第044話:『番外講:大きすぎる魔物に道を譲ってもらう時の、正しいノックの仕方』
――グォォォォォォォン……ッ!!
第65層・北側シャフト最底部の大ドームに、大地そのものが鳴動するような『古代熔岩亀』の咆哮が響き渡った。
全長五十メートル、全高二十五メートル。背中の甲羅は冷え固まった黒曜石と赤く煮えたぎる溶岩の層で覆われ、いかなる攻撃魔法もミスリルの大剣も一切通さない、生ける自然災害である。
地下3階の最高作戦司令室では、メインスクリーンに映し出されたそのあまりにも絶望的な巨体を前に、ギルドマスターのバルドと将軍たちが真っ青になって震え上がっていた。
「ひ、ひいいっ!? あ、あれがシャフトの底を塞いでいた原因、『古代熔岩亀』か!? 記録にある個体より二倍もデカいぞ! あんな化け物、王国の宮廷魔導師団とS級クランを三個師団投入して、一週間かけても甲羅に傷ひとつつけられるかどうか分からんぞ!!」
「し、しかも見てください! さっき上層のバルブを開けて圧力が抜けたせいで、背中が急に冷えて目を覚ましてしまいましたわ! 今、あのドームにはヴァルハイト室長お一人しかいらっしゃらないのに……!!」
ヴェロニカが悲鳴を上げ、第55層の中継回線からもセリアが「先生っ! 今すぐ私が第55層からそちらへ駆けつけますから、どうか一旦お下がりになってください!!」と必死に叫んだ。
だが――
画面の中で、身長差三十倍近い山のような熔岩亀の前に立つロウ・ヴァルハイトは、逃げるどころか、肩の上の『3号機カメラ(チビ)』に向かって、いつものように人懐っこい笑みを浮かべて手招きしたのである。
『――やあ、みんな。上層のバルブを時間通りに開けてくれてありがとう。おかげでここ第65層の湯気もすっかり晴れて、カメラ映りが良くなったぞ』
ロウはまるで第1層のゴブリンの前に立っているかのような穏やかな声で、カメラの向こうの教え子たちに語りかけた。
『せっかく3号機が撮ってくれているから、ここで短い【番外講】をひとつ撮っておこうか。テーマは――「絶対に刃が通らないほど大きすぎる魔物に、怪我をさせずに道を譲ってもらう時の、正しいノックの仕方」だ』
「「「ば、番外講ぉぉっ!? こんな神話級の怪物の目の前で、初心者講座を始める気かよぉぉっ!?」」」
司令室の全員が総ツッコミを入れるのと同時に、ノエルの指がほとんど条件反射(職業病)でコンソールを叩き、画面の下部にキラリと光る字幕を表示させてしまった!
『【番外講・要点①】甲羅の硬い大型魔物を、力任せに正面から殴るのはNG! まずは相手の「あくび(ブレス)」の風向きを見極めましょう!(※良い子の新米探索者は絶対に真似しないでください!)』
その直後、目を覚ました『古代熔岩亀』が、自分の寝床の前に立つ小さな人影に気づき、大口を開けて摂氏二千度の超高熱プラズマ火炎――【極大熔岩咆哮】をドーム全体へ向かって吐き出した!
――ゴォォォォォォォッ!!
岩盤すら一瞬で蒸発させる灼熱の火柱が、ロウの立っていた場所を丸ごと呑み込む!
「「「先生ぇぇぇっ!!」」」とカイとセリアが絶叫した、次の瞬間。
3号機の看破レンズが捉えていたのは、燃え盛る二千度の火炎ブレスの「すぐ真下・床からわずか三十センチの隙間」に流れている冷たい上昇気流のエアポケット(風の通り道)を読み切り、『三点歩法』の低い姿勢で音もなくブレスの横をすり抜けて、熔岩亀の巨大な顎の下へと歩み寄るロウの姿だった!
