第043話:最深部・第65層シャフト底と、『3号機カメラ』が映した真実
「……ねえ、ノエルちゃん。さっきからこのサブモニターに映っている、ヴァルハイト室長に同行している『3号機カメラ』の映像なんだけど……」
地下3階の最高作戦司令室。
第5層・第27層・第55層の減圧バルブ開門によってシャフト内部の圧力が安全な30%台にまで低下し、司令室の中に安堵の空気が広がり始めたその時、クラリス教授がコンソールの隅の小型モニターを指差した。
「はい、クラリス教授。室長は今、第50層のベースキャンプから北側管理用保守通路を通って、単独で第65層のシャフト最底部(古代熔岩亀が詰まっている排出口)へと歩いて降りておられるところですが……あ、またです! 3号機が『ピピッ!』って勝手に横の壁や天井を向きました!」
画面の中で、灰色の作業用コートを着たロウ・ヴァルハイトは、片手に小さな角燈を下げ、まるで近所の裏山へキノコ狩りにでも行くかのようなのんびりとした歩調で、薄暗い深層の石段を降りていた。
ところが、そのロウの肩の上を飛んでいる片羽根の『3号機』が、数十メートル進むごとに「ピピッ!」と電子音を鳴らし、ロウではなく『何もない真っ暗な岩壁のくぼみ』や『天井の鍾乳石の影』を二秒間だけ映し出しては、またすぐ正面のロウへ向き直るという動きを繰り返していたのである。
「これよ、ノエルちゃん! 昨夜私たちが発見した、3号機に内蔵されている超古代の『真実看破の水晶』の光学迷彩看破フィルターを、地上側のコンソールでONにして拡大再生してみて!!」
「は、はいっ! 3号機の特殊波長フィルターを解除、メインスクリーンへ拡大投影しますっ!」
ノエルがコンソールのキーを叩き、3号機が「ピピッ!」と横を向いた瞬間の映像に『看破フィルター』を重ねてメインスクリーンへ映し出した。
その瞬間――司令室にいたギルドマスター、ヴェロニカ、ガンツ親方、そして通信回線越しに映像を共有していた第55層のセリアや第27層のガレスたちの全員が、心臓が止まるかと思うほどの衝撃に息を呑んだ。
「「「ひっ……!? な、なんだあれはぁぁっ!?」」」
フィルターが解除された画面の暗がり――「何もない岩壁のくぼみ」に見えていた場所には、周囲の岩肌と100%同化する完璧な光学迷彩を纏い、殺気すら完全に遮断して獲物の首を狩る深層第60層以深のS級暗殺魔獣【虚空大鎌蟷螂】が、ミスリル鋼よりも硬い二本の巨大鎌を振り上げて、通りすがりのロウの背後へ飛びかかろうとしていたのである!
体長三メートルを超えるその透明な死神は、S級パーティーであっても発見が遅れれば前衛が首を撥ねられる最悪の初見殺しモンスターだ。
「あ、危ないっ、ヴァルハイト室長ぉぉっ!!」とギルドマスターが画面に向かって絶叫した、まさにそのコンマ一秒前。
画面の中のロウは、振り返りすらしていなかった。
彼は「ふむ、第65層の入り口にしては少し風向きが湿っているな」と独り言を呟きながら、ランタンを持っていない方の左手をコートのポケットの横に垂らし、歩きながら足元の小石を靴のつま先で「ヒョイ」と跳ね上げると――中指と親指で、その小石を背後へ向かって『パチン』と軽く弾いたのである。
――ビシュッ!! ドゴォンッ!!
音速を遥かに超えて放たれたただの石灰岩の小石は、光学迷彩で消えていた『虚空大鎌蟷螂』の複眼と複眼のあいだにある直径3ミリの神経節を、0.05秒で正確に撃ち抜いた!
S級暗殺魔獣は悲鳴を上げる間もなく、白目を剥いてその場で泡を吹き、光学迷彩が解けた巨大な緑色の身体を横たえて気絶してしまったのだ!
