ノクティル海 ①
第55話 ノクティル海の殺意
ガキン、と鋭い金属音が夜の海辺に響き、振り下ろされたファルベの剣を蓮が横から受け止める。火花が散り、刃同士がぶつかり合う鈍い衝撃が腕に伝わった。
「……何やってるんです……」
低く押し殺した声とともに、蓮は剣を押し返し、ファルベを睨み上げた。その目には苛立ちと警戒が滲んでいる。だが、向けられた視線の先——ファルベの瞳には何の反応もなかった。ただ、どこにも焦点が合わず、虚ろに揺れているだけだった。
「……?!」
その違和感に、蓮の表情がわずかに揺れた。驚いたように目を見開いた、その直後——
ガクン、と糸が切れたように、蓮の体が前のめりに崩れた。
「……大丈夫?」
鈴奈が声をかける。けれど返事はない。ふっと腕の力が抜け、蓮はそのまま剣を下ろした。刃先がわずかに砂を擦る。
数歩よろめく。足取りは不安定で、今にも倒れそうなほど頼りない。それでも、ゆっくりと、ぎこちなくこちらへ向き直る。
その動きは明らかにおかしかった。関節の動きが噛み合っていないような、不自然な揺れ。まるで見えない糸に操られているかのように、体が勝手に動いているようだった。
「馬場……くん?」
鈴奈が思わず名を呼ぶ。しかし、返ってくる声はない。
ゆっくりと上がる顔。その目に宿っていたのは、意思でも感情でもなく——空っぽの冷たい光だけだった。
次の瞬間、蓮が剣を振り上げる。その動きには一切の迷いがない。狙いは一直線に——優。
「っ……!」
「優っ!」
鈴奈が咄嗟に腕を掴み、強く引き寄せる。直後、風が目の前を裂き、鋭い刃が空を切った。遅れて、空気が震える。
何も言えず、ただ立ち尽くす。
目の前には、さっきまで仲間だったはずの二人が、武器を手に立っていた。
「やめて! 蓮くん!」
沙綾香の叫びが夜に響く。その声に、蓮の動きがぴたりと止まった。
ゆっくりと顔が向けられる。
その目は——やはり、感情のない冷たい色をしていた。
次の瞬間、地を蹴る音。
一直線に、迷いなく、沙綾香へと突っ込む。
「っ——!」
振り下ろされた剣を、横から差し込まれた槍が弾いた。ガキン、と鋭い金属音が重なり、衝撃が空気を震わせる。
「いい加減にしてくださいよ」
低く吐き捨てるように言いながら、奏は槍を構えたまま蓮を鋭く睨みつけた。その視線は冷たく、感情を押し殺したように静かだった。
だが、その時だった。
ガクン、と蓮の体が不自然に揺れる。
「……えっ?」
一瞬、力が抜けたように見えた。だが直後、今度は奏の肩がびくりと跳ねた。
「な……に……」
鈴奈の呟きと同時に、切っ先がこちらへと向けられる。
そのまま一歩踏み込み、ためらいもなく襲いかかる。
ガキン、と金属音が弾ける。
振り下ろされた刃を、茜が横から差し込んだ剣で受け止めた。火花が散り、刃が軋む。
「……ふざけんなよ」
低く吐き捨てる声。ギリ、と刃同士が擦れ合う中、茜は目の前の奏を睨みつける。その瞳には怒りが宿っていた。
その時——
茜の肩がびくりと跳ねる。
「……っ」
数歩後ずさり、顔に手を当てる。呼吸がわずかに乱れる。額を押さえようとした手が途中で止まり、ゆっくりと下がった。
その動きもまた、不自然だった。
次の瞬間、槍の穂先が優たちへと向けられる。
空気を裂く音。
黒い影が一直線に飛び込んでくる。
「っ——!タナージュ!」
鈴奈の叫び。直後、四人の前に砂が巻き上がり、壁のようにせり上がった。
ドンッ——!
鈍い爆音。衝撃が叩きつけられ、砂の壁が大きく揺れる。細かい砂が舞い、視界を覆う。
やがて煙が晴れる。
その向こうに立っていたのは——
爆弾を片手に、にやりと笑うシンニエークだった。
「シンニエークさんまで……」
鈴奈の声が震える。
その瞬間、耳元を切り裂くような空切音。
反応するよりも早く、矢が一直線に迫る。
「フレーミア!」
沙綾香の叫びと同時に、矢が炎に包まれ、空中で弾けた。火の粉が夜に散る。
振り向けば、ロアークが弓を構えていた。
その目もまた、どこか遠くを見ている。
「ロアークさん……」
返事はない。ただ静かに、次の矢を番える。
その時、ゴォッ、と重い衝撃。
せり上がった砂の壁へ拳がめり込み、次の瞬間にはぽっかりと穴が空いた。
「わぁお……」
思わず鈴奈が呟く。優も息を呑んだまま言葉を失う。
崩れ落ちる砂の向こう。
ラゾートが、こちらを見ていた。
次の瞬間、地を蹴る。
一直線に距離を詰め、そのまま拳を叩き込む。
咄嗟に身を引き、腕で受け流す。衝撃が骨まで響き、体が大きく揺れる。
どうにか直撃は避けたものの、足が後ろへ滑る。
そのまま飛び退きながら、鈴奈は叫んだ。
「今のうちに——あんただけは逃げな!」
優は動けなかった。
その場に立ち尽くしたまま、どうすればいいのか分からない。何もできない。
目の前では、さっきまで一緒に笑っていた仲間たちが、武器を向けている。
「……っ」
息が詰まる。
その時、ふいに空気が変わった。
ひとつ、またひとつと視線が向けられていく。
ラゾートも、奏も、蓮も、茜も。
やがて——全員の目が、優を捉えた。
逃げ場なんて、どこにもなかった。




