第030話:異業種からの最後のピース 〜火魔石の暴騰と、枯れた古井戸〜
「ヴェロニカ査定官に、ガンツ親方まで。そんなに慌ててどうしたんだい?」
ベンチから立ち上がったロウが穏やかに尋ねると、普段は『氷の天秤』の異名通りどんな緊急時でも髪の一本すら乱さない首席査定官ヴェロニカ・クロフォードが、額の汗を拭う余裕すらなく真鍮枠の集計帳簿をロウの前へ突き出した。
その後ろでは、ドワーフ混血の鍛冶親方ガンツも、煤で黒く汚れた革エプロンのまま、まだ熱気を帯びている鉄箱を重そうに抱えて肩で息をしている。
「先生、これを見てくださいまし! 地下1階の魔石査定所と、都市水道局からたった今上がってきた異常数値ですわ!」
ヴェロニカの白手袋の指が、帳簿に記された四色の折れ線グラフをなぞった。
「先生のアーカイブのおかげで、ここ三日間、第1層から第30層までの魔石の回収量が劇的に増えたのはご存じの通りですが……先ほど属性別の精密査定を行っていた鑑定士たちが、奇妙な偏りに気づいたのです。大迷宮アーク・バベルの各階層は、中央階段を基準に『東・西・南・北』の四区画に分かれていますわね? そのうち、南・東・西の三区画で採れた魔石は魔力純度も属性比率も例年通りなのに、『北側区画』で討伐された魔物の魔石だけが、ここ三日間で【火属性の魔力純度が通常の5倍(500%)】にまで異常暴騰しているのですわ!」
「北側区画の魔石だけ、火属性純度が5倍に……!?」
ガレスとセリアが同時に息を呑んだ。
通常、ゴブリンや大蝙蝠、岩毒トカゲといった無属性や土属性に近い浅層・中層の魔物の魔石は、焚き火の着火剤やランタンの燃料に使われる程度の穏やかな魔力しか持たない。その魔石が、わずか三日間で軍用火炎魔法の触媒に匹敵するほどの高純度火魔石へと変質しているというのだ。
すると隣にいた鍛冶親方のガンツも、抱えていた鉄箱の蓋を「ガチャン!」と開け、中から真っ赤な脈動光を放つ数個の魔石と、赤茶けた湯の花がこびりついた麻縄の切れ端を取り出して見せた。
「それだけじゃねぇんだ、大将! 俺の『ガンツ武具工房』は迷宮都市の北鍛冶街にあるんだが、さっき職人の連中が、今日北側区画から納品されたばかりのE級魔石をいつもの調子で溶解炉に放り込んだらよ……純度が高すぎて、炉の火柱が工房の屋根を突き破るかと思うほど天井まで噴き上がりやがった! 危うく弟子が火傷するところだったのを、俺が昨日大将に教わった『斜め3ミリの鉄板受け流し』で熱風を逸らして事なきを得たんだが、さすがに何かがおかしいと思って、工房の裏にある『焼き入れ用の古い地下井戸(迷宮の第3層北水路と同じ水脈に繋がってる三百年前の井戸)』を見に行ったらよ……」
ガンツ親方はゴクリと唾を飲み込み、声を低くした。
「三百年このかた、どんな日照りの年でも一度も涸れたことがなかった北街の古井戸の水位が、今日の昼過ぎから一気に十メートルも急降下して、底から温泉の湯の花みてぇな『強烈な硫黄と焦げた鉄の匂い』が噴き出してきてやがるんだ!! 釣瓶を底まで下ろしてみたら、この通り麻縄が熱で焦げてちぎれちまって、わずかに汲み上げた泥水は鍋で沸かしたみたいにチンチンに熱くなってやがった! まるで、迷宮の北側の地下深くにある巨大な空洞へ、街の地下水が丸ごと吸い込まれて沸騰させられてるみてぇによぉっ!」
「「「っ!!」」」
その言葉に、訓練場にいたカイ、ガレス、エレン、そしてセリアの全員がハッと息を呑んだ。
北側。またしても『北側』だ!
