第026話:嵐の前の地下資料室 〜S級クラン団長、地下の扉を蹴破る〜
「お、おい見ろよ……! 深層第50層に遠征中だったはずのS級クラン『蒼穹の旅団』が帰ってきたぞ!」
「先頭を歩いているのは、大陸最強のS級冒険者・《氷華の剣姫》セリア・アークライト様だ……! なんて凄まじい威圧感なんだ、周囲の空気まで凍りつきそうだぞ……!」
冒険者ギルド本部・1階ロビーは、突然帰還した白と蒼の精鋭部隊の出現によって、水を打ったように静まり返っていた。
プラチナブロンドの長い髪をなびかせ、絶対零度の美貌でロビーを闊歩するセリアの前へ、ギルドの上層部である副ギルド長が揉み手をしながら慌てて駆け寄った。
「おおっ、セリア団長! 予定より五日も早いご帰還、何か深層で緊急事態でもございましたかな!? ささ、3階の特別貴賓室にお茶の用意をさせますので、まずはそちらへ――」
「――道を開けなさい」
セリアは副ギルド長を一瞥すらくれず、氷の刃のような声で言い放った。
「貴賓室になど用はないわ。私、これから『地下3階』へ行く予定があるの。邪魔をしないでちょうだい」
「えっ? ち、地下3階でございますか!? あそこには安全講習の古い資料室しかございませんが……!」
困惑する副ギルド長を置き去りにし、セリアはロビーの奥にある地下階段へと真っ直ぐに足を向けた。
その途中、ロビーの中央に設置された巨大な『実戦検証・伝言黒板』の前で、何十人もの若手や中堅の探索者たちが笑顔でチョークを走らせている光景がセリアの視界に入った。
『【検証報告・D級斥候】第5講の「踵を1回鳴らす音響索敵」と「消臭炭袋」で、第14層の夜行蝙蝠の群れを1匹も起こさずに通過成功! 地下資料室のロウ先生、マジで神!!』
『【質問&感謝・E級盾職】第3講の「ハッカ樹皮ガム」を屋台で買って噛みながら第9層を歩いたら、頭がスッキリして罠の見落としがゼロになりました! 苦いけどクセになります!』
『【B級・白銀の轍より】浅層・中層に入る者は、北側の水路や壁の亀裂から「甘い桃のような匂い」がしたら即座に息を止めてハッカガムを噛み、風上へ退避せよ! ロウ先生の教えは命綱だと思え!』
黒板いっぱいに書き込まれた、師匠への無数の感謝と敬意の言葉。
十年前、スキル至上主義の教官たちから「時代遅れの基礎ばかり教える無能」と陰口を叩かれながら、それでも黙々と訓練生の靴紐を結び直していた師匠の背中を知るセリアにとって、その黒板の光景は何よりも胸が熱くなるものだった。
(……ふふっ、やっと時代が先生に追いついたのね。いいえ、先生が昔と変わらず、誰の命も見捨てずに種を蒔き続けてくださったからだわ)
セリアは誰にも気づかれないように口元をほんの少しだけ綻ばせると、背中に抱えた『氷嵐竜の最高級ヒレ肉の塊(氷魔法で鮮度保持済み)』と、『蒸気火傷を負った氷竜の鱗』の包みを握り直し、地下へと続く階段を駆け降りた。
その頃、地下3階の『安全講習・映像資料室』には、今日の探索を終えた初級パーティー『灯火』のカイ、ピノ、ミアの三人、第27層から壁画の拓本を持って駆け戻ってきたばかりの中堅B級『白銀の轍』のガレス、エレン、ボルク、さらにはソファを占拠しているクラリス教授、試作金具を持ってきたガンツ親方、そして帳簿を抱えたヴェロニカ首席査定官までが顔を揃えていた。
「――大変です、ロウ先生、クラリス教授! たった今、第27層の呪い回廊を先生の『三点歩法』で突破した奥で、三百年前の『逆さまの塔の壁画』と、北側の排気縦坑に関する重大な警告文を発見しました!」
ガレスが机の上に拓本を広げようとした、まさにその時だった。
階段の上から、カツ、カツ、カツ、と驚くほど速く、しかし砂粒ひとつ鳴らさない完璧な『三点荷重の歩法』の足音が駆け降りてきたかと思うと――
――バンッ!!
