アナイキ ⑯
第52話 一冊だけ残った図書館
馬車の車輪が、乾いた街道を規則正しく鳴らしていた。
「このサンドイッチ美味しいですね」
シンニエークがもぐもぐと口を動かしながら言った。
「お前、食べすぎだよ」
隣でファルベが呆れたように目を細める。
「いらないならファルベさんのおかわり分、僕が食べちゃいますよ」
にこにこしながら手を伸ばすシンニエークに、ファルベは咄嗟に体を捻ってサンドイッチを持ち上げた。
「やめろ! お前、本当に食いすぎだ!」
「コラお前ら」
ラゾートが運転席から半身を捻って振り返った。
「馬車の中で暴れるな」
6人が笑い声を上げた。優も声こそ出さないが、楽しそうに口元を緩めている。揺れる車内に、あの時とは違い温かさが満ちた。
馬車がロアケニートに着いたのは、朝日が地平の端からようやく顔を出した頃だった。
一行はその足で、街の大図書館へ向かった。高い天井まで本棚がそびえる館内に足を踏み入れると、シンニエークが立ち止まった。
「さて、どうします?」
見渡す限り続く棚と棚。どこまでも続くような通路が、幾筋も奥へと伸びていた。
「手分けして探そう。手がかりになりそうなものなら何でもいい」
ファルベの声に、それぞれが頷いて散らばっていった。
背表紙を一冊ずつ目で追い、気になるものを引き抜いては戻す。どの棚も似たような顔をしていた。
しばらくして、どこかの棚からどさりと鈍い音がした。
「……いてぇ」
声のした方を見ると、蓮が頭を押さえて振り向いていた。
足元には一冊の本が落ちている。どうやら上の段から滑り落ちてきたらしい。
別の通路では、鈴奈が棚に手をかけた拍子に、棚全体がぎしりと大きく傾いた。
「わっ——」
思わず飛び退く鈴奈の隣で、優が目を丸くして棚を見上げる。二人は顔を見合わせ、鈴奈がそっと棚を元の位置に押し戻した。
さらに別の棚では、沙綾香が一冊を引き抜いた瞬間、表紙がうっすらと光り、低くくぐもった声が漏れ出した。
「うわぁ、この本触ると喋る」
「戻せ戻せ」
茜が素早く沙綾香の手から本をもぎ取り、棚に押し込んだ。声はぴたりと止まった。二人はしばらく棚を見つめてから、何事もなかったように別の棚へ移っていった。
それからしばらく経った頃、耳元にかすかな声が届いた。
『あった』
イヤリングを通した、沙綾香の声だった。
ファルベがイヤリングに触れながら小声で言う。
「そしたら沙綾香は読んでおいてくれ。他の皆は引き続き、参考になりそうなものを探して」
『了解』
それぞれの声が短く返ってきた。
しかし、いくら棚を渡り歩いても、それらしい資料は出てこなかった。同じ棚を二度確認し、別の分類まで探しても、手は空のままだった。一人また一人と、沙綾香のいる机へ戻ってきた。
「どうだった?」
ファルベが訊く。
「こっちはそれらしいものはなかったよ」
ロアークが静かに答えた。
「こっちもなかったですね」
鈴奈も首を振る。
「こっちもです」
奏が続けた。
シンニエークが首を傾げながらため息をつく。
「こんなに探して、あるのがこれだけって……どういうことでしょう」
誰も即座には答えず、机の上に一冊だけ置かれた本に視線を向ける。
鈴奈が腕を組み、口を開く。
「そもそも、これ自体がフィクション——作り話で、それをもとに作られたから、これしか残っていない……とか……」
「あるいは」
と奏が静かに続けた。
「真実ではあるけれど、それを記す人間がほとんどいなくて、唯一の生き残りが書いたのがその本、という可能性もあります」
「それか……」
ファルベが低い声で呟いた。
「……誰かが隠してる可能性もある」
「だとしたら」
シンニエークが眉をひそめる。
「国が隠す理由って、何なんでしょう」
誰も答えなかった。
ファルベはくしゃりと前髪を握り、息を吐いた。
「これ以上は、わからないな」
「そうだね」
ロアークが苦く呟く。
「もっとそういう情報を持っている人間がいれば、話も変わるんだけど」
「そうだよ!」
ラゾートが急に指をパンと鳴らした。隣でシンニエークが顔を顰める。
「うるさいですよ、ベガルトさん」
「悪い悪い」
ラゾートは頭に手を当てながら、しかし少しも悪びれずに続けた。
「そういう情報を集めてる奴、知ってるわ」
静まり返った空気の中、全員の目がラゾートへと向いた。
「本当か、ベガルト」
「あぁ。ただちょっと癖のある奴でな……」
ラゾートは少し困ったような顔をしながら、ちらