ノクティル海 ⑥
第59話 土の奪還
優は横に立つ風紀へと、そっと視線を向けた。
(風紀さん、風の力で私たちを穴から出してもらえませんか?)
風紀はしばらく優を見つめ、やがて諦めたように小さくため息をつく。
「……御意」
その人間らしい反応に、優は思わず苦笑した。
次の瞬間、柔らかな風が優と茜の体をふわりと包み込む。抵抗なく持ち上げられ、二人はゆっくりと穴の外へ運ばれ、そのまま静かに地面へ降ろされた。
「気をつけるのじゃぞ」
優しい眼差しを向ける風紀に、優は一度だけ目を細め、息を整えてから静かに頷く。
「お主もだぞ」
視線を向けると、風妃はどこか不安げに眉を寄せていた。
その様子に、茜はニッと口角を上げる。
「おう」
軽く答えた、その瞬間だった。
ヒュッ、と空気を裂く音。放たれた矢が二人へ迫る。
「っ!」
優と茜は同時に左右へ跳び、矢をかわした。矢はすぐ脇を掠め、地面へと突き刺さる。
着地と同時に、優の視界に鈴奈の姿が飛び込む。踏み込みと同時に鈴奈の体がしなやかに回転し、腰のひねりを乗せた回し蹴りが風を裂いて迫った。
優は体を横に捻り、その一撃を紙一重でかわす。
しかし鈴奈は止まらない。着地の勢いのまま低く沈み込み、滑るように足を払った。
足元を崩され、優の体勢が大きく揺らぐ。
(しまっ……)
視線が上がる。次の瞬間、体が宙に浮いた。
受け身を取る間もなく、優は地面へと倒れ込んだ。
すぐに鈴奈が踏み込み、追撃の拳が振り下ろされる。
優は咄嗟に体を投げ出し、砂を巻き上げながら地面を転がった。
その一撃は空を切る。
(そうだよね……簡単には近づけさせてくれない)
そう思った瞬間、足元がぐらりと揺れた。
「っ!」
次の瞬間、地面がせり上がり、優の体を突き上げる。
支えを失い、優はそのまま落下した。
砂の上に叩きつけられ、衝撃が背中を抜ける。肺の空気が押し出され、思わず息が詰まる。
砂煙が舞い、視界が白く染まる。
「っ……」
痛みを押し殺しながら、優は歯を食いしばった。
その時、鈴奈が優の上に馬乗りになり、逃げ道を塞ぐように体を低く落とした。
「っ!」
目を見開いた優に、鈴奈は拳を振り上げた。だが、その拳は振り下ろされる直前でぴたりと止まる。
ハッと視線を上げると、鈴奈はどこか困ったような表情をして優を見下ろしていた。
(鈴奈……さん?)
優と目が合うと、鈴奈は目を泳がせながらゆっくりと手を伸ばす。それを見た優は、慌ててその手を取り返した。
(今なら!)
優は一瞬息を呑み、切迫した表情のままバッと風紀を見た。
(風紀さん! 私たちを穴に落として!)
「承知した」
頷くと、風紀は竜巻を操り、二人の体をやわらかく包み込むようにして、ゆっくりと穴の中へと下ろした。
(風紀さん)
優は視線を上げ、まっすぐに風紀を見つめた。
「なんだ?」
(もう1つ、わがままを聞いてくれますか?)
風紀は一瞬だけ眉をひそめたが、すぐにその表情を緩める。
「なんだい?」
(ネックレスを茜さんからもらって来てくれませんか?)
「承知した」
風紀は短く答えると、穴の外へと飛び立っていった。
鈴奈が静かに立ち上がり、地面を踏みしめた。優はその動きを視界の端で捉え、すぐに構えを取る。空気が張り詰めた次の瞬間、鈴奈が踏み込み、鋭い蹴りを放った。
「っ!」
優は腕で受け止めるが、その勢いに押されて一歩後ろへと下がる。間髪入れず鈴奈は体を回転させて回し蹴りを繰り出す。優はしゃがみ込み、その攻撃を回避すると同時に足払いを仕掛ける。
しかし鈴奈は軽やかに飛び上がり、その場を離れた。
優は息を整える。(同じ手は通用しないか!)
その瞬間、放たれたパンチを腕で受け止める。だが、その隙を突かれ、腹部に強烈な蹴りが入った。
「!!」
声を漏らし、痛みに優は身をかがめる。そこへ鈴奈が素早く距離を詰め、首元へと手を振り上げて叩き込む。
「っ!」
鋭い衝撃が走り、優の意識が一瞬揺らいだ。
追い打ちをかけるように、鈴奈はさらに距離を詰める。優の首へ腕を回そうとする動きに、逃げ場はない。
(しまった!)
鈴奈の動きが止まらない。
(来る!)
意識が遠のきかける中、優は必死に食らいつく。
(どうする……!)
その時、張り詰めた空気を裂くように、風紀の声が響く。
「優!」
その声に、優は咄嗟に身をかがめ、すぐさま立ち上がった。鈴奈は反応しきれず、優の頭が鈴奈の顎に強く当たる。
「っ…!」
思わず痛みに顔を歪め、鈴奈は一歩後ろへと下がった。優はその隙を逃さず、鈴奈の腕を掴むと、そのまま力を込めて捻り、仰向けにして押さえ込んだ。
鈴奈は一瞬、体を仰け反らせ、目を大きく見開いた。だがやがて、パチパチと瞬きを繰り返し、ゆっくりと優へと視線を向ける。
「ゆ……う?」
その声を聞いた瞬間、優はほっとしたように微笑を浮かべた。
――次の瞬間、体に激しい痛みが走る。
「っ!」
思わず声を漏らし、そのまま力が抜けるように倒れ込んだ。
「優!」
鈴奈は叫びながら、すぐに駆け寄る。
優の体には断続的に痛みが走り、呼吸すらままならない。息を吸おうとしても浅く途切れ、うまく空気が入ってこない。
じわりと嫌な汗がにじみ、全身を伝っていく。
優は苦しげに、浅い呼吸を何度も繰り返していた。




