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第024話:『氷華の剣姫』、薪のくべ方と納刀音で師匠を特定する

「……先生……っ。ロウ、先生……っ!!」


 深層第50層・白銀氷河のベースキャンプ。

 S級クラン『蒼穹の旅団(アズール・ブリゲイド)』の指揮天幕の中で、団長である《氷華の剣姫》セリア・アークライトは、砕け散ったティーカップを足元に転がしたまま、空中に浮かぶ立体映像の前へ駆け寄っていた。


「だ、団長っ!? いったいどうされたのですか! その映像に映っているのは、ただの地下資料室の新任室長で、スキルも持たない無天賦の退役教官だと聞いておりますが……!」


 副官のA級騎士が慌てて声をかけるが、セリアの耳にはまったく届いていなかった。

 彼女の氷のように澄んだ蒼い瞳は、画面の中で焚き火の小枝を『三角形の井桁』に組み上げ、手首を半ミリ返して「チャリン」と小刀を鞘に収めた灰色の外套の男――ロウ・ヴァルハイトの一挙手一投足に釘付けになっていた。


「見間違うはずがないわ……! この声、この三拍子の呼吸、そして小刀を鞘に収める時に親指の腹で鍔(つば)をコンマ二秒だけ撫でる癖……! 十年前、北部辺境の訓練所で落ちこぼれだった私を育ててくださった、私のたった一人の師匠、ロウ先生ご本人よ……!!」


 セリアは震える手で再生盤のダイヤルを巻き戻し、先ほどの納刀シーンを何度も、何度も食い入るように見つめた。

 すると、大陸最高峰の動体視力を持つセリアの瞳は、中堅B級のガレスやエレンが気づいた以上の「さらなる異常」をその映像の中から見抜いた。


「……しかも、ここを見て、副官」


 セリアは涙を拭い、小刀が「チャリン」と鞘に収まった瞬間の画面右上――3号機カメラがピピッ! と勝手に横を向いて映した『第22層の天井の暗い通気孔』を指差した。


「このカメラが勝手に天井の暗がりを映した瞬間を、よく見なさい。……先生が右手で小刀を鞘に収めるのと同時に、カメラの死角にある先生の『左手の小指』が動いて、足元の小石を弾いているわ」


「え? こ、小石を弾いている……? それがどうかされたのですか、団長?」


「あなたたちには見えないの? あの通気孔の暗がりに張り付いていたのは、本来なら深層第45層より下にしか生息しないはずの光学迷彩魔物『迷彩潜み蜥蜴(カメレオン・ストーカー)』よ。……先生は初心者向けに焚き火の組み方を優しく解説しながら、撮影の邪魔をしに近づいてきた深層魔物の眉間を、カメラの死角から小指の指弾(しだん)一発で、音も立てずに気絶させて追い払っているのよ……!!」


「「「な……っ、なんですとぉぉっ!?」」」


 天幕の中にいたA級騎士や魔導師たちが、一斉に顔面蒼白になって映像を覗き込んだ。

 言われてみれば、3号機が天井を映した二秒間のうちに、空気の屈折がほんのわずかに揺らぎ、何かが通気孔の奥へと気絶して滑り落ちていく微かな気配が記録されていた。

 それを、呼吸ひとつ乱さず、笑顔で焚き火の解説を続けながら小指一本で処理したというのか!?


「それに、どうして第45層の魔物が第22層なんかに上がってきているのかしら……さっきの『腹部に高温の蒸気火傷を負った第55層の氷嵐竜』といい、中層下部での『笑顔のまま眠るように死ぬ突然死』といい……先生はきっと、この迷宮の異変にすでに気づいておられるわ!」


 セリアはさらに、届いた木箱の中に入っていた残りの四本の魔導記録水晶――『第1講』から『第4講』までを次々と再生盤にセットし、倍速再生ですべての映像を一気に確認した。

 第1講の『腰の斜め後ろの松明と、鎖骨への斜め四十五度の石突』。

 第2講の『鉄喰い苔の天然ゴム加工と、岩毒トカゲの毒リンパ管抜き』。

 第3講の『三拍子の呼吸と、盾の3ミリ傾斜受け流し』。

 第4講の『手首を半ミリ引く無音の引き斬り』。

 そして第5講の冒頭に浮かび上がる、ノエルの手による緻密で愛らしい魔導光字幕――


『【第5講・要点①】反響定位(エコー・ロケーション):舌打ちや金属音ではなく、靴底の踵を「1回だけ」短く鳴らすこと!(※魔物に気づかれず、半径十五メートルの壁の凹凸と風穴の位置が0.3秒で分かります!)』

『【第5講・要点②】迷宮の焚き火は「湿った苔」を下に敷き、小枝を「正三角形の井桁」に組むこと! 煙が天井の通気孔へ真っ直ぐ吸い込まれる場所が、安全な野営ポイントです!』


