第十八話 「聖剣を浄化した雑用係」
「おい! 中で何が起きた!」
扉の外から、クラウスの怒鳴り声が響いた。
レインは思わずため息を吐く。
「……もう少し静かに成功を喜ばせてくれよ」
シエルが隣で小さく頷いた。
「うるさい人」
「まあ、否定はしない」
机の上では、白聖剣レイヴァルトが淡い光を放っていた。
先ほどまで刀身に絡みついていた黒い靄は消え、白い宝石は澄んだ輝きを取り戻している。
部屋の空気も明らかに変わっていた。
重く、冷たく、肌にまとわりつくようだった呪いの気配が、今はほとんどない。
アリシアは剣を抱きしめるようにして、しばらく動かなかった。
「……本当に、戻った」
その声は震えていた。
レインの視界にログが浮かぶ。
⸻
白聖剣レイヴァルト
状態:
正常
呪詛汚染率:
0%
所有者:
アリシア・フォン・レイヴェル
契約状態:
再契約済み
⸻
間違いない。
浄化は成功した。
レインは胸を撫で下ろす。
正直、途中で何度か死ぬかと思った。
呪詛具現体が出てきた時点で、普通の鑑定依頼ではなかった。
「レインさん」
アリシアが顔を上げる。
青い瞳が、真っ直ぐレインを見ていた。
「ありがとうございました」
「いや、俺だけじゃないです。ミリアの聖属性魔力と、シエルの補助と、月光花があったからで……」
「それでも」
アリシアは首を振る。
「あなたがいなければ、私はこの剣に呑まれていました」
その言葉に、レインは返答に困った。
人から正面切って感謝されることに慣れていない。
《黎明の剣》にいた頃、レインの仕事は“できて当然”だった。
荷物が整っていて当然。
ポーションが補充されていて当然。
野営地が安全で当然。
武器が手入れされていて当然。
失敗すれば怒られる。
成功しても褒められない。
それが普通だった。
だから。
「ありがとう」と言われると、どうにも落ち着かない。
「……役に立ったならよかったです」
結局、そんな無難な返事しかできなかった。
その時、ミリアが静かに言った。
「レイン」
「何?」
ミリアはまだ少し息を切らしていた。
聖属性魔力をかなり使ったのだろう。
顔色も悪い。
それでも彼女は、真剣な目でレインを見ていた。
「私、今まで知らなかった」
「何を?」
「あなたが、こんなふうに周りを見てたこと」
レインは少し黙った。
ミリアは続ける。
「戦ってる人だけが、パーティを支えてるんじゃないんだね」
その言葉は、妙に重かった。
今さらだ。
そう思う気持ちはある。
けれど、ミリアの声には本当の後悔があった。
視界にログが浮かぶ。
⸻
ミリア
レインへの評価:
後悔
信頼したい
謝罪したい
⸻
謝罪したい。
その項目を見て、レインは少し目を逸らした。
「……俺も、戦闘では役に立てなかったから」
「でも、必要だった」
ミリアは小さく首を振った。
「少なくとも、私たちはそれに気づくべきだった」
部屋の外では、まだクラウスが何か叫んでいる。
だが、会議室の中だけは妙に静かだった。
グラントが重い声で言う。
「話は後だ。まずは外を黙らせる」
「できれば穏便にお願いします」
レインがそう言うと、グラントは少しだけ笑った。
「努力はする」
その言い方が全く穏便ではなかった。
グラントが扉を開ける。
そこには、案の定クラウスが立っていた。
後ろにはリリカとガルド。
クラウスは会議室の中を覗き込み、机の上の白聖剣を見た。
「……なんだ、その光」
先ほどまでとは明らかに違う聖剣の輝き。
クラウスにも分かったのだろう。
その表情が、疑問から焦りへ変わる。
アリシアが白聖剣を手に取り、立ち上がった。
「白聖剣レイヴァルトの呪詛は解除されました」
ギルドの空気が止まった。
扉の向こうにいた冒険者たちも、その言葉を聞いてざわつき始める。
「聖剣の呪いを?」
「誰が?」
