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第013話:第5層の行き止まりと、開かれた『300年前の安全避難室』

「た、助けてくれぇっ!! 誰かいないのかあっ!!」


 大迷宮『アーク・バベル』第5層――通称『石柱の回廊』。

 今日から探索エリアを第3層から第5層へと引き上げた初級パーティー『灯火』のカイ、ピノ、ミアの三人は、回廊の奥から響いてきた切迫した悲鳴に足を止めた。


「カイくん、今の声……! 三日前に精算窓口で私たちを笑っていた、同期の『紅蓮の翼』の人たちだよ! しかも後ろから、すごい数の『大顎兵隊蟻(ソルジャー・アント)』の足音が迫ってきてる!」


 山猫耳をピンと立てたピノが叫ぶのと同時に、曲がり角の向こうから、血まみれの革鎧を着た三人の少年たちが転げるように走ってきた。

 その先頭を走っていたのは、かつて初日に担架で運ばれ、カイたちを「スキル無しの無能」と嘲笑っていた火属性スキル保持者の少年・ダンだった。


「はぁ、はぁ……っ! な、なんで第5層にあんな数の兵隊蟻がいるんだよ! 俺の《紅蓮弾》で一匹焼いたら、焦げた匂いに興奮して巣穴から二十匹以上飛び出してきやがった……っ! あ、おい、お前ら『灯火』の……!」


 ダンはカイたちの姿を見るなり、すがりつくような目で叫んだ。


「た、頼むカイ! 俺の魔力はもう空っぽで、前衛の二人も足を噛まれて走れないんだ! あいつらを食い止めてくれ!!」


 見れば、ダンの後ろから体長一・五メートルを超える黒光りした甲殻の怪物――『大顎兵隊蟻』の群れが、カチカチと巨大な顎を打ち鳴らしながら濁流のように押し寄せてきていた。

 迷宮の狭い通路で火属性スキルを乱発したせいで、蟻たちの警戒フェロモンを刺激して暴走(スタンピード)を引き起こしたのだ。


「……くそっ、足を怪我している二人を連れてじゃ、階段まで逃げ切れないぞ! ピノ、この近くに身を隠せる横穴はないか!?」


「こ、このすぐ右の通路! でも地図だと二十メートル先で『古代壁の行き止まり』になってる袋小路だよ!」


「構わない! 広い回廊で二十匹に囲まれたら終わりだ! 狭い袋小路の入り口なら、同時に相手にするのは二匹ずつで済む! ミア、ピノ、怪我人を連れてその行き止まりの奥へ下がれ! 俺が入り口で盾になる!」


 カイは迷わず決断し、負傷した『紅蓮の翼』の三人を袋小路の奥へと押し込んだ。

 突き当たりを塞いでいるのは、第1層から第5層の通常の石壁とは明らかに材質が異なる、継ぎ目のない巨大な『鈍色の古代石壁(そこには風化した幾何学紋様が刻まれている)』だった。


「ば、バカかお前! 行き止まりなんかに逃げ込んだら、袋の鼠じゃないか!!」


 腰を抜かしたダンがパニックになって叫ぶ。

 だがカイは振り返りもせず、今朝地下資料室で見たばかりの『第3講』のロウの声を心の中で復唱していた。


(パニックになるな。肩で息をするな。……『一で吸って、二で沈み、三で石突を斜めに返す』!)


 カイは鼻から静かに一拍で息を吸い、二拍目でへそ下の丹田へ重心を落とし、左腕の丸盾(バックラー)を構えた。ブーツの裏には『第2講』で作った鉄喰い苔の天然ゴムが貼られており、湿った石畳を吸盤のようにガッチリと捉えている。


 ――ギチィッ!!

 先頭の大顎兵隊蟻が、鉄板をも断ち切る大顎を広げてカイの正面へ突進してきた!

 昨日のカイなら、恐怖で盾を真っ正面に突き出して吹き飛ばされていただろう。だが今のカイは、蟻の大顎が盾に触れるコンマ一秒前、肘をわずかに引いて盾の表面を【外へ3ミリ】傾けた!


 ――シュパンッ!!

 火花すら散らなかった。体重百五十キロの兵隊蟻の突進力が、3ミリ傾いた盾の表面をツルリと滑り落ち、カイの左横の壁へ頭から激突する。

 カイは三拍子の3拍目で細く息を吐き切りながら半歩踏み込み、無防備に伸びきった蟻の首の付け根(外骨格の継ぎ目)へ向かって、鞘から抜いていない鉄剣の柄頭(石突)を斜め四十五度に叩き落とした!


