第039話:3階層同時の『斜め四十五度打撃』! 300年ぶりの全排気バルブ開門
「――現在時刻、午前九時五十八分! 全階層の減圧バルブ前、最終確認に入ります!」
地下3階の『最高作戦司令室』で、ヘッドセットに似た魔導通信器を着けた補佐官ノエル・クラウゼンの凛とした声が響き渡った。
壁一面の三分割マルチスクリーンには、それぞれ異なる階層の『緊急減圧バルブ室』の内部映像がリアルタイムで映し出されている。
左の画面は、浅層・第5層の『古代安全避難室』。
そこではE級パーティー『灯火』のカイ、ピノ、ミアの三人が、壁に埋め込まれた直径二メートルの錆びついた鉄の歯車と、それを回すためのガンツ親方特製のクランクハンドル、そしてロックを固定している黒曜石の『要石(くさび石)』の前に立っていた。
中央の画面は、中層・第27層『魔力無効化の呪い回廊』の最奥にある中層制御室。
そこではB級パーティー『白銀の轍』のガレス、エレン、ボルクの三人が、魔力が一切使えない過酷な空間の中で、直径四メートルの重厚な黒曜石製バルブの前に槍と鉄剣を構えていた。
そして右の画面は、深層・第55層『北側氷結渓谷』の断崖絶壁に隠されていた古代祠の内部。
そこではS級クラン『蒼穹の旅団』の団長《氷華の剣姫》セリア・アークライトが、分厚い万年氷を削り落とした巨大なミスリル合金製のメイン減圧バルブの前に、細剣の鞘を逆手に持って静かに佇んでいた。
「いいわね、カイくん、ガレスさん、セリア団長!」
ノエルの隣から、迷宮生態学者クラリス教授がマイクに向かって叫んだ。
「北側排気シャフトの内部圧力は、現在危険域の92%に達しているわ! もし浅層・中層・深層の三つのバルブをバラバラのタイミングで開けてしまったら、どこか一つの階層に百五十度の超高圧蒸気が集中して、その階層の隔壁が吹き飛んでしまうの! 誤差は0.5秒以内! 三箇所のロックを【完全同時】に解除して、一気に圧力を三分割して逃がすわよ!!」
『第5層・カイ、了解です!』
『第27層・ガレス、いつでもいけるぞ!』
『第55層・セリア、準備完了ですわ。ノエルさん、先生の教え通りにカウントをお願い』
三つの階層から返ってきた力強い応答に、ノエルは丸眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、深く息を吸い込んだ。
「いきます! まずは第一段階、【歩法認証】および【光学認証】! 全員、『三点歩法』でバルブの前へ三歩進み、松明の火を『八の字』に三回旋回させてください!」
ノエルの指示と同時に、第5層のミア、第27層のエレン、そして第55層のセリアの副官が、腰の斜め後ろに構えていた松明を前へ掲げ、風向きと酸素の対流を読むあのゆったりとしたリズムで、空中に美しい『横八の字(無限大)』の炎の軌跡を三度描いた。
――ボゥッ、ボゥッ、ボゥッ……カチリ!
