第022話:『第5講:暗闇での音響索敵』と、ノエルが見つけた魔力吸収の闇
地上の屋台が賑わっていたその日の昼下がり。
ロウ・ヴァルハイトと記録技師ノエルの二人は、前日に公開した『第4講:刃こぼれさせない半ミリの引き斬り』に続き、中層へ挑む探索者たちに向けた新しいアーカイブ――『第5講:魔導灯が消えた暗闇での音響索敵と、野営の火の組み方』を撮影するため、中層の入り口である『第22層』へと足を踏み入れていた。
第20層にある巨大な『古代の星門』をくぐり抜けた先、第21層から下の階層は、浅層とは空気の質がガラリと変わる。
湿気が急に消えて空気がカラリと乾燥し、肌を刺すような涼しさと、わずかな気圧の低下が耳の奥をツンと押すのだ。
「では録画開始しますね、室長! 《精密魔導記録》、スタートです!」
ノエルの合図で三機の浮遊カメラが散開する中、ロウは第22層の外壁に沿った暗い回廊に立ち、自分の持っていたランタンのシャッターをパチンと閉じて、あたりを完全な暗闇にした。
『――第5講だ。中層の第20層より下では、魔力減衰や突風でランタンの火が消えることがある。だが、明かりが消えても絶対にその場で走り出してはいけない。暗闇で自分の位置と、通路の先がどうなっているかを知るには、武器の石突(柄頭)で足元の石畳をこうして軽く二回叩く』
ロウは鞘に収まった鉄剣の石突で、足元の床を「コン、コン」と一定の強さで二回叩いた。
『耳の奥の力を抜いて、跳ね返ってくる音の「高さ」と「遅れ」を聞きなさい。……前方が行き止まりなら、コンマ一秒で「カッ」という高い音が返ってくる。曲がり角や広い部屋に繋がっているなら、「コォン……」と低い残響が混じる。そして、もし床の下が空洞や落とし穴になっているなら、靴底に伝わる振動が足の裏から抜けていく』
ロウはそう解説しながら、今度は回廊の北側の『外壁』に向かって、石突で「コン、コン」と軽く二回叩いてみせた。
そして、返ってきた微かな反響音に耳を澄ませた瞬間――ロウの眉が、ほんのわずかにピクリと動いた。
「……ふむ。不思議だな」
カメラが回っている中で、ロウは壁に片耳を近づけて小さく呟いた。
「どうしました、室長? 壁の向こうに隠し部屋でもありますか?」とノエルが小声で尋ねる。
「いや、隠し部屋じゃない。……ノエル、俺たちは今、地下第22層――つまり地面の下、何百メートルもの深い岩盤の中にいるはずだよな?」
「え? は、はい、もちろんです! 迷宮は地下へ潜る大陥没孔ですから、その外壁の向こう側は見渡す限りの分厚い大地の岩盤のはずですけど……」
「だよな。……だが、今この外壁を叩いた反響音は、向こう側が詰まった岩盤になっている音じゃない。厚さ三メートルの超古代黒曜石の壁一枚を隔てたすぐ外側が、『遮るものが何一つない、無限に広がる吹き抜けの大気空間(空)』になっている時の反響音だ」
「……えっ? ち、地下第22層の壁の外側が、無限の吹き抜け空間……? 室長、それじゃあまるで、私たちが地面の下に潜っているんじゃなくて、空に聳える高い塔の中を登っているみたいじゃないですか、あはは……」
ノエルは冗談だと思って笑ったが、ロウは壁を撫でながら「……まあ、三百年前の建造者がどんな空間設計をしたのかは、クラリス教授にでも調べてもらうとしよう」と静かに頷いた。
続いてロウは、広間の隅で小枝を『三角形の井桁』に組んで空気の通り道を作る、煙の少ない野営の焚き火術と、最後に小刀をチャリンと鞘へ収める所作を実演して、『第5講』の撮影を無事に終えた。
なお、その納刀の瞬間、またしても浮遊カメラ『3号機』だけがピピッ! と天井の通気孔の暗がりを二秒間だけ映し、ロウの左手の小指が動いて「パチン」と空気の爆ぜる極小の音が鳴ったが、ノエルは「もうっ、また3号機がよそ見してる!」とぷりぷり怒るだけだった。
◇
その日の深夜、地下3階の『安全講習・映像資料室』。
ロウが仮眠室のベッドへ入り、クラリス教授もソファで毛布を被って寝息を立て始めたあと、ノエルは一人、編集机の上で『第5講』の魔導記録水晶の最終調整を行っていた。
「ふふっ、今日の室長の音響索敵と焚き火の映像も完璧! ……そうだ、比較図解を入れるために、記録院から持ってきていた『一般のスキル保持者が第22層で戦っている記録映像』と並べて、1000分の1秒単位の魔力波形を重ねてみようっと」
ノエルは丸眼鏡の位置を直し、自分の固有スキル《精密魔導記録》の解析モードを最大倍率に引き上げた。
左の画面には、今日撮影した【無天賦のロウが、三拍子の呼吸と石突打撃だけで第22層の魔物を倒す映像】。
右の画面には、先月C級の探索者が【剣技スキル《烈風斬》を発動して同じ魔物を倒す映像】。
ノエルは二つの映像の「魔力粒子の動き」を可視化するフィルターをかけ、1000分の1秒のコマ送りで再生した。
すると――
「……え? な、なにこれ……?」
ノエルの指が、編集ダイヤルの上でピタリと止まった。
左のロウの映像では、ロウの体内の生命力は一滴たりとも外へ漏れておらず、すべての運動エネルギーが100%魔物の急所へと伝わっている。
ところが、右のC級探索者が『神授スキル《烈風斬》』の名前を叫んで剣を光らせた瞬間――
1000分の3秒という、肉眼では絶対に捉えられない極小のフレームの中で、探索者の胸のスキル紋章から溢れ出した生命魔力のうち、実に『3割以上』が剣の穂先へは向かわず、赤い光の糸となって足元の『迷宮の石畳の床』へとズルズルと吸い込まれて消えていたのである!
「う、嘘……っ!? なんでスキルを使った瞬間だけ、探索者の生命魔力が迷宮の床に吸い取られてるの……!?」
ノエルは背筋が凍りつくのを感じながら、手元にあった他の十人分の記録映像――火魔法スキル、盾スキル、身体強化スキルを使った探索者たちの映像を次々と1000分の1秒解析にかけていった。
結果は、すべて同じだった。
ランクや属性に関係なく、人間が『神授スキル』を発動した瞬間だけ、迷宮の床に刻まれた目に見えない微細な回路が開き、使用者の寿命にも関わる根源的な生命魔力を「通行料」のように3割ずつ搾取して、地下のさらに奥深く――奈落の底へと送電していたのだ!
「……だから、なの……? ここ十年、王都の上層部が基礎訓練所を次々と潰して、『神授スキルをどんどん使え』ってスキル至上主義を煽っていたのは……探索者を強くするためじゃなくて、迷宮の底にある『何か』に大量の生命魔力を貢がせるため……!? そして、スキルを一切使わずに魔物を倒してしまう室長の『無天賦の基礎』は、迷宮にとって一番都合の悪い天敵だっていうの……!?」
ノエルはあまりの恐怖に両手で口を押さえ、震える手でその解析データを暗号化して隠し水晶へと保存した。
そして、ノエルが編集を終えたばかりの通常版『第1講〜第5講』の複製アーカイブ水晶が、翌朝の定期補給部隊の荷物に積まれ、深層第50層の最前線ベースキャンプへと発送されたのは――それからわずか数時間後のことだった。




