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第056話:『おまけ動画:泥臭い甲殻ナマズで作る、極上つみれ汁と防錆脂』

地下3階の安全講習室に、グツグツと湯気を立てる鉄鍋から、食欲を激しく刺激する香ばしい匂いが立ち込めていた。


「――はいっ、カメラ回ってます、室長! 今日も笑顔が素敵ですよ!」

 オーバーホールを終えてピカピカに磨き上げられた浮遊カメラ『3号機』が、ノエルの手元からフワリと浮き上がり、料理台の前に立つロウ・ヴァルハイトを正面から捉えた。


「――大迷宮の探索者諸君、講義のあとの『おまけ動画』の時間だ」


 白い割烹着を身に纏い、手入れの行き届いた出刃包丁を構えたロウが、カメラに向かって気さくに笑いかけた。

 そのまな板の上には、体長六十センチほどもある、黒光りする甲羅を背負った不気味な魚――水没階層で大量発生している『甲殻ナマズ』が、桶の中でヌメヌメと跳ねていた。


「ここ数日、第20層から第28層の水没区画に入った探索者たちから、『水棲ナマズが足に絡みついて邪魔だ』『釣り上げても泥臭くて小骨が多く、一口も食えたもんじゃない』という愚痴をよく聞く。ギルドの換金所でも、一匹につき銅貨一枚という二束三文のゴミ扱いをされているようだな」


 カメラの死角で見ていたカイとピノが、深く頷いた。

 実際、昨日第8層の水路を歩いていた時も、足元を泳ぎ回る甲殻ナマズの鋭い背ビレにブーツを引っ掛けられそうになり、探索者たちの間では「ただの厄介な害魚」として忌み嫌われていたのだ。


「だが、どんな魔物であっても、大迷宮の生態系の中に『無駄な命』など一つもない。……正しい下処理の技術さえ知っていれば、この泥臭いナマズは、君たちの冷え切った身体を芯から温める【極上の野営メシ】になり、さらに武器や防具の命を三倍長持ちさせる【最高級の防錆オイル】に化けるんだ」


 ロウはナマズの頭をまな板に固定すると、出刃包丁の刃先を、エラ蓋のすぐ後ろの硬い甲羅の継ぎ目へと【斜め四十五度】にスッと滑り込ませた。


 ――サクッ。


「まず、ナマズが泥臭い最大の原因は、肉そのものじゃない。背中の甲羅の内側にある、この小さな【黒い泥袋(胆嚢)】だ。ここを傷つけずに、包丁の峰で軽く押し出すようにして外してやる」


 ロウの手先が目にも留まらぬ速さで動き、真っ黒な小さな袋がツルンとまな板の端へ取り除かれた。

 その瞬間、生臭かった部屋の空気が、まるで魔法のようにスッと澄み渡った。


「泥袋さえ取ってしまえば、ナマズの身は脂の乗った上等な白身魚と同じだ。……だが、こいつには細かい小骨が多い。そこで、包丁を細かくトントンと入れて骨切りをし、木べらで叩いてミンチにする」


 トントントントンッ、と心地よいリズミカルな包丁の音が部屋に響く。

 ロウはすり潰したナマズの白身に、第1巻でお馴染みとなった『ハッカ樹皮の粉末』、山で採れた野ショウガ、そしてガンツ親方の工房の地下で熟成させた大豆味噌をひとつまみ放り込んだ。


「ハッカの清涼感とショウガの辛味が、川魚特有の脂っこさを完全に消してくれる。……あとはスプーンですくって、沸騰した昆布出汁の鍋の中へ落としてやるだけだ」


 ポトン、ポトン、と丸められた白い団子が、琥珀色のスープの中へと次々に沈んでいく。

 火が通るにつれて、プカプカと表面に浮き上がってきたつみれは、黄金色の脂の玉をキラキラと散らし、食欲をそそる芳醇な香りを部屋中に充満させ始めた。


「――よし、できたぞ。『甲殻ナマズとハッカ生姜の極上つみれ汁』だ。みんな、冷めないうちに食べてくれ」


「「「わぁぁぁぁっ!!」」」

 撮影のカットがかかった瞬間、机の周りで喉を鳴らしていた面々が一斉に駆け寄った。


 お椀を両手で受け取ったピノが、フーフーと息を吹きかけ、熱々のつみれをハフッと口に放り込む。

 その瞬間――ピノの山猫耳がピーンと直立し、丸い瞳がこぼれ落ちそうになった。


「んんんん〜〜〜〜っっっ!? ふあぁぁぁっ、おいひぃぃぃっ!!」

 ピノは両手で頬を押さえ、その場でピョンピョンと跳ね回った。

「ふわっふわだよぉ! 噛んだ瞬間に中からお魚の甘いお汁がジュワッて溢れてきて、そのあとにハッカとショウガの香りがスーッて鼻に抜けていくの! 泥の匂いなんてこれっぽっちもしないよぉ!!」