三百年もの間、誰にも気づかれずに眠っていた各階層のバルブの中心部で、青い魔導受光器が一斉に光を宿し、第一・第二の魔導ロックが解除される重低音が響いた。
「第一・第二ロック解除を確認! 続いて最終段階、【打撃認証】に入ります!」
ノエルは手元のメトロノーム水晶を起動し、ロウが第3講で実演した『三拍子の呼吸』のリズム音を全階層の通信機へと流した。
第5層では、カイが木槍の石突を構え、その横でピノとミアが、ガンツ親方が昨夜一晩で鍛え上げた『古代歯車用・倍力クランクハンドル』の握りに両手をかけた。
第27層では、ボルクが大槍の石突を構え、ガレスとエレンが大型レンチの柄をしっかりと握りしめた。
第55層では、セリアが一人、白銀の細剣の鞘先を黒曜石の要石の継ぎ目へと静かに合わせた。
「いいか、ピノ、ミア! 俺が要石を割った瞬間に、三人分の体重を足裏の三点に乗せて一気にハンドルを引き下ろすぞ!」
「うんっ、任せてカイ! 靴底の『鉄喰い苔ゴム』が床にピタッて張り付いてるから、絶対に足は滑らないよ!」
「私も『二重猟師結び』のベルトでハンドルと手首を固定しました! いつでも回せます!」
浅層から深層まで、誰一人としてスキルに頼らず、これまでの六日間にロウから教わったすべての基礎と装備を総動員してその瞬間を待つ。
司令室のギルドマスターも、ヴェロニカも、ガンツ親方も、拳を握りしめて画面を見つめた。
ノエルの声が、メトロノームの音と重なった。
「――全員、先生の『三拍子の呼吸』を合わせて! 鼻から吸って……スゥ(1拍)、スゥ(2拍)……肩の力を抜いて、鎖骨の継ぎ目へ斜め四十五度……ハァーッ(3拍目)!!」
三つの画面の中で、E級の少年と、B級の重戦士と、S級の剣姫の呼吸が、まるで一人の人間であるかのように完全に重なった。
スキルも使わず、魔力も込めず、ただ足裏の三点から腰、背中、そして緩めた肩を通って手首を半ミリ引く、ロウ・ヴァルハイト直伝の『無音の打撃』が――三つの階層の要石の結晶軸(斜め四十五度)を、0.01秒の狂いもなく同時に射抜いた!
――カンッ!!
――カンッ!!
――カンッ!!
澄み切った三つの乾いた打撃音が通信機の中でひとつの音に重なった瞬間、頑丈無比な黒曜石の要石がまるで氷細工のようにパリン! と綺麗に真っ二つに割れ落ちた。
「今ですっ!! ハンドルを回して、減圧バルブを全開にしてくださいっ!!」
「「「おおおおおっ!!」」」
第5層でカイ・ピノ・ミアと若手たちが、第27層でガレス・エレン・ボルクが、第55層でセリアとA級騎士たちが、ガンツ親方特製のクランクハンドルに体重を乗せて一気に回転させた!
ガンツ親方が第5層の古代鉄片を混ぜて打ったハンドルは、三百年分の水蒸気圧による猛烈な反発力を受けても1ミリも曲がることなく、てこの原理で固着した巨大歯車を『ギギギ……ガコンッ!!』と力強く押し回していく!
「よっしゃあ! 見たか、俺の打ったレンチとハンドルは、三百年前の水圧なんざに絶対負けねぇぞぉぉっ!!」
司令室でガンツ親方が拳を天に突き上げて快哉を叫んだ、その瞬間。
――ゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ……!! ガコンッ、プシュゥゥゥゥゥーーーッ!!
迷宮都市の大地そのものが底から激しく震えるような重低音とともに、三百年もの間錆びついて閉ざされていた第5層・第27層・第55層の巨大排気ルーバー(換気弁)が、ついに一斉にその重い扉を開いたのである!
「あ、開いたぁぁっ!! 第5層・第27層・第55層の全減圧バルブ、誤差0.02秒で完全同時開門に成功しましたっ!!」
ノエルが両手を掲げて歓声を上げ、司令室に詰めかけていたギルドマスター、査定官たち、そして騎士団の将軍たちから「おおおおおっ!!」「やったぞ!!」と割れんばかりの拍手と怒号のような歓声が巻き起こった。
張り詰めていた空気が一気に解け、クラリス教授も膝から崩れ落ちそうになりながら喜びの涙を拭う。
壁面の計測魔導器に映し出された圧力計の赤い針が、危険水域の92%から、85%、80%へと、目に見える速さでスルスルと下がり始めた。
だが――ロウ・ヴァルハイトだけは、冷静な双眸の光を1ミリも緩めてはいなかった。
机の上の通信マイクを静かに手繰り寄せ、低く澄んだ声音で全階層へと告げる。
「全員、気を抜くな。ここからが本当の山場だ。三百年間溜まり続けた『底の澱み』が噴き出してくるぞ」
老教官の警告と、ほぼ同時だった。
――ゴォォォォォォォォッ!!
三百年ぶりに開かれた排気ルーバーの隙間から、シャフトの内部に超圧縮されていた漆黒の猛毒ガス――腐食性の極致たる【高濃度・硫化魔瘴気】が、轟音とともに各階層の予備水路と制御室へ向かって、黒い津波のように一気に噴き出してきたのだ!




