エルディアの森 ①
第53話 森の書庫とアナグマ
木漏れ日も届かぬほど、枝葉が空を覆っていた。踏み入るほどに木々は深くなり、街の喧騒はいつの間にか遠ざかり、聞こえるのは風が梢を揺らす音と、足元の落ち葉が踏まれるたびに立てる乾いた音だけだった。
「こんな森の中に、その方はいらっしゃるんですか?」
シンニエークが木々を見上げながら言った。
「まぁな。ちょっと変わった奴でな」
ラゾートは困ったように笑うと、迷いなく先へ進んでいく。一行はその背中を追うように、薄暗い森の中を歩き続けた。
しばらくして、優が、ふと足を遅らせた。不安そうな目で、左右の木々をそっと見回している。
「どうしたの、優」
鈴奈が隣に並ぶ。優は胸元から手帳を取り出し、さらさらと書いて差し出した。
——なんか怖い。
「怖い?」
奏が、少し考えてから口を開いた。
「あの村も森の中でしたからね。無意識に怖いんじゃないのでしょうか」
「あぁ、なるほどね」
鈴奈は「大丈夫大丈夫」と言いながら、優の背中をゆっくりと撫でた。優はしばらくその場に立ったまま、もう一度だけ木々を見回した。それからようやく、少しだけ肩の力を抜いて、また歩き出した。
しばらく進むと、ラゾートが一本の古木の前で足を止めた。一行も自然と足を止め、その木を見上げる。幹は太く、枝は枯れ、一見するとただの朽ちかけた木にしか見えない。
「本当にここなのか、ベガルト」
ファルベさんが眉をひそめてラゾートを見た。
「まぁ見てなって」
ラゾートは片頬を上げ、幹に向かって3回叩いた。
やがてラゾートが一本の古木の前で足を止めた。幹は太く枝は枯れ、一見するとただの朽ちかけた巨木だ。
「本当にここなのか、ベガルト」
ファルベが眉をひそめてラゾートを見た。
「まぁ見てなって」
ラゾートは不敵に笑い、幹を三回叩いた。
静寂の後、中からごそごそと音が響き、幹の根元がゆっくりと左右に割れた。
「扉なんかあったか?」
ファルベが目を丸くする。
「……なかったと思います」
シンニエークも首を傾げたが、ロアークさんだけは目を細めて言った。
「いや、薄らと隙間のようなものはあったよ」
「相変わらず目がいいな、ノアさんは」
ファルベが苦笑いを浮かべる間に、扉の奥から丸々と太ったアナグマが顔を出した。つぶらな瞳がラゾートを捉えた瞬間、ぱっと表情が緩んだ。
「よぉグマル。久しぶりだな」
「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」
「久しぶり、元気だったかって意味か? なら元気だ。すまんな、今日はちょっと大所帯で押しかけて」
グマルは後ろの9人をひと眺めすると、くるりと背を向けた。
「扉は、叩く者のために開かれる」
そう言うと、グマルはそのままぽてぽてと奥の暗がりへと消えていく。
「おぅ! お邪魔するぜ」
ラゾートが片手を上げて続いた。ファルベさん、シンニエーク、ロアークさんが顔を見合わせてから後に続く。
「さっきの……『論語』の一文ですよね?」
奏が目を見開き、思わず声を上げた。
「そう!それからさっきのはシェイクスピアの『ヴェニスの商人』!」
沙綾香が嬉しそうな顔で言った。
「この世界にもあるんでしょうか?」
奏は首を傾げた。
「だとしたら、あのアナグマさんも読むのかしら。あの作品、語れる人いなかったのよ!」
「喜ぶな喜ぶな」
茜は苦笑いをし呆れたように言う。
「とにかく入ろうか」
鈴奈が困ったように笑いながら促すと、6人も扉をくぐった。
中に足を踏み入れると、思いのほか広い空間が広がっていた。柔らかな光が部屋全体を照らし、壁という壁には本棚が並び、色とりどりの背表紙がぎっしりと詰まっている。
グマルはすでに部屋の中央にある椅子に腰を下ろしていた。
「今日はいかなる風が、そなたをここへ運んだ」
「今日はちょっと、この本に書かれている伝説について知りたくてな」
ラゾートは沙綾香から本を受け取り、グマルに差し出した。
「この伝説か」
グマルが短く言った。
「普通に喋った……」
茜がぽつりと呟いた。その声が聞こえたのか、グマルがゆっくりと茜に視線を向けた。
「っ!」
茜は慌てて口を手で塞ぐ。グマルはしばらく茜をじっと見ていたが、やがて興味を失ったように視線をラゾートへ戻した。
「この伝説はほとんど残っていない。あとは……」
そう言うとグマルは立ち上がり、棚の奥へと歩いていった。しばらくごそごそと音がしてから、巻かれた羊皮紙を一本持って戻ってきた。
「これに書かれていることだけだな」
ラゾートが受け取り、広げて読み始めた。最初は軽い様子だったが、目が文字を追うにつれ、見る見るうちにその表情が驚きに変わっていく。
「おい、見てみろ」
隣にいた沙綾香に手渡す。沙綾香も読みながら、同じように目を見開いた。
「どうしたの?」
「昔、海の上に扉が開いて……その中から、見たことのない服を着た人が落ちてきたって。その人はこの世界にはない、弾を吐き出す乗り物や空を飛ぶ乗り物の話をして、こちらにはない医療も知っていたって」
「えっ?」
短く声を上げる鈴奈に沙綾香は羊皮紙を鈴奈に渡した。
「それって……俺たちの世界から来たってことか?」
茜がぽつりと言った。
「可能性はありますよね」
鈴奈は黙ったまま、羊皮紙を見つめていた。その目が、じわりと険しくなる。何かを振り払うように、小さく息を吸った。その様子をじっと見ていた優が、そっと鈴奈の袖を引いた。鈴奈が視線を向けると、優は不安そうな表情を向けていた鈴奈から手帳に落とし何かを書いて差し出す。
——大丈夫?
鈴奈は一度口を開きかけて、すぐに苦笑いに変えた。
「なんでもない」
「隠すな」
その様子を見た茜がギロッと鈴奈を見た。
鈴奈はため息をついた。
「……その異界から来た人は、自らの命で厄災の門を閉めたらしい」