 バキッ! と甲殻内部の神経節が砕ける音が響き、一匹目の兵隊蟻が泡を吹いてその場に沈む。


「なっ……!? す、スキルも使わずに、剣すら抜かずに兵隊蟻を一撃で気絶させた……だと!?」


 後ろで見ていたダンが、信じられないものを見るように目を見開いた。

 さらにピノもカイの脇から飛び出し、二匹目、三匹目の蟻の脚の関節を45度の石突で正確に打ち抜いていく。倒れた三匹の蟻の死骸がそのまま通路を塞ぐバリケードとなり、後続の蟻たちの足が詰まった。


「よし、第一波は止めたぞ! だが、後ろからまだ十五匹以上来ているし、蟻が吐き出した強酸の唾液が石畳で気化して、刺激臭の煙が充満してきた……!」


 兵隊蟻が威嚇のために撒き散らした蟻酸(ぎさん)の白い蒸気が袋小路へ流れ込み、後ろにいたダンたちが「げほっ、ごほっ! 目が、喉が焼ける……!」と咳き込み始めた。

 その瞬間、衛生兵のミアが背負子から素早く六つの小さな麻袋を取り出した。

 今朝の『第3講』のおまけコーナーを見て、出発前にミアが宿のかまどの消し炭と魔石灰を1対2で混ぜて縫っておいた【消臭・防毒炭袋】である!


「カイくん、ピノちゃん、それに『紅蓮の翼』の皆さんも! この炭袋に水筒の水を少しだけ垂らして、口と鼻に当ててください! ロウ先生が『嫌なガスや酸の煙が出たら、濡らした炭袋をマスクにしろ』って仰ってたわ!」


 ミアが全員に濡らした炭袋を配り、カイがそれを口元に当てて息を吸った瞬間――

 先ほどまで鼻の粘膜を刺していた強烈な酸の刺激臭が、魔石灰の中和作用と消し炭の多孔質フィルターによって100%完全に吸着され、驚くほど涼しく澄んだ空気だけが肺へと入ってきたのだ!


「す、すげえぞミア! あの炭袋を当てただけで、酸の煙がまったく臭わなくなったし、目も痛くない!」

「な、なんだこの麻袋は……!? ギルドで銀貨十枚で売ってる防毒布よりずっと息がしやすいぞ……!」


 ダンたちが驚嘆する中、カイは一度後ろの『古代石壁の行き止まり』まで下がり、ロウの『第1講』と『第3講』で教えられた基本手順を忠実に実行しようとミアに声をかけた。


「ミア、蟻の酸の煙がどこへ流れているか、換気穴がないか気流を見る! 俺のすぐ後ろ、この古代壁の正面で『腰の高さで松明を横の八の字に二回』振ってくれ!」


「うんっ! いくよ……一、二っ!」


 ミアが古代石壁の紋様のすぐ前で、腰の斜め後ろに構えた松明を、綺麗な無限大(∞)の軌道で二回ゆっくりと振った。

 そしてカイは、後ろの壁までの距離と床の硬さを確かめる『音響索敵』のため、三拍子のリズムに合わせて――右手の鉄剣の石突を、古代壁の足元にある六角形の床石へ向かって、【斜め四十五度の角度】で「コン、コン」と正確に二回打ち込んだ。


 ――その瞬間だった。


 キィィィン……ッ!!

 袋小路の空気全体が、まるで澄み切った音叉(おんさ)を鳴らしたかのように共鳴した。

 ミアが松明で描いた『二回の八の字の熱波長』と、カイが床の六角石へ刻んだ『三拍子・斜め四十五度の二連打撃振動』。

 ただの「初心者向けの気流確認と音響確認の基礎動作」のはずだったその二つが重なった刹那――三百年間、どんなA級魔導師が爆破魔法を撃ち込んでもピクリともしなかった行き止まりの古代石壁に、鮮やかな蒼銀色の魔導回路が浮かび上がったのである!


『――【規定コード確認】。八の字の双炎、三拍の歩、斜め四十五度の打撃角。……三百年ぶりですね、初代迷宮守(ゲート・キーパー)の見習い諸君。第5層・緊急安全避難室(セーフ・ルーム)の隔壁を開放します』


 壁の内部から、凛とした古代の自動音声(レコード・ボイス)が響き渡り、ゴゴゴゴゴ……ッ! と重厚な音を立てて、厚さ二メートルの黒曜石の壁が左右へ滑るように開いた!


「「「え……っ!? い、行き止まりの壁が、開いたぁぁっ!?」」」


 ダンたちが腰を抜かして叫ぶ中、カイは「とにかく全員中へ入れ!」と全員を奥の部屋へと飛び込ませた。

 最後のカイが中へ滑り込んだ直後、背後の黒曜石の隔壁が再びピタリと閉じ、外で暴れていた兵隊蟻たちの顎の音を100%完全に遮断して、部屋の中に絶対の静寂が訪れたのだった。

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