エルディアの森 ②
第54話 未来を告げる声
夕暮れの森を抜けると、踏み固められた土の道が見えてきた。馬車はもう少し先だ。誰も口を開かなかった。ただ足音だけが、夕暮れの静けさの中に落ちていた。しばらく歩いたところで、その時、風が変わった。それまで穏やかだった夕風がふいに止み、木の葉も虫の声も、何もかもが息を潜めた。次の瞬間、冷たい風が逆向きに吹き抜けた。
思わず目を細めた。瞼を開けた瞬間——道の真ん中に、人が立っていた。
「こんばんは」
甘く、それでいてどこか背筋の冷える声が、夕暮れの空気に滑り込んできた。
「こんばんは。どうかされましたか?」
ラゾートは口角を上げ、軽く笑みを浮かべた。
「いえ、あなたたち、とても”面白い運命”をしているので声をかけさせてもらったんです」
“運命”という言葉に、何人かがあからさまに顔を顰めた。
「それは……どういう意味ですか?」
ファルベの言葉にふっと女は笑みを浮かべた。
「私は占いをしていまして、ほんの少しだけ、未来を見ることができるんです。あなたたちの助けに少しでもなればいいと思いまして」
女の声は穏やかだったが、その目は笑っていなかった。フードの奥から覗くその瞳は、深い水の底のように静かで——何もかもを見透かすような、深く静かな目だった。
女は一行の顔をゆっくりと見回した。値踏みするでもなく、ただ確かめるように。そして最初にシンニエークの前で、視線を止めた。
「あなたは……“壊す者”でありに“爆ぜる者”」
「えっ?」
シンニエークの顔から、いつもの軽さが消えた。眉をひそめたまま、女をじっと見つめている。
「火花は、いずれ大きな炎になる。でもね、その火で焼くのは敵だけとは限りませんよ」
「それはどういう……」
女は答えず、すっと視線を横に流した。奏と蓮を、静かに見る。
「あなたたちは——力に触れて、少しだけ深く沈んだことがありますね」
二人がビクッと肩を揺らした。
「一度踏み外した者はね、同じ道を選びやすい」
「それはどういうことだ」
蓮が低く問いながら、横目で奏を見た。奏も同じように眉を寄せ、黙ったまま女を見つめている。二人とも、すぐには次の言葉が出なかった。蓮の拳が、わずかに握られた。
「いずれ分かります」
それだけ言って、女は視線を茜へ向けた。
「あなたは……誰かを守ろうとすれば、別の誰かを傷つけなくてはいけなくなります」
「は? それはどういう……」
茜の眉がぴくりと動いた。何か言い返そうとしたのか、口元がわずかに動いた。しかしすぐに結ばれ、視線だけが鋭く女へ向いた。女はその視線を受け流すように、すっと肩をすくめると、今度は沙綾香を見た。
「あなたは優しい。でも——優しさは、時に人を殺す」
沙綾香は一瞬、何かを言いかけた。しかし口が開かなかった。笑みを保とうとしたのか、口元がかすかに動いた。それでも、すっと笑みが消えた。静寂が落ちる。女はそんな沙綾香をしばらく見つめてから、ゆっくりと鈴奈へ視線を移した。
「あなたは——最後まで”守る側”でいられるでしょうか」
鈴奈の目が、わずかに揺れた。いつもまっすぐ前を向いている鈴奈が、一瞬だけ足元に視線を落とした。すぐに顔を上げたが、その表情はどこか固かった。
女はそれ以上何も言わず、ゆっくりと視線を優へ移した。女と目が合った瞬間、優の肩がビクッと跳ね慌てて鈴奈の背中に隠れる。
「あらあら。嫌われてしまいましたかね」
女と目が合った瞬間、優の肩がビクッと跳ねた。慌てて鈴奈の背中に隠れる。心臓が、うるさいくらいに鳴っていた。怖い。ただそれだけだった。でも——この怖さは、森の中で感じたものとは違った。あのときは暗さや静けさが怖かった。今は、見られていることが怖かった。見透かされることが。自分の中にあるものを、言葉にされることが。優は鈴奈の背中にそっと額を押し当て、目を閉じた。女はその様子をしばらく眺めてから、くすりと笑った。
「あら、その勢い。……ただ、その力、止める術は持っていますか?」
「あぁ。たしかに」
ポンとシンニエークが手を打つと続ける。
「ベガルトさんイノシシみたいに猪突猛進な筋肉馬鹿ですもんね」
「あぁ?」
しれっと言うシンニエークにラゾートが拳を振り上げる。女はそれをにこにこと眺めながら、最後にファルベさんへ視線を向けた。
「あら。あなたは静かな刃を持っているのね。でも、抜かれぬままの方が、世界には優しいわね」
「えっ?」
ファルベさんは眉を寄せ、きょとんとした顔で女を見た。女は答えなかった。ゆっくりと一行全員を見回し、それから不敵な笑みを浮かべた。
「皆さんの参考になれば。では」
その瞬間、また風が変わった。さっきと同じだ——空気が止まり、音が遠のき、世界がひとつ息を止めたような感覚。直後、ふいに強い風が吹いた。その瞬間、また風が変わった。空気が止まり、音が消え、世界がひとつ息を止めたような感覚が走った。次の瞬間、強い風が吹いた。思わず目を閉じた。瞼を開けると——そこに、女の姿はなかった。
足跡もなく、衣擦れの音もなく、ただ消えた。人がそこにいた痕跡すら、残っていなかった。夕暮れの石畳に、風の音だけが残っていた。しばらく誰も口を開けなかった。
「なんなんだ?」
ラゾートがぽりぽりと頭を掻いた。
「んー。なんか不吉なこと言われたよね」
ロアークさんはどこか困ったような笑いを浮かべた。
「まぁ、たかが占いです!気にせず行きましょう!」
シンニエークの言葉に、その場の張り詰めた空気がわずかに緩んだ。
「だなっ!よしっ!飯行こうぜ!」
ファルベが先に歩き出し、それに続いて一人また一人と動き出した。優は輪から少し外れたところで立ったまま、仲間たちの背中を見つめていた。
頭の中で、占い師の言葉が繰り返されていた。みんなに向けられたあの言葉たちは、きっと嘘じゃない。そんな確信があった。だとしたら——これから、みんなが傷つく。それを分かっていながら、何もできないかもしれない。その恐怖が、じわりと足元から這い上がってくる。仲間たちの笑い声が遠く聞こえた。足が、なかなか動かなかった。




