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第057話:第31層・古代桟橋の発見 〜水面下に眠る道〜

大迷宮第31層――『水没巨石回廊』。


 ここは、天井高が二十メートルを超える巨大なドーム状の石造空間であり、かつて古代文明が物資を輸送するための主要幹線道路だったとされる場所だ。

 しかし現在のこの場所は、三百年前に崩壊した水脈の濁流によって完全に水没し、深さ三メートルを超える底なしの地底湖へと姿を変えていた。水面には激しい白波が立ち、岩壁のあちこちから滝のように水が落ちてくる轟音が、耳をつんざくように響き渡っている。


「――ガレス、ここから先は足がつかないわ!」

 水辺のわずかな足場に身を寄せたエレンが、濡れた金髪を手で払いながら叫んだ。

「水深はおよそ三メートル二十センチ。水底には崩れた瓦礫が乱立していて、舟を浮かべても底を擦って一瞬で転覆するわ。……泳いで渡るにしても、この急流では体力があっという間に尽きてしまう」


「うむ……」

 ガレスは腰の高さまで水に浸かりながら、水面の向こうの暗がりを鋭く睨みつけた。

 ランタンの光の届く限界、およそ百メートル先の対岸には、巨大な黒曜石で造られた水門のアーチと、第35層へと続く竪坑の扉がうっすらと見えていた。あそこへ到達できなければ、第31層の水門を開くことも、水底のレオンハルトたちを救いに行くこともできない。


「おいおい、ガレス。どうするよ?」

 背後でタワーシールドを岩に立てかけたボルクが、髭についた水滴を拭いながら唸った。

「いくら大将の即席浮袋があるからって、この濁流の中を百メートルも犬かきで泳いで渡るのは自殺行為だぞ。水中に潜む水棲魔獣の格好の的にされちまう」


「……いや。泳ぐ必要はないはずだ」

 ガレスは首を横に振り、胸ポケットから防水紙に包まれた一枚のメモを取り出した。

 そこには、今朝地下資料室を出る際、ロウが鉛筆でサラサラと走り書きしてくれた【迷宮の床構造に関する覚書】が記されていた。


『――迷宮の建造者は、人間が通れない道をわざわざ作ったりはしない。一見すると水没した行き止まりに見える場所であっても、そこが古代の主要通路だったなら、必ず「床」に水没時の緊急避難路が仕込まれているはずだ。……鍵は、大地の反発力だ。足裏の三点を揃え、迷宮に己の体重を正確に伝えてみろ』


「大将のメモか」ボルクが目を瞬かせた。

「床って言ったってよ、水底の石畳は水深三メートルの底だぞ? どうやって体重を伝えるんだ?」


「水底へ降りるんだよ、ボルク」

 ガレスは静かに微笑むと、背嚢から二つの牛の膀胱浮袋を外した。

 そして代わりに、足元に転がっていた平たい十キロほどの重石を二つ拾い上げ、両足のすね当てのベルトにカチリと固定した。


「おいおいおい!? 足に重りをつけちまったら、浮き上がれなくなるぞ!?」

「浮く必要はない。……大将の教えを思い出せ。『水流に逆らって泳ぐな。重力に逆らわず、底の大地に足を預けろ』だ」


 ガレスは深く息を吸い込み、口にハッカ樹皮の消臭炭袋マウスピースを咥えると――躊躇うことなく、深さ三メートルの濁流の中へとドブンと沈み込んでいった。


「ガレスっ!!」

 エレンが思わず手を伸ばしたが、ガレスの身体は重石の重みによって、一直線に水底の石畳へと着地していた。


 ゴボボボボッ……!


 頭上を激しい濁流が吹き荒れている。

 しかし、水底の石畳の表面は、上層の急流に比べれば驚くほど水の動きが穏やかだった。水圧は全身を押し包んでいたが、肺いっぱいに吸い込んだ空気と、マウスピースの微小な酸素供給によって、苦しさはまったく感じなかった。


(……足裏の三点だ。親指の付け根、小指の付け根、そして踵……!)