「まさか、あのE級か?」
クラウスの顔が歪んだ。
怒り。
焦り。
困惑。
その全部が混ざった顔だった。
「……嘘だろ」
小さく漏れた声は、すぐ怒鳴り声に変わった。
「ありえないだろ!」
ギルド中に響く声。
周囲の冒険者たちが一斉に振り返る。
クラウスはレインを指差した。
「そいつは雑用係だぞ!? 俺たちの荷物を運んで、鍋を洗って、寝床を整えてただけの男だ!」
レインは黙っていた。
クラウスは止まらない。
「剣もろくに振れない! 魔法も使えない! 戦闘になれば後ろで震えてただけだ! そんな奴が、聖剣の呪いを解けるわけないだろ!」
ギルド内の空気が、すっと冷えた。
叫べば叫ぶほど、クラウスの必死さだけが際立っていく。
誰かが小さく呟いた。
「でも、実際に解いたんだろ……?」
別の冒険者が続ける。
「ハズレ森の異常も当てたよな」
「月光花も持ち帰った」
「呪われた倉庫も整理したって聞いたぞ」
「さっきもギルドマスターに報告が正しいって言われてなかったか?」
「偶然にしては、多すぎねぇか?」
クラウスの顔が赤くなる。
「黙れ! 全部たまたまだ!」
その瞬間、グラントが低い声で言った。
「偶然を四度続けられる者を、ギルドでは有能と呼ぶ」
ギルド内が静まり返った。
クラウスの口が止まる。
レインの視界にログが浮かぶ。
⸻
クラウス
発言成功率:
31% → 12%
周囲評価:
急落中
⸻
「……十二パーセント」
「何が十二なの?」
シエルが小さく聞く。
「いや、今は気にしなくていい」
クラウスは歯を食いしばり、レインを睨んだ。
「お前……何をした。何を隠してる」
レインは肩をすくめた。
「雑用係の勘だよ」
その一言で、周囲から小さな笑いが漏れた。
「雑用係の勘で聖剣浄化かよ」
「便利すぎるだろ」
「俺もその勘ほしいわ」
クラウスの顔がさらに歪む。
「笑うな!」
リリカが慌てて袖を引いた。
「クラウス、もうやめなさいって。見苦しいわ」
「見苦しいだと?」
「実際そうでしょ。結果は出てるのよ」
リリカの言葉に、クラウスは一瞬固まった。
まさか味方からそんなことを言われると思っていなかったのだろう。
ガルドも腕を組んで、低く呟く。
「……今回は分が悪いぜ、クラウス」
「お前まで……!」
クラウスは怒りで肩を震わせる。
その視線が、今度はミリアへ向いた。
「ミリア!」
ミリアはびくっと肩を震わせた。
クラウスは苛立ちを隠さず言う。
「お前も何か言えよ! そいつは俺たちのパーティじゃ何もできなかった。そうだろ!」
ミリアは唇を噛んだ。
少し前の彼女なら、クラウスに合わせていたかもしれない。
でも今は違った。
ミリアは白聖剣を見て、それからレインを見た。
「……何もできなかったんじゃなくて」
小さな声。
けれど、確かに聞こえる声だった。
「私たちが、何をしてくれていたのか見てなかっただけだと思う」
クラウスの目が見開かれる。
ギルド内がまた静かになる。
ミリアは続けた。
「野営地が安全だったのも、ポーションが切れなかったのも、採取品の状態がよかったのも、武器が壊れにくかったのも……たぶん、レインがやってくれてた」
「違う!」
クラウスが叫ぶ。
「そんなの誰でもできる!」
グラントが冷静に言った。
「なら、なぜお前たちはレインが抜けた後に失敗が増えた?」
クラウスの口が止まった。
リリカが気まずそうに視線を逸らす。
ガルドも黙る。
ミリアは何も言わない。
答えは、全員が分かっていた。
レインの視界にログが浮かぶ。
⸻
《黎明の剣》
パーティ安定率:
51% → 44%
内部信頼崩壊度:
34% → 42%
ざまぁ進行度:
41% → 49%
⸻
「……ほぼ半分」
レインは思わず呟いた。
クラウスは拳を握りしめる。
「認めない」
その声は低かった。
「俺は認めないぞ。こんな雑用係が、俺より評価されるなんて……!」