地下資料室の分厚い黒鉄の扉が、蝶番が悲鳴を上げるほどの勢いで左右へ押し開かれた!
「ひゃあっ!? だ、誰ですか今度は!?」
ノエルが飛び上がり、ガレスやカイたちが一斉に武器の柄に手をかけて入り口を振り返った。
そこに立っていたのは、白と蒼のS級騎士礼装に身を包んだ、誰もが憧れる迷宮都市の最高戦力――《氷華の剣姫》セリア・アークライトその人だった。
「「「な……っ、《氷華の剣姫》セリア・アークライト様ぁぁっ!?」」」
カイやミアはもちろん、B級のガレスや首席査定官のヴェロニカですら、「なぜ大陸最強のS級団長がこんな地下の資料室に!? まさか、無天賦のロウ室長がスキル至上主義に逆らうアーカイブを流していることに腹を立てて、粛清しに来たんじゃ……!」と顔面を蒼白にして身構えた。
ガレスが一歩前へ出て、ロウを庇うように立ち塞がろうとした、その瞬間だった。
扉の前に立っていた『氷の女帝』の瞳が、部屋の奥の机でブリキのマグカップを持っていたロウ・ヴァルハイトの姿を捉えた途端――
パァァァァッ……!!
セリアの周囲に張り詰めていた絶対零度の威圧感が、春の雪解けのように跡形もなく消え失せ、代わりに部屋中にキラキラとした幻の薔薇の花びらが舞い散った。
「――先生っ!! ロウ先生っっ!!」
セリアは周囲のガレスやヴェロニカたちの存在など完全に視界から消え去ったかのように、見えない大型犬の尻尾をブンブンと超高速で振り回しながら、音速の三点歩法で部屋の中央を突っ切った!
そして、ロウの椅子のすぐ前で華麗な白銀の礼装コートの裾を翻してピタリと両膝をつくと、抱えていた氷嵐竜の高級ヒレ肉の包みをうやうやしく掲げ、潤んだ蒼い瞳でロウを見上げてこう叫んだのである。
「先生っ!! お会いしたかったです、十年間ずっと、ずっと探しておりました! 一番弟子のセリア、本日第55層のお土産に『氷嵐竜の特上ヒレ肉(脂身少なめ・塩苔焼き用)』を獲ってまいりました! ちゃんと靴紐も『二重猟師結び』にして、毎日『三拍子の呼吸』を一度も欠かさず続けておりました! ……で、ですから先生、昔みたいに頭を撫でてくださいっ!!」
セリアはプラチナブロンドの美しい頭を、ロウの手の前へグイッと差し出した。
――ピシリ。
地下資料室にいた全員の思考が、一斉に停止した。
ノエルの丸眼鏡が鼻先までずり落ち、ヴェロニカの手から真鍮のクリップボードが滑り落ち、B級リーダーのガレスと新米のカイは、顎が外れそうなほど口をあんぐりと開けたまま固まった。
「……え? い、一番弟子……? あの王国の貴族ですら頭が上がらない、冷徹無比の《氷華の剣姫》セリア様が……無天賦のロウ室長の前に膝をついて、『頭を撫でてください』って尻尾を振ってる……だと……!?」
全員が目を白黒させる中、当のロウ・ヴァルハイトだけは、まったく驚く様子もなく「やれやれ」と目尻の皺を深くして微笑み、差し出されたセリアのプラチナブロンドの頭を、大きな掌で「よしよし」と優しく撫でてやった。
「久しぶりだな、セリア。背が伸びたし、いい目をするようになったじゃないか。……もう自分の氷の魔力で、指先を凍傷させることはなくなったか?」
「は、はいっ……! 先生が教えてくださった三拍子の呼吸のおかげで、今は指先までずっとポカポカです……っ。えへへ、先生の掌、十年前とちっとも変わらず温かいです……」
大陸最強の剣姫が、まるで飼い主に再会した子犬のように目を細めて「ふにゃあ……」ととろけた笑顔を見せる光景に、資料室の面々は「「「こ、このおっさん(室長)、いったい何者なんだぁぁぁっ!?」」」と心の中で絶叫せずにはいられなかったのである。




