第025話:第27層『魔力無効化の呪い回廊』と、逆さまの塔の壁画
大迷宮『アーク・バベル』第27層――通称『魔力無効化の呪い回廊』。
昨日、第24層と第25層の魔力減衰領域を無傷で突破し、勢いに乗る中堅B級パーティー『白銀の轍』のガレス、エレン、ボルクの三人は、多くの中堅パーティーが命を落とすこの第27層の北側遺構エリアへと足を踏み入れていた。
「……気をつけろよ、リーダー、エレン。ここからの百メートルは、第25層以上にヤバい『古代の重力罠回廊』だ」
先頭を行くドワーフの重装盾役ボルクが、片目のゴーグルの奥の瞳を光らせて低く警告した。
「この回廊の石畳は、三百年前の『初代迷宮守』が仕掛けた対侵入者用の魔導タイルになっていてな。少しでも魔力を帯びた人間が足を踏み入れたり、靴底で強く床を蹴ったりした瞬間に、床の重力紋章が作動して体重が十倍に跳ね上がり、天井から落ちてくる鉄槍の罠で串刺しにされる。……普通なら、罠解除師が小石を投げて二時間かけて少しずつ起動させながら進む難所だぞ」
「ああ。だがエレン、昨日第5層で『灯火』のカイくんたちが古代避難室を開けた時の話を覚えているか?」
ガレスは握り拳ひとつ分短くした白銀槍の石突を静かに構え、自分のブーツを見下ろした。
「クラリス教授は言っていた。『三百年前の古代設備は、初代迷宮守の基礎武術コード――八の字の双炎、三点荷重の歩法、三拍子の呼吸、斜め四十五度の打撃によって制御される』と。……もし、ロウ先生が俺たちに教えてくださったこの【砂粒ひとつ舞い上げない三点荷重の歩法】が、三百年前の迷宮守の歩き方そのものだとしたら……この呪い回廊の床は、俺たちをどう認識すると思う?」
「……っ! 試してみる価値はあるわね。念のため、スキル紋章の魔力は完全に切って、三拍子の呼吸を合わせましょう」
ガレス、エレン、ボルクの三人は、互いの呼吸を「一で吸い、二で丹田へ落とし、三で細く吐く」リズムに完全に同調させた。
そしてガレスが、回廊の入り口でランタンを腰の斜め後ろで『横の八の字』に二回ゆっくりと揺らし――そのまま踵・小指球・母趾球の三点に水滴が染み込むような均等な荷重を乗せて、呪い回廊の最初の魔導タイルの上へと音もなく一歩を踏み出した。
通常なら、足が触れた瞬間にタイルが禍々しい赤色に光り、重力倍加の呪いが発動するはずだった。
しかし――
――ポワン、と。
ガレスのブーツが乗った古代の床タイルは、赤ではなく、穏やかで澄み切った『蒼銀色の光』をふわりと放ったのである!
「……えっ!? あ、赤く光らねぇ! 重力の罠が発動しねぇぞ!?」
ボルクが驚いて目を丸くする中、ガレスに続いてエレンとボルクも同じ『三点荷重の歩法』でタイルの上へと足を踏み入れた。
すると、三人が三拍子のリズムで歩く一歩ごとに、足元の古代タイルが次々と蒼銀色の美しい光の波紋を広げ、まるで「おかえりなさい」と道案内をするかのように、回廊の奥まで安全なルートを照らし出し始めたのだ!
