第019話:頑固鍛冶親方ガンツの怒鳴り込み 〜「俺の安物鉄剣に何をした!」〜
「おいっ!! どいつだァッ!! 俺の打った武具に変な違法魔導加工を施しやがった『地下資料室の室長』って野郎は、ツラを貸しやがれぇっ!!」
夕刻、ギルド地下3階の静かな回廊に、落雷のようなダミ声が轟いた。
黒鉄の扉を蹴り開ける勢いで乗り込んできたのは、身長百五十センチながら横幅が人間の二人分はありそうな、岩塊の如き老ドワーフだった。
白髪交じりの立派な髭を蓄え、火傷跡だらけの丸太のような両腕を剥き出しにした革エプロン姿。その後ろからは、甥である『白銀の轍』のボルクと、ガレス、エレン、さらにはたまたま居合わせた『灯火』のカイたちが「ま、待ってくださいガンツ親方ーっ!」と必死に追いすがってきていた。
「ひゃああっ!? が、ガンツ親方!? 迷宮都市随一の武具職人にして、ギルド指定工房の代表親方であるガンツさんがどうしてここに!?」
ノエルが丸眼鏡を押さえて震え上がり、ソファで三百年前の拓本を調べていたクラリス教授も「あらあら、騒々しいわね」とルーペを上げた。
ガンツ親方(五十五歳)は、職人気質で妥協を一切許さない迷宮都市の名物鍛冶師である。彼は片手にカイの『ギルド支給の量産型鉄剣』を、もう片方の手にガレスが今日使った『柄を八センチ切り詰めた白銀槍』を握りしめ、部屋の奥のロウ・ヴァルハイトの前へドカッと仁王立ちした。
「あんたが新任のヴァルハイト室長か! いいか、俺はな、自分の工房で打った剣や槍の鉄の匂いは一本残らず覚えてるんだよ! さっきボルクの野郎と、この『灯火』のカイって坊主が定期点検に持ってきたこの武器を見て、俺は目ん玉が飛び出るかと思ったぜ!!」
ガンツ親方は机の上に、カイの鉄剣とガレスの槍をドンと置いた。
「この坊主の鉄剣は、俺の工房の弟子が練習で打った一番安い量産品だ。本来なら第3層や第5層の兵隊蟻を五匹も殴れば、刃がボロボロに欠けるはずのなまくら鉄だ! それなのに、この三日間でゴブリンや毒蜘蛛、兵隊蟻を百匹近くぶっ倒してきたっていうのに、刃こぼれが1ミリもねぇどころか、柄頭(石突)の金具の歪みすらゼロだ! さらにガレスの槍に至っちゃ、あの鋼鉄より硬い第28層の『重甲殻虫』を三匹突き殺してきたっていうのに、穂先に擦り傷ひとつ付いてねぇ!!」
ガンツ親方は太い人差し指をロウの鼻先へ突きつけた。
「白状しろ、室長! あんた、この武器に王都で禁止されてる『不可視の硬化付与』かなんかを塗り込みやがったな!? ドワーフの鍛冶師として、自分の打った鉄の限界を超えるようなインチキ細工を見逃すわけにはいかねぇぞ!!」
「ち、違います叔父貴! 大将は俺たちの武器に魔法なんかかけてねぇって!」
「そうですガンツ親方! 俺たちはただ、ロウ先生の『第1講』から『第3講』の通りに、剣を抜かずに石突を斜め四十五度に落としたり、関節の隙間に沿って穂先を入れただけで……!」
ボルクとカイが必死に弁明するが、頑固一徹のガンツ親方は「ええい黙ってろ! たかが振り方や角度を変えたくらいで、重甲殻虫の甲羅を傷ひとつなく貫けるわけがねぇだろうが!」と聞く耳を持たない。
すると、椅子から静かに立ち上がったロウが、穏やかな声で言った。
「ガンツ親方と言ったかな。……親方が自分の打った鉄に誇りを持っているのはよく分かった。本当にいい仕事をしているよ。この量産型の鉄剣も、安い銑鉄ながら芯まで均一に火が入っていて、重心に一切の狂いがない」
「……あん? お、おう、そりゃあ俺が最後に焼き入れだけは見てやってるからな……って、お世辞でごまかそうったってそうはいかねぇぞ!」
「ごまかしはしないさ。百聞は一見に如かずだ。……ノエル、ストーブの横にある『乾燥した鉄樫の薪』を一本と、親方が持ってきたその一番安い量産型の鉄剣を貸してくれ」