その言葉に、周囲の冒険者たちが顔をしかめた。
完全に本音が漏れていた。
レインの成果が信じられないのではない。
レインが自分より評価されるのが許せないだけ。
それが周囲にも伝わってしまった。
ログがさらに変化する。
⸻
クラウス
周囲評価:
低下
発言成功率:
12% → 7%
⸻
アリシアが静かに前へ出た。
白聖剣を胸の前に掲げる。
その姿は、貴族令嬢というより騎士に近かった。
「クラウスさん」
「……何だよ」
「私はこの剣に呑まれかけていました。レインさんは、それを助けてくださいました」
クラウスは顔を歪める。
「だから何だ」
「私の恩人を侮辱するのは、おやめください」
静かな声だった。
だが、鋭かった。
貴族令嬢としての品位と、剣士としての圧がある。
クラウスは一歩も動けなかった。
相手はレイヴェル家の令嬢。
しかも聖剣の正式な所有者。
ここで噛みつけば、ただでは済まない。
クラウスは悔しそうに奥歯を噛みしめた。
「……チッ」
そしてミリアを見る。
「戻るぞ」
ミリアは俯いた。
だが、すぐに顔を上げる。
「……今日は、ギルドに残る」
クラウスの目が細くなる。
「は?」
「聖属性魔力を使いすぎた。少し休みたい」
「そんなの宿で休めばいいだろ」
「ギルドで休む」
短い言葉。
でも、明確な拒否だった。
リリカが目を丸くしている。
ガルドも気まずそうに頭を掻いた。
クラウスだけが、怒りで顔を歪める。
「勝手にしろ」
吐き捨てるように言って、クラウスは背を向けた。
「行くぞ」
リリカは少し迷ったあと、クラウスについていく。
ガルドも続いた。
だが、去り際にリリカがレインをちらりと見た。
その視線には、昨日までの軽蔑だけではない何かが混じっていた。
ログが表示される。
⸻
リリカ
レインへの評価:
軽視
疑念
焦り
⸻
疑念。
焦り。
彼女も気づき始めているのかもしれない。
《黎明の剣》が、少しずつ崩れていることに。
グラントが周囲を見渡し、声を張った。
「騒ぎは終わりだ。全員、持ち場へ戻れ」
ギルドマスターの一言で、冒険者たちは散っていく。
それでも、何人かはレインへ興味深そうな視線を向け続けていた。
レインは少しだけ疲れを感じる。
今日は色々ありすぎた。
呪われた倉庫。
黒い指輪。
封印箱。
欠けた鍵。
元パーティの失敗。
貴族令嬢の聖剣。
そして呪詛浄化。
昨日まで無職同然だった人間の一日に詰め込むには、多すぎる。
アリシアが改めてレインへ向き直る。
「レインさん。報酬についてですが」
「はい」
「当初の約束通り、金貨三枚をお支払いします」
「金貨三枚……」
分かっていても、実際に聞くと重い。
レインは思わず固まった。
金貨三枚。
昨日まで銀貨数枚で悩んでいた自分からすると、信じられない額だ。
アリシアはさらに続ける。
「それとは別に、レイヴェル家から正式な謝礼を用意させていただきます」
「いや、そこまでは」
「必要です」
アリシアは真剣だった。
「あなたは聖剣だけでなく、私の命も救いました」
レインは返答に困る。
多すぎる報酬は目立つ。
目立つと面倒が増える。
それはもう十分に学んだ。
ログを見る。
⸻
報酬受取選択:
【全額受け取る】
資金大幅増加
注目度上昇
【一部辞退】
好感度上昇
資金中増加
【物品報酬を希望】
今後の成長に有利
注目度中
推奨:
【物品報酬を希望】
⸻
物品報酬。
なるほど。
金だけでなく、装備や素材に変えれば目立ちにくいし、成長にも繋がる。
レインは少し考えてから言った。
「金貨三枚はありがたく受け取ります。ただ、追加の謝礼はお金より、装備や素材でお願いできますか」
アリシアが少し驚いた顔をする。
「装備や素材、ですか?」
「はい。俺もシエルも、まだまともな装備がないので」
アリシアはシエルを見る。