「本当だわ……!」

 上品に木のスプーンを口に運んだセリアも、驚きに目を見張った。

「白身の弾力が信じられないほどプリプリしていて、脂の旨味が味噌と溶け合って……口の中が天国ですわ! しかも、スープを一口飲んだだけで、指先までカッカと温かくなってきます!」


「でしょう!」ミアも嬉しそうにお椀をおかわりした。「ハッカと生姜の成分が血管を広げてくれるから、冷たい水没階層で冷え切った身体には、どんな高級ポーションよりも効く最高の防寒食になります!」


 カイもガレスも、大柄な男たちが夢中になって木椀を抱え、ハフハフと白い息を吐きながらあっという間に三杯を平らげてしまった。


「……だがな、探索者諸君」

 ロウは満足そうに微笑みながら、煮込み鍋の隣で弱火にかけていたもう一つの小さな鉄鍋を指差した。

 そこには、ナマズの内臓と皮から煮出された、黄金色に透き通るドロリとした油が溜まっていた。


「この料理の本当の価値は、身を食べた後に残るこの【皮下脂肪(ナマズ脂)】にある」


 ロウは机の上から、一本の磨き上げられた鉄の短剣を取り出した。

 そして、刷毛にナマズの油を薄くつけ、短剣の刀身の表面へスーッと均等に塗り広げた。


「甲殻ナマズの脂は、水生魔獣特有の強い撥水(はっすい)タンパク質を含んでいる。……これを薄く塗った鉄剣を、第28層の強酸性の濁流と同じ濃度の水槽に沈めてみよう」


 ロウが短剣を、塩酸と硫黄を混ぜた試験水槽の中へと『ドボン』と沈めた。

 通常の武器であれば、数分で表面からブクブクと泡が立ち、黒ずんでサビが浮き上がってくるはずの劇薬だった。


 ――しかし。


 十分が経過しても、短剣の表面の油膜は一滴も剥がれることなく、強酸の水を完全に弾き返していた。

 引き上げられた短剣の刀身は、水滴がコロコロと玉になって転がり落ち、まるで今さっき砥石で研ぎ上げたばかりのように銀色に輝いていたのである!


「「「おおおおおっ……!!」」」

 ガンツ親方が目を丸くして短剣をひったくった。


「嘘だろ……!? 酸性の水の中に十分漬けて、サビひとつ浮いてねぇぞ! 王都の高級武具店で金貨五枚で売ってる『ミスリルコーティング剤』より、よっぽど強力な皮膜を作ってやがる!!」


「ああ」ロウは優しく頷いた。

「ナマズ一匹から、短剣十本分の防錆油が取れる。水没階層へ潜る前、刃物や鎧の継ぎ目にこれを塗っておけば、三日間水の中に潜りっぱなしでも、武器が錆びて折れる心配は100%なくなる」


「す、素晴らしいわ、室長!!」

 ヴェロニカが歓喜の悲鳴を上げ、手元の計算帳を激しく叩いた。

「今、迷宮都市には数千人の探索者がいますが、武具の腐食による買い替え費用はギルド全体で月に金貨数百枚にも上りますの! それが、道端で捨て値同然の甲殻ナマズ一匹で完全に解決できるなんて……! この動画を公開すれば、都市の経済がまた一つひっくり返りますわ!!」


 ――そして、ヴェロニカの予言は、翌朝早くに現実のものとなった。


 動画がギルド本部の掲示板で公開されたわずか一時間後、迷宮都市の中央換金所には、桶を抱えた探索者たちが殺到した。

「おい、甲殻ナマズを全部寄越せ!」「うちのパーティーの分がないぞ!」「ナマズの泥袋を抜く用の出刃包丁はどこで売ってるんだ!?」

 昨日まで銅貨一枚でも誰も見向きもしなかった泥ナマズの買い取り価格は一気に跳ね上がり、屋台街の至るところから、熱々のつみれ汁の良い匂いと「うめぇぇっ!」という探索者たちの快哉が響き渡ったのである。


 地下3階の薄暗い一角から発信される老教官の知恵は、水底の救難作戦を前に、迷宮都市全体の胃袋と装備を、完璧な万全の状態へと押し上げていたのだった。

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