そして、標的の殺気が消えたことを確認した3号機カメラは、「ピピッ♪」と満足そうに羽根を揺らし、何事もなかったかのように再びロウの穏やかな横顔を映し始めたのである。
「……ま、まただわ! ほら、その三十メートル先の天井でも、3号機が『ピピッ!』って上を向いた瞬間に、室長の左手の小指が動いてる!!」
クラリス教授が震える指で画面を指差した。
今度は天井の鍾乳石に擬態していたS級魔獣『深淵擬態大蜘蛛』が糸を吐こうとした瞬間、ロウが鼻歌まじりに弾いた小石一発で顎の関節をロックされ、気絶して岩棚の奥へと転がり落ちていく姿がバッチリ映っていた!
一度や二度ではない。第60層から第65層へ降りるまでのわずか十五分間に、3号機が「ピピッ!」とよそ見をした回数は、実に二十四回。
つまりロウは、深層の最危険地帯を散歩しながら、周囲から襲いかかってきた二十四体ものS級暗殺魔獣を、一度も足を止めず、一度も武器すら抜かず、ただカメラの死角からの『小石の指弾』だけで100%無音気絶させながら歩いていたのである!
「う、嘘だろ……っ!? あの一撃でB級パーティーが全滅する深層の暗殺魔獣二十四体を、散歩ついでに小石で眠らせただとぉぉっ!?」
「な、なんて人なのよ……! じゃあ第1講の時から3号機が時々『ピピッ』って横を向いていたのは、バグなんかじゃなくて、全部こうして室長が人知れず周囲の危険な魔物を掃除していた瞬間を映していただけだったのね……!!」
ノエルとクラリスが戦慄の声を上げる横で、鍛冶親方のガンツと首席査定官のヴェロニカも、スロー再生されたロウの左手の動きを食い入るように見つめて唸った。
「おい、今の指弾のスロー映像をよく見ろよ……大将のやつ、ただ力任せに小石を弾いてるんじゃねぇぞ。小石が親指の爪から離れる瞬間に、手首を半ミリだけ引いて小石に『斜め四十五度の高速ジャイロ回転』をかけてやがる! だからただの石灰岩の小石が、空気抵抗をゼロにして音速を超え、魔獣の硬い外骨格の継ぎ目だけをピンポイントで貫いてるんだ……!」
「しかもご覧くださいまし!」とヴェロニカも帳簿を取り落として叫んだ。「室長は二十四体のS級魔獣を倒しておきながら、ただの一体も『殺して』はいませんわ! すべてミリ単位の精度で脳の睡眠神経節だけを揺らして気絶させているから、血の匂いが一滴も立たず、後続の魔物が興奮して集まってくることすら防いでおられるのです!」
殺すよりも十倍難しい『S級魔獣二十四体の連続・無音無殺気絶処理』を、ランタン片手に鼻歌まじりの散歩でやってのける無天賦の老教官。
司令室の面々が畏怖と感嘆で声も出せない中、画面の中のロウはついに第65層の北側シャフト最底部――赤黒い地底大熱脈が脈打つ巨大なドーム空間へと辿り着いた。
そこは、地下数千メートルの地圧とマグマの輻射熱によって空間そのものが陽炎のように歪む、人間が立ち入ることすら許されない神話の領域だった。
しかしロウは、口元に巻いた『湿らせた消臭炭袋』と奥歯の『ハッカガム』だけでその灼熱の空気を涼しい顔で吸い込み、足元の溶岩の照り返しの中を『三点歩法』で静かに歩み出た。
そして、3号機のレンズがドームの中央を映し出した瞬間。
そこには、直径二十メートルの排気縦坑の底部排出口に巨大な甲羅をすっぽりとめり込ませ、熱い蒸気に蒸されて不機嫌そうに唸り声を上げている全長五十メートルの生きる火山――神話級・特S級災害指定個体【古代熔岩亀】の圧倒的な巨体が鎮座していた!