「……ああ、間違いないわ。全部、全部あの日、北の吹雪の中で先生が私に手を取って教えてくださった『基礎』そのものよ……! しかもこの字幕を編集している補佐官の子、先生の動きの重心がどこにあるのかをミリ単位で理解して矢印をつけているわ。なんて優秀な記録技師なの……!」


 セリアは両手で胸元の『古い木刀の柄』をギュッと抱きしめ、うっとりと瞳を潤ませた。

 今から十年前。生まれつき膨大すぎる氷属性魔力を持っていたせいで、剣を振るたびに自分の指先まで凍傷で爛れさせ、「呪われた氷憑き」「才能はあるが実戦では使い物にならない欠陥品」と実家の貴族からも見放されていた十二歳の少女・セリア。

 そんな彼女が放り込まれた北部辺境の訓練所で、唯一彼女を特別扱いせず、かといって見捨てることもなく、凍える指先を大きな温かい掌で包み込んでくれたのが、当時すでに一線を退いていた教官ロウ・ヴァルハイトだった。


『――いいかい、セリア。お前の氷の魔力が暴走するのは、お前が弱いからじゃない。息を止めて力任せに振っているから、魔力が血管の中で渋滞しているだけだ。「スゥ、スゥ、ハァーッ」と三拍子で息を吐き切り、小指を締めて手首を半ミリだけ引いてごらん。ほら、冷気が剣先から綺麗に抜けて、指先が温かくなっただろう?』


 あの日、吹雪の訓練場でロウが淹れてくれた野ハッカ入りの温かい薬草茶の味と、頭を撫でてくれたゴツゴツした掌の温もりを思い出し、セリアの目尻からポロポロと真珠のような涙がこぼれ落ちた。


「副官、あなたたちも今の五本をすべて脳裏に焼き付けなさい! 私がいつもあなたたちに『スキルに頼るな、三拍子で息を吐きながら手首を半ミリ引け』と口酸っぱく言っていた理由が、これで分かったでしょう!? この画面に映っているロウ先生こそが、私をS級まで育て上げた『蒼穹の旅団』の真の源流――つまり、あなたたち全員にとっても【大師匠(グランド・マスター)】にあたるお方なのよ!!」


「は、ははぁっ!! セリア団長のあの神業のような無音抜刀術の師匠が、まさか実在しておられたとは……!!」


 A級騎士たちが画面の中のロウに向かって一斉に直立不動の敬礼を捧げる横で、セリアは木箱の底に入っていた『岩毒トカゲの無毒化燻製ジャーキー』と『魔石灰の消臭炭袋』のサンプルを取り出し、ジャーキーの袋を開けて匂いを嗅いだ。


「ああっ……この塩苔と野ハッカを揉み込んで桜の煙で燻したジャーキーの匂い! 十年前、私が吹雪の訓練で熱を出した時に、先生が煎じて食べさせてくださった干し肉とまったく同じ味だわ……!! しかもこの炭袋、先生の縫い目じゃなくて若い女の子が縫ったみたいだけれど、先生の教え通りに魔石灰と消し炭の比率が1対2で完璧に守られている……!」


 先ほどまでの冷徹無比な『氷の女帝』の威厳はどこへやら。

 今のセリアの背後には、部下たちの目にもハッキリと見えるほどキラキラとした幻の花が舞い散り、見えない大型犬の尻尾がブンブンと音を立てて千切れんばかりに揺れていた。


「ふ、副官っ!! ただちに第50層のベースキャンプに駐留している本隊のうち、防衛班を除く主力メンバー全員に出発準備を命じなさい! 第50層の高速昇降機(リフト)を最大出力で動かして、今日中に地上のギルド本部へ全速帰還するわよ!!」


「えっ!? だ、団長、まだ深層遠征の予定期間が五日も残っておりますが!? ギルド本部の理事会になんと理由を説明すれば……!」


「『第55層で発見された蒸気火傷の氷竜の鱗を、地下3階の安全講習・映像資料室へ最優先で届けに行く』と報告しておきなさい! ……ああ、先生、待っていてください! 十年前、木刀しか振れなかった泣き虫のセリアが、先生に教わった『二重猟師結び』と『三拍子の呼吸』だけで、どれほど強くなったか……今すぐ見せに参りますからっ!!」


 大陸最強のS級剣姫が、一本の初心者向けアーカイブを見た瞬間にすべてを投げ打って地上へと疾走を開始したその頃。

 中層の中盤――第27層の難所へ足を踏み入れていたB級パーティー『白銀の轍』のガレスたちもまた、三百年前の迷宮に隠された驚愕の現象に遭遇していた。

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