「……それだけではありませんわ」
ヴェロニカはさらに、帳簿のもう一枚のページをめくってロウの前に示した。
「地下1階の魔石査定所でも、さっきから奇怪な現象が相次いでいますの。北側区画から回収された火魔石を保管庫の棚に並べておくと、誰かが魔力を込めたわけでもないのに、正午から三時間おきに『キィィィン……』と高い共鳴音を立てて、北の壁に向かって一斉に明滅するのです! 鑑定士たちは『呪われた魔石だ!』と怯えてしまって、私が『第3講の三拍子の呼吸をしなさい!』と怒鳴りつけて何とか落ち着かせたものの……こんな異常な魔力共鳴、ギルド創設以来ただの一度も記録にありませんわ!」
ヴェロニカの報告を聞いた瞬間、ロウは静かにベンチから立ち上がり、地下2階の屋内訓練場の『北側の石壁』へと歩み寄った。
そして、そこにいた全員が見守る中、ロウは片耳を北側の冷たい石壁にピタリと当て、第5講で実演したのと同じように――右足のブーツの踵で、床の石畳を「カツン!」と一回だけ短く蹴り鳴らした。
――ゴォォォォン……ッ、ピキ、ピキキ……ッ。
人間の耳には聞こえないはずの、地下数千メートルから昇ってくる重低音の振動と、黒曜石の内部に蓄積された超高圧の歪み。
ロウの後ろに立っていた山猫獣人のピノと、ハーフエルフのエレン、そしてS級剣姫セリアの三人だけが、壁の向こう側から返ってきたその不気味な反響音に気づいてハッと顔色を変えた。
「……先生。この壁のずっと奥から、なんだか大きな鉄の釜が軋むような音が……」
「ああ。セリアの耳にも聞こえたか。……どうやら、俺が思っていたよりも少しばかり、釜の湯が沸くのが早まっているらしいな」
ロウの静かな呟きに、室内の空気が一気に引き締まった。
カイたちが第3層の『北側旧水路』で見つけた、摂氏三十度のぬるま湯と赤い鉄喰い苔。
ガレスたちが第24層の『北壁の亀裂』で遭遇した、下から吹き上げられた第60層の熱い星砂と、沸騰するような地鳴り。
セリアが第55層の『北側・氷結渓谷』で討伐した、腹部に高温の蒸気火傷を負った氷嵐竜。
そして今、ヴェロニカとガンツ親方が持ち込んだ、『第1層〜第30層の北側区画だけの火魔石純度5倍暴騰』と、『北街の古井戸の水位急降下と硫黄臭』!
バラバラの階層、バラバラの職種のプロフェッショナルたちが集めた「異常のピース」が、すべて同じ方角――迷宮の『北側垂直ライン』を指し示していた。
「……よし。どうやらクラリス教授とノエルの解析も終わった頃合いだな。全員、地下3階の資料室へ戻ろう。そこで、すべての答え合わせをする」
ロウの静かだが有無を言わせぬ声に、初級・中級・S級の探索者たちと査定官、鍛冶親方の全員が力強く頷き、一団となって地下3階へと続く石階段を駆け降りた。
「す、すごいなガレスさん……! 俺たちが第3層で見つけた赤い苔と、ガレスさんたちが第24層で見つけた星砂と、セリア様が第55層から持ち帰った氷竜の鱗、それにヴェロニカ様とガンツ親方の情報が、全部『北側の異常な熱』っていう一つの線で繋がろうとしてる……!」
「ああ、鳥肌が立つなんてもんじゃないぞ、カイ。本来ならギルドの別々の部署で握り潰されていたはずの情報が、ロウ先生の地下資料室という一つの場所に全部集まってきているんだ……!」
カイとガレスが興奮と緊張に声を震わせながら階段を降り切り、ロウを先頭に地下3階の資料室の黒鉄の扉を開けた、まさにその瞬間――
部屋の中では、徹夜明けの目のクマをさらに濃くしたハイエルフの学者クラリスと、丸眼鏡を光らせたノエルの二人が、机の上に広げられた大量の解析データと『3号機カメラ(チビ)』を前に、今まさに驚愕の声を上げているところだった!