『いいかい、みんな。第1講で「迷宮の風は必ず下から上へ、温度差のある方へ流れる」と教えただろう? こういう大きな火を吐く魔物のブレスも、実は中心が一番熱くて、足元の地面すれすれには「外から吸い込まれる涼しい空気の層」が必ずできるんだ。そこを三拍子で息を吐きながら歩けば、ほら、外套の裾ひとつ焦げないだろう?』
「「「いやいやいや、理屈は分かるけど二千度のブレスの真下を歩いてすり抜ける人間なんかいないわよぉぉっ!!」」」
クラリス教授が頭を抱えて絶叫する中、ロウは熔岩亀の巨大な首の付け根へと軽やかに跳び乗った。
そして、昨夜ガンツ親方から十五年ぶりに返してもらった、腰の左側の『片刃が欠けたミスリル鋼の短剣』をスッと逆手に抜き放った。
ただし、ロウはその鋭い刃の方ではなく、柄の『丸い峰(柄頭)』の方を下に向けた。
『この古代熔岩亀みたいに、何百年も生きて迷宮の熱脈を循環させてくれている主を、無理に殺してしまっては迷宮の生態系が壊れてしまう。ただ、寝ぼけて換気口のど真ん中にハマっているだけだからな。……こういう時は、第2講のトカゲと同じで、首の付け根の鎖骨にあたる部分――一番気持ちよく眠れる「神経節のツボ」を、斜め四十五度の角度で優しく二回ノックしてやればいい』
ロウは鼻からスゥ、スゥと二拍息を吸い、肩の力を完全に抜いて、口からハァーッと吐き出す3拍目に合わせ――熔岩亀の分厚い甲羅と首の皮膚が交わるわずか二ミリの隙間に、欠けた短剣の柄頭を「トントン」と斜め四十五度の角度で、まるで扉をノックするように軽く二回当てた。
――コ、コンッ。
力などほとんど入っていないはずのその二回のノックが、手首を半ミリ引く絶妙な浸透衝撃となって、全長五十メートルの巨体の全副交感神経(睡眠中枢)へと一瞬で共鳴伝達した!
次の瞬間。
「グァ……、ふぁぁぁぁぁぁ〜〜……っ」
先ほどまで怒り狂って火を吹いていたはずの神話級の『古代熔岩亀』が、まるで最高に気持ちのいい首筋マッサージを受けた老犬のように目をトロンと細め、ドームが揺れるほどの大欠伸をひとつすると――
――ゴロゴロゴロ……ドスゥゥゥンッ!!
自らごろんと横向きに寝返りを打って、塞いでいた北側排気シャフトの最底部排出口から、自分の巨体をすっぽりと抜いてしまったのである!
そしてそのまま、手足を甲羅の中に引っ込めて「グゥゥゥ……スヤァ……」と幸せそうな寝息を立てて深い冬眠へと落ちていった。
――ポカン。
地下3階の最高作戦司令室も、中継映像を見ていた第55層のセリアたちも、第27層のガレスたちも、第5層のカイたちも、全員が口をあんぐりと開けたまま完全にフリーズした。
王国の騎士団とS級クランが三個師団で一週間戦っても勝てるか分からない全長五十メートルの神話級モンスターが、短剣の柄頭で「トントン」と二回首筋をノックされただけで、気持ちよさそうに寝返りを打って道を譲ったのである!
そんな静寂の中、ノエルの指だけがカタカタッとコンソールを叩き、眠りこける熔岩亀の頭上にキラキラとした魔導光字幕を浮かび上がらせた。
『【番外講・まとめ】どんなに大きな相手でも、呼吸を合わせて「斜め四十五度のツボ」を優しく2回ノックすれば、気持ちよく寝返りを打ってくれます!(※所要時間:3秒/消費魔力:0/生存率:100%です♪)』
「「「いや、だからそんな基礎講座みたいにまとめられるわけないでしょぉぉぉっ!!」」」
クラリス教授とギルドマスターが涙目で総ツッコミを入れ、セリアだけが「ああっ、さすが私のロウ先生ですわ! 神話級の熔岩亀すら子犬のように寝かしつけてしまわれるなんて、素敵すぎます……っ!」と両手を組んでうっとりと溜息をついた。
『――よし。これで煙突の底の栓も綺麗に抜けたな。第4講でも言った通り、急所の角度さえ正しければ、力任せに振る必要はないということだ。じゃあ、地上で会おう』
画面の中のロウが短剣を「チャリン」と鞘へ収めた瞬間――
栓が抜けた第65層のシャフト最底部から、第55層、第27層、第5層、そして第1層へと向かって、三百年ぶりの清浄で力強い上昇気流が一気に吹き抜けた!




