ノクティル海 ⑦
第60話 代償と止まぬ戦いの嵐
優は胸を抑え顔を歪めたまま、フラフラと立ち上がると穴の端に行き、こみ上げてきたものを吐き出した。
「優!」
鈴奈はすぐに優のもとへ駆け寄り、しゃがみ込んでゆっくりと撫でるように、その背をさすった。
「ごめんね……ごめんね」
鈴奈の声が震えている。泣いているのだと、優にはわかった。だが痛みで反応することもできない。うまく息ができず、目の前がチカチカと明滅する。それでも優は、意識だけは手放すまいと必死に耐えていた。
(いつになったら楽になれるんだろ……皆に迷惑かけないで……)
優がそう思ったその時、頭に激痛が走り頭に手を置き、身を丸める。
まるで津波のように記憶が押し寄せ、頭の中へと一気に雪崩れ込んでくる。処理しきれない光景が次々と溢れ、思考が追いつかない。
降りしきる雨。階段の上で笑う女の子たち。
(あぁ……また死ねなかった。いつになったら楽になれるんだろ……)
そう思ったその時、誰かが優に傘を差し出した。ゆっくりと顔を上げる。
そこには沙綾香が心配そうな表情をして優を見ている。
優はハッと顔を上げ、ぼやけていた意識を現実へ引き戻す。
(そうだ……あの時に私は沙綾香さんに会ってたんだ)
頭の奥に残る痛みを感じながら、優は息を整え、そっと顔に手を当てた。
「優!」
切羽詰まった鈴奈の声にハッと顔を上げると、鈴奈が涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、今にも崩れそうな表情でこちらを見ていた。
(あぁ……)
優は苦笑いを浮かべると、震える手を無理やり持ち上げ、〝大丈夫。ごめんね〟と手話で示した。
「でも……あんた……痣が……。ごめんね……本当にごめんね」
両膝をついたまま震えるように頷き、鈴奈はそのまま顔を伏せた。
その瞳からこぼれた雫が、ポタリ、ポタリと砂の上に小さな粒を落としていくのを見て、優は砂に膝をつき、そっと鈴奈へ手を伸ばした。
「うわぁぁぁ!」
2人が顔を上げた瞬間、茜が背中から穴の中へ落ちてくる。思わず息を呑み、その姿を追った。
「イルマイル!」
呼ぶと、茜の真下に水がにじむように広がる。落ちてきた体がそのまま水面に叩きつけられ、水しぶきが勢いよく弾けた。
「ぷはっ!」
水から顔を出すと、水は地面に吸い込まれていった。
「あっぶねぇ。2人とも大丈夫か?」
「あたしは大丈夫だけど優が」
鈴奈は顔をくしゃりと歪め、優へ視線を向ける。茜もそれにつられるように優を見て、わずかに顔を顰めた。
「お前……痣……」
優は〝大丈夫!〟と茜に親指を立てにっと笑う。
「グっ!……じゃねぇだろ」
茜は呆れたように吐き捨て、頭を乱暴にかき回すとため息をついた。そのまま口を開きかけた瞬間、穴の中が一気に明るくなり、見上げると火のついた矢が降り注ごうとしていた。
「イルマイル!」
茜の呼びかけに答えるように、水の膜が頭上で生まれ降ってきた矢を全て防ぎ、そのままパシャンと音を立てて崩れて3人に降りかかる。
「びっちょびちょ」
そう言いながら鈴奈は服の袖を絞った。
優は楽しそうに肩を震わせ、その様子を茜は苦笑い混じりに見つめていた。
一瞬だけ、場の空気が和らぐ。
だがその空気を切り裂くように、4人の頭上でジーという機械音が聞こえ顔を上げると、プロペラを回した機械が一台、こちらへ近づいてくる。
「ん?なんだ?」
耳障りな機械音が近づく中、茜は目を凝らす。すると、その手に抱えられた爆弾がはっきりと見えた。
「?!」
「タナージュ!」
茜が叫ぶのと同時に、頭上へ土の壁がせり上がる。次の瞬間、爆弾がそこで炸裂し、爆風が髪を乱暴に揺らした。
「あっぶねぇ」
4人がほっと息をついた、その瞬間。足元に淡い青の光がにじむように広がり、幾何学模様を描いた魔法陣が静かに浮かび上がった。
「!」
鈴奈と茜は、その魔法陣を見た瞬間に目を見開いた。見覚えのある紋様に気づき、思わず息を呑む。
「イルマイル!」
茜が名を呼んだ、その瞬間足元から水が噴き上がった。
渦を巻くように立ち上がった水流は、そのまま4人の足場となり、強引に体を押し上げていく。
水の上を滑るように、4人は一気に高度を上げそのまま穴の縁へと押し出され着地しかけたその時。
ラゾートの影が、すぐ目の前にあった。
踏み込みと同時に振り抜かれた拳が、一直線に優へ叩き込まれる。
「イルマイル!」
鈴奈の声と同時に、優の前に土の壁がせり上がる。
次の瞬間、鈍い衝撃音が響いた。
ガンッ!!
一撃で、壁に亀裂が走る。
ガンッ!! ガンッ!!
二撃、三撃と叩き込まれ、土壁が悲鳴を上げる。
耐えきれず、穴が穿たれた。
「マジかよ……」
目を見開く茜の前でラゾートは優に再び拳を振り上げる。
「っ!」
茜が優の前に立ちはだかる。その瞬間、蓮が体を滑り込ませるように間合いへ入り、剣で茜を斬りつけた。
「っ!容赦なさすぎだろ」
茜は振り下ろされた一撃を剣で受け止め、そのまま蓮を睨みつける。次の瞬間、横合いから奏が槍を振り下ろした。
「っ!」
茜は一歩踏み込みかけた足を止め、そのまま勢いよく横へ跳び退いて回避する。
「お前も来るのかよ。仲良しすぎんだろ、お前ら」
からかうように茜の頭上でまた機械音がした。見上げると、またあの機械が爆弾を持って近づき、爆弾を落とした。
「!」
茜はその場で踏み込み、すぐそばにいた奏と蓮の肩を強く押して突き飛ばした。
爆風が三人を襲う。
茜が目を開けると、目の前には驚いた表情の奏と蓮がいた。
「聞こえるか!踏ん張れ!術に負けんな!」
叫ぶと同時に、奏が苦しげに頭を押さえる。
茜はすぐにその両肩を掴んだ。
「しっかりしろ!」
「……先輩?」
かすれた声でそう呟いた直後、奏は再び頭を押さえて呻く。
「負けんな!」
不意に影が差した。
見上げると、蓮が剣を振り上げている。
「っ!」
振り下ろされるその直前、奏が割り込むように槍を差し込み、その一撃を受け止めた。
茜はすぐさま足を払って蓮の体勢を崩す。
「抑えてろ!」
「はい!」
奏が短く頷くのを確認すると、茜はすぐに振り返る。
「優!」
呼びかけに応じるように、優がペンダントを掲げる。
鈴奈がそれを茜へと投げた。
「暴れるな!」
奏が蓮の両腕を掴み、必死に押さえ込む。
その隙に、茜はペンダントを蓮の胸へ押し当てた。
「戻ってこい!」
蓮が目を見開き、ゆっくりと顔を上げる。
「あれ……俺……」
その声に、茜は思わず息を吐いた。
――その瞬間、左右から矢が飛び込んでくる。
「っ!」
蓮と奏が同時に動き、茜を挟むようにして前へ出る。
迫る矢を、それぞれが叩き落とした。
「俺は左」
「僕は右」
短く言い交わすと、二人は同時に地面を蹴り、走り出した。




