い目の鳥がまだ屋根の上にいた。
レインはそれに気づかないふりをしたまま、そっと灯りを消した。
暗くなった部屋に、最後のログが浮かぶ。
⸻
メインクエスト更新。
『シエルを自由にせよ』
開始条件を満たしました。