 ガレスは水底の石畳の上に両足をしっかりと広げ、腰を落とした。

 かつて兄のクライヴが手帳に遺した言葉、そしてロウ先生が毎朝の訓練で教えてくれた『三点荷重の歩法』。

 スキルも使わず、魔力も込めず、ただ己の肉体の骨格と体重を、大地に対して【垂直に、寸分のブレもなく】落とし込む。


 ――トンッ。


 水底の苔むした石畳に、ガレスの右足が静かに接地した。

 その瞬間だった。


 ピシリ……ボゥッ!!


 ガレスの足元から、眩いばかりの青い燐光が水底を走った。

 三百年もの間、泥と苔に覆われて眠っていた石畳の表面に、巨大な幾何学模様――初代迷宮守の『生体認証回路』が、鮮やかに光を宿したのである!


 ――ゴゴゴゴゴゴゴゴッ……ガコンッ!!


 大迷宮そのものが震えるような重低音が響き渡り、水深三メートルの湖底から、信じられない現象が巻き起こった。


「な……っ!? エレン、見ろよ!!」

 陸に残っていたボルクが、目を剥いて叫んだ。


 ガレスの足元の石畳から、幅五メートル、長さ百メートルに及ぶ巨大な石造りの桟橋――【ドライ・ブリッジ(古代桟橋)】が、水圧を押し分けながら、まるで巨大な浮島のように水面へとゆっくりと浮上してきたのだ!


 ザバァァァッ――プシューッ!!


 水面を割って現れた石造りの桟橋の表面には、古代の強力な撥水術式が施されており、表面に溢れていた濁流は左右の地底湖へと滝のように流れ落ち、わずか十秒で、靴底を濡らすこともない【完全に乾いた石畳の一本道】が、対岸の水門まで真っ直ぐに架け渡されたのである!


「ぷはっ……!」

 桟橋の中央で、足の重石を外したガレスが水面から顔を出し、力強く息を吐いた。


「が、ガレス……! あなた、本当に水底の道を浮上させたの……!?」

 駆け寄ってきたエレンが、驚愕のあまり声を震わせた。


「ああ……大将の教えの通りだったよ」

 ガレスは濡れた髪をかき上げ、浮上した乾いた桟橋を踏みしめながら笑った。

「この床はな、魔力や魔法で叩いても反応しないように作られていたんだ。……初代の迷宮守は、魔力を持たない人間でも、正しく大地の重心を捉えて歩くことができる『本物の歩法』を持つ者だけを、この桟橋の管理者として認識するように設計していたんだよ」


「本物の歩法……」ボルクが感嘆の息を漏らした。「大将のあの『床の鳴らない歩き方』が、三百年前の迷宮のマスターキーだったってわけか……! とんでもねぇ爺さんだぜ、本当に!」


 三人は乾いた桟橋を駆け抜け、百メートル先の対岸へと到達した。

 そこには、第8層でカイたちが見つけたものと同じ、巨大な青銅と黒曜石で組まれた【第31層の中央大水門】が、堅牢な佇まいで鎮座していた。

 そしてその脇には、深さ数百メートル、第35層の水没都市へと垂直に直通する、古代の巨大な竪坑(エレベーターシャフト)が、漆黒の口を開けていた。


「中央大水門、および第35層直通竪坑の確保に成功したぞ」

 ガレスは腰の魔導通信機を手に取り、地下資料室のロウへと誇らしく報告の声を届けた。


『こちら『白銀の轍』のガレスだ。先生、第31層の古代桟橋の開通に成功した! 中央大水門の前まで、全軍が乾いた足場を通って進軍可能だ!!』


『――よくやってくれた、ガレスくん』

 通信機の向こうから返ってきたのは、いつもの穏やかで、しかし心から教え子を誇りに思うロウの温かい声だった。

『君たちの足腰が、水底の三十人を救うための第二の架け橋を作ってくれた。……すぐにセリアと『灯火』をそちらへ合流させる。準備を頼むよ』


『了解っ!!』


 三百年ぶりに目覚めた水上の道。

 孤立した同胞の待つ水底の聖堂へ向けて、無冠の老教官が率いる救助部隊の刃は、一歩、また一歩と、確実にその深淵へと迫りつつあった。

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