第034話:爆発まで残り36時間! ギルド上層部のパニックと『最高司令室』の誕生
「……ま、待ってちょうだい!」
クラリス教授とヴェロニカ首席査定官の二人が、同時に魔導計算機と波長グラフへ飛びついた。
パチパチパチッ! とヴェロニカの白く細い指が目にも留まらぬ速さで珠を弾き、ノエルが記録水晶の圧力上昇データを立体グラフへと変換していく。
「今日の昼に北街の古井戸の水位が十メートル急降下した時間から逆算して……現在の北側区画の火魔石の純度上昇率(毎時18%増)と、第27層の壁画に書かれていた臨界曲線を当てはめると……っ!」
計算を終えたクラリス教授の顔から、最後の血の気が失せた。
「……残り、三十六時間よ。明後日の夜明け前には、北側排気シャフトの内部圧力が三百年前の黒曜石隔壁の耐久限界を突破して【全階層同時・水蒸気大爆発】を起こすわ! そうなれば、シャフトの中に溜まっている数万トンもの超高熱の『硫化魔瘴気』と『夢喰い胞子』が第1層から地上の街へ逆流して噴き出し、さらに熱から逃れようとする全階層の魔物数万匹が一斉に地上へ雪崩れ込む【史上最悪の大暴走】になる……!!」
「な……っ、街が丸ごと吹き飛ぶじゃねぇか!!」
ボルクが叫び、カイとミアも真っ青になって肩を寄せ合った。
すぐさまヴェロニカが緊急通信盤を起動し、ギルド本部の3階で会議中だったギルドマスター・バルドと都市防衛軍の司令官たちを、地下3階の資料室へと緊急招集した。
五分後。
「な、なんだヴェロニカ、セリア団長まで! こんな閉鎖寸前だった地下の資料室に我々を呼びつけるとはどういうことだ!?」と息を切らして駆け降りてきたギルドマスターや理事たちは、壁の断面図に引かれた『一本の垂直線』と、クラリス教授が突きつけた『爆発まで残り36時間』の科学的証拠を見せられ、その場にへたり込むほどパニックに陥った。
「ば、バカな……っ! 第1層から第65層までを貫く古代シャフトが爆発寸前だと!? い、今から王都の騎士団に救援を要請しても、到着までには五日かかるぞ! かといって、第65層の底にいる災害指定個体の『古代熔岩亀』を36時間以内に討伐するなんて、いくらセリア団長でも――」
「不可能ですわ」
セリアが凛とした声で断言した。
「今のシャフト内部は、摂氏百五十度を超える高圧蒸気と即死毒の『夢喰い胞子』が充満しています。まず上層と中層の排気弁を開けて圧力を抜かない限り、第65層の底へ近づくことすらできません。……ですが、ご安心なさい、ギルドマスター」
セリアはくるりと振り返り、部屋の奥で静かに新しい珈琲豆を挽いていた灰色の外套の男――ロウ・ヴァルハイトへ向かって、誇らしげに胸に手を当てて一礼した。
「この部屋には、三百年前の迷宮の構造も、排気弁の開け方も、そして深層の主の眠らせ方もすべて熟知しておられる、大陸最高の【先生】がいらっしゃいますわ」
「「「え……っ!? こ、この無天賦の資料室長がぁっ!?」」」
ギルドマスターと理事たちが目を剥く中、初日にロウを「スキルなしのロートル」と見下して地下資料室へ追いやった張本人である人事部長の男が、顔を真っ赤にして一歩前へ出た。
「ば、馬鹿なことを言うなセリア団長! こんな戦闘スキルも指揮スキルも持たない辺境上がりの老いぼれに、迷宮都市の命運がかかる大作戦の指揮など執れるわけがないだろう! だいたい、その断面図の縦線だって、この男の勝手な妄想かも――」
――パキィィィンッ!!