シエルは少し警戒しながらも、レインの後ろに立っていた。
「分かりました」
アリシアは頷く。
「では、レイヴェル家の倉庫から、お二人に合う装備と素材を用意します」
その瞬間、ログが表示された。
⸻
報酬分岐成功。
後日報酬:
【初心者用上質装備】
【星読補助素材】
【鑑定士用道具】
入手可能性上昇。
⸻
「よし」
思わず声が漏れた。
「何か?」
「いえ、ありがたいなと」
これはかなり大きい。
金だけでは手に入らないものもある。
特にシエルの【星読】補助素材。
これは今後かなり重要になる。
ミリアがそっと近づいてきた。
「レイン」
「ん?」
「私も、手伝えることがあったら言って」
レインは少し驚いた。
「《黎明の剣》は?」
ミリアは目を伏せる。
「……分からない」
小さな声だった。
「でも、今日みたいなことがあるなら、見て見ぬふりはしたくない」
ログが浮かぶ。
⸻
ミリア
協力者候補として登録。
役割:
聖属性補助
信頼度:
18
⸻
信頼度18。
アリシアほど高くはない。
でも、協力者としては十分だ。
「分かった。必要な時は頼む」
「うん」
ミリアは少しだけ安心したように微笑んだ。
その表情を見て、シエルがまたレインの袖を握る。
今度は少し強めだった。
⸻
シエル
感情:
警戒
対抗心
独占欲 微
⸻
「……ログ、たまに見ない方がいいな」
「何?」
「いや、こっちの話」
レインは誤魔化した。
グラントが話を締めるように言う。
「今日はここまでだ。レイン、お前も休め」
「そうします」
「明日以降、装備選定の件と、ハズレ森再調査の準備でまた呼ぶ」
「休ませる気あります?」
「ある。今日は帰れ」
「今日だけですか」
グラントは少し笑った。
「忙しくなるぞ、謎の鑑定士」
その呼び方はやめてほしかった。
だが、悪くない。
無能の雑用係よりは、ずっといい。
ギルドを出る頃には、外は夕方になっていた。
オレンジ色の光が石畳を照らしている。
レインは腰の報酬袋を確認した。
金貨三枚。
銀貨多数。
それに、月光花の残り。
黒い指輪。
数日前の自分とは、まるで別人の荷物だった。
シエルが隣を歩きながら、ぽつりと言う。
「レイン、すごいね」
「すごいのはログ……いや、勘だ」
「でも、選んでるのはレイン」
その言葉に、レインは少しだけ黙った。
選んでいるのは自分。
確かにそうだ。
ログは答えを見せる。
でも、決めるのは自分だ。
「……そうだな」
レインは小さく頷いた。
その時、視界に新しいログが浮かんだ。
⸻
メインクエスト更新。
『生活基盤を整えよ』
推奨行動:
安全な宿への移動
シエルの装備購入
月光花の調合
無価値の指輪の性能確認
⸻
「生活基盤か」
派手な依頼より、今はそれが大事かもしれない。
金を得た。
評価も得た。
でも、まだ拠点も装備も不安定だ。
レインはシエルを見る。
「今日は少しいい宿に泊まるか」
シエルの目がわずかに大きくなる。
「いい宿?」
「飯もちゃんと出るところ」
「……行きたい」
珍しく即答だった。
レインは笑う。
「じゃあ決まりだ」
その瞬間。
⸻
シエル
信頼度:42 → 44
⸻
少しずつ。
本当に少しずつだが、前に進んでいる。
そう思った直後。
路地の向こうから、一人の男がこちらを見ていることに気づいた。
薄汚れた外套。
冒険者ではない。
商人でもない。
男はレインと目が合うと、すぐに人混みへ消えた。
ログが一瞬だけ表示される。
⸻
【監視】
所属:
不明
目的:
調査
⸻
レインは足を止めた。
「……もう目をつけられたか」
シエルが不安そうに見上げる。
「レイン?」
レインは人混みを見つめながら、小さく呟いた。
「やっぱり、今日はいい宿にしよう」
安全も買えるなら、買った方がいい。
金貨の重みが、急に少しだけ怖く感じた。