ロウは部屋の隅にある丸太の台の上に、斧でもなかなか割れないほど硬い『鉄樫の太い薪』を垂直に立てた。そして、カイが使っていた量産型の鉄剣を鞘からスッと抜き放った。
さらにロウは、机の上から「一枚の薄い羊皮紙のメモ用紙」を取り、それを鉄樫の薪のてっぺんにふわりと乗せた。
「親方。武器の刃が欠けるのは、鉄が弱いからじゃない。振るう人間が腕力に任せて刃を『押し付ける』から、鉄の繊維と対象の繊維が正面衝突して潰れるんだ。……だが、三拍子の呼吸で重心を落とし、刃が触れる瞬間に【手首をほんの半ミリだけ手前へ引く】と、こうなる」
ロウは構えすら取らなかった。
ただ自然体のまま、鼻から一拍で吸い、二拍で膝をわずかに緩め――三拍目で細く息を吐くと同時に、量産型の鉄剣を斜め四十五度の角度で、すうっ、と風を撫でるように振り下ろした。
――音は、しなかった。
バキッという破砕音も、ヒュンという風切り音すらも。
ただ銀色の光の線が薪を通り抜け、ロウの剣がチャリンと静かに鞘へ収まった。
「……は? おい室長、今、空振りしたんじゃ――」
ガンツ親方が鼻で笑おうとした、その直後だった。
薪のてっぺんに乗せられていた薄い羊皮紙が、ひらりと二つに分かれて床へ舞い落ち、それに遅れること一秒――直径二十センチもある硬い鉄樫の薪が、斜め四十五度の断面で、まるで鏡のようにツルツルに磨かれたかのような切断面を見せて、スコンと音もなく上下二つに滑り落ちたのである!!
「「「な……っ、なんだとぉぉぉっ!?」」」
ガンツ親方の目が、零れ落ちそうなほど見開かれた。
親方は震える手で二つに割れた鉄樫の薪の断面を触り、それからロウが差し出した量産型の鉄剣の刃をルーペで食い入るように覗き込んだ。
「ば、バカな……っ! 鉄樫の薪が、木目に逆らって鏡みたいに真っ二つになってるのに……この安物の鉄剣の刃先に、ミクロの曇りも、脂の付着すら1ミリも残ってねぇ……!? たたき斬ったんじゃなくて、木の細胞の隙間を、手首を半ミリ引く『引き斬りの刃筋』だけで摩擦ゼロで通り抜けたってのかよ……!?」
鍛冶屋として四十年以上、何万本もの刀剣と向き合ってきたガンツ親方には、今の一太刀がどれほど神域の技術であるかが、誰よりも痛いほど理解できた。
魔力もスキルも一切使わず、ただ純粋な「重心」と「角度」と「半ミリの引き」だけで、なまくらの鉄剣を伝説の聖剣以上の切れ味へと昇華させてみせたのだ!
ドサリ、とガンツ親方はその場に尻餅をつき、丸太のような両手で自分の頭を抱えた。
「……ま、参った……完全に俺の負けだァ……! 俺が四十年かけて追い求めてきた『絶対に折れず、絶対に欠けない理想の剣』の答えは、ミスリルを混ぜることじゃなく、あんたのその『刃筋』にあったってわけか……!!」
ガンツ親方はガバッと立ち上がると、ロウの両手を火傷だらけの分厚い掌で握りしめた。
「ヴァルハイト室長! いや、大将と呼ばせてくれ! さっきはインチキ扱いして本当にすまなかった! そのお詫びと言っちゃなんだが、これからあんたやこの資料室の若い連中が必要とする武具の改造や新装備の試作は、すべて俺の『ガンツ武具工房』が原価で、いや最優先で引き受けさせてもらうぜ!!」
「おお、それは頼もしいな。ちょうどこれから『第4講』以降で、中層向けの消音金具や傾斜盾の標準モデルを作りたいと思っていたところなんだ」
ロウが笑顔で頷くと、ガンツ親方は子どものように目を輝かせた。
だが――その直後。
ふとロウの腰元に視線を落としたガンツ親方の目が、彼のベルトの左側に吊るされている『中身が空っぽの、古い黒革の短剣鞘』に釘付けになった。
「……おい、大将。……その腰の、古い黒革の鞘……」
ガンツ親方の声から、急に冗談めいた響きが消えた。
その鞘の入り口の真鍮金具には、ドワーフの古い文字で、ガンツ自身が二十年前に打った覚えのある『工房の刻印』と、深い爪痕のような傷が刻まれていたのである。