人事部長が言い終わるより早く、セリアの足元から放たれた絶対零度の冷気が人事部長の靴底を床の石畳へと瞬時に氷結させ、その喉元すれすれに白銀の細剣の鞘先が突きつけられた。
「……今、私の師匠を何とお呼びになったかしら、人事部長殿? もう一度その口で『老いぼれ』と仰ってみなさい。あなたのその舌を、第55層の万年雪と同じ温度で永遠に凍らせて差し上げますわよ」
「ひぃぃぃっ!? す、すみませんセリア様ぁぁっ!!」
人事部長が涙目で泡を吹いて震え上がる横で、首席査定官ヴェロニカ、学術院のクラリス教授、鍛冶親方のガンツ、そしてB級のガレスまでもが一斉に前へ進み出て、ギルドマスター・バルドに詰め寄った。
「ギルドマスター、決定権を迷っている時間は1秒もありませんわ! 過去三日間でギルドの負傷率を72%も激減させ、救護院の赤字を黒字に変え、そして誰一人気づかなかったこの大災害の予兆をたった一人で繋ぎ合わせて見抜いたのは、こちらのロウ・ヴァルハイト室長ただ一人です!」
「王立学術院からも保証するわ! 今この都市で、三百年前の初代迷宮守の設計コードと『逆さまの塔』の減圧機構を完全に理解して作戦を立てられるのは、ヴァルハイト室長をおいて他にいない! もし彼に指揮権を渡さないなら、私は今すぐ学術院の全研究員を引き揚げさせるわよ!」
「減圧バルブを回すための特注レンチと防毒装備の突貫製造は、俺の『ガンツ武具工房』と北街の職人連中で全部引き受ける! 四の五の言わずに、大将に全部任せやがれ!」
都市の財政・学術・武具・そしてS級から初級までの現場探索者のトップ全員から一斉に凄まれたギルドマスター・バルドは、ゴクリと生唾を飲み込み、ロウの前へ駆け寄って深々と頭を下げた。
「ヴァ、ヴァルハイト室長……っ! いや、ヴァルハイト総指揮官殿! 先見の明のない部下が非礼を働いたことをお詫び申し上げます! どうか我々に知恵をお貸しください! 本日ただいまをもって、この地下3階『安全講習・映像資料室』を迷宮都市アーク・バベルの【臨時最高作戦司令室】と定め、全探索者およびギルドの全権限、ならびに特別予算のすべてを貴殿に委任いたします!!」
かつて「予算の無駄」「無天賦の老兵の左遷先」と笑われていた地下3階の小さな資料室が、文字通り迷宮都市の心臓部――『最高司令部』へと変わった瞬間だった。
だが、全権を委任されたロウ・ヴァルハイトは、偉ぶる様子も気負う様子もこれっぽっちも見せず、いつもの穏やかな笑顔でギルドマスターの肩を軽く叩いた。
「総指揮官なんて大層な肩書きはいらないさ。俺はただの安全講習室の教官だからね。……それに、俺一人で迷宮を救うわけじゃない。浅層の第5層はカイくんたち初級パーティーが、中層の第27層はガレスくんたち中堅パーティーが、深層の第55層はセリアたちS級クランが、それぞれの階層で『いつも通りの基礎』を徹底してバルブを開ける。俺の仕事は、みんなが100%安全に帰ってこられるように手順を教えることだけだ」
ロウはくるりと振り返り、機材の前でスタンバイしていたノエルに微笑みかけた。
「――そういうわけだ、ノエル。カメラと黒板の準備をしてくれ。明日の朝、浅層から深層まで潜るすべての探索者たちが、誰一人パニックにならずに自分の階層の換気作業をやり遂げられるよう――過去一番分かりやすい『緊急特別サバイバルアーカイブ』を撮るぞ」
「は、はいっ室長!! 私の《精密魔導記録》と《高速映像編集》、命に代えてもフル稼働させますっ!!」
爆発まで、残り三十六時間。
無冠の老教官と、彼を信じる生徒たちによる、生存率100%の『全階層同時・大換気オペレーション』の幕が上がった。