『――【巡回歩法を確認】。接地圧偏差0.1%未満、三拍の静脈波長、すべて規定値内。……ご苦労様です、迷宮守殿。当第27層・北防衛回廊のすべての迎撃罠および重力拘束をスリープ状態へ移行します』
天井の古代スピーカーから、かすかな自動音声が響き、回廊の両壁で構えられていた無数の自動迎撃槍が「ガシャン、ガシャン」と一斉に壁の奥へと格納されていった。
「……ば、バカな……っ! B級パーティーが二時間かけて命がけで突破する魔の呪い回廊が、ロウ先生の『三点歩法』で歩いただけで、俺たちを『迷宮の正規の管理者(迷宮守)』だと認識して、すべての罠を勝手に解除しただと……!?」
ガレスは全身が震えるほどの感動と畏怖を覚えながら、誰一人傷つくことなく、わずか二分足らずで百メートルの呪い回廊を完全に踏破してしまった。
そして、その回廊を抜けた突き当たり――普段なら罠に阻まれて誰も近づくことができなかった『北側連絡広間』の壁の前に立った三人は、そこに残されていた巨大な古代のレリーフ(壁画)を目にして、息を呑んだ。
「……おい、ガレス、ボルク。この壁画を見て……!」
エレンがランタンの光を掲げ、壁一面に彫り込まれた三百年前の『アーク・バベル全体構造図』を照らし出した。
これまで地上の探索者やギルドの地図製作者たちは、この大迷宮『アーク・バベル』を「地面の下へ向かって深く掘られた、すり鉢状の地下百層の縦穴」だと信じて疑わなかった。
ところが、三百年前の初代迷宮守たちが残したその壁画には、信じがたい図が描かれていたのである。
壁画の中央には、第1層から第19層までの『地下坑道』が描かれていた。
だが、その下にある『第20層の古代の星門』を境目にして――そこから先の第21層から第100層までの構造物は、地下ではなく、『分厚い雲海を突き抜けて、遥か成層圏の星空へ向かって真っ直ぐにそびえ立つ、巨大な逆さまの白亜の塔(天衝く尖塔)』として描かれていたのだ!
「……な、なんだこの壁画は……? 第20層の門から先は、地面の下じゃなくて、雲と星が浮かぶ『空の上』に向かって塔が伸びているように描かれているぞ……!?」
「思い出したわ、ガレス! 昨日、第24層の虫の胃袋から出た『蒼い星砂』も、地上の成層圏にしか存在しないはずの隕石の砂だった! それに、第20層より下へ潜るほど空気が乾燥して気圧が下がって、息苦しい『迷宮酩酊(高山病)』が起きるのも……!!」
エレンがハッとして自分の胸元を押さえた。
しかし、その壁画のさらに横――塔の北側の断面図に刻まれていた『一本の太い縦管』の図解を見たガレスは、もっと切迫した危機がそこに書かれていることに気づいた。
「待て、エレン! この壁画の北側の縦穴の注釈を読んでくれ! ここ、昨日俺たちが『甘い桃の匂い』と『沸騰するような地鳴り』を聞いた北壁の位置だぞ!」
エレンはエルフ語の古文書知識を総動員して、壁画の横に彫られた警告文を読み上げた。
『――【北側・中央排気縦坑】。第65層の地熱炉から第3層の排水路までを垂直に貫く冷却・排気の大動脈なり。もしこの縦坑の底が塞がれ、各階層の緊急排気弁が閉ざされたまま三十六時間を超えれば、内圧が臨界を突破し、迷宮全層を吹き飛ばす【大蒸気爆発】を引き起こす――』
「「「な……っ、なんだとぉぉっ!?」」」
ガレス、エレン、ボルクの三人の顔から、一斉に血の気が引いた。
第3層の温かい赤い苔。第24層に吹き上げられた第60層の熱い星砂。そして北壁の奥から響いていた、大釜が沸騰するような不気味な地鳴り――!
「今すぐ地上へ戻るぞ、二人とも!! この壁画の拓本を、一刻も早く地下3階のロウ先生とクラリス教授のもとへ届けるんだ!!」
ガレスたちが顔面蒼白で地上へと駆け戻り始めた、ちょうどその時刻。
地上の冒険者ギルド本部1階には、深層第50層から猛スピードで昇降機を駆け上がってきたS級クラン『蒼穹の旅団』の団長・《氷華の剣姫》セリア・アークライトが到着し、ギルド中の視線を集めていた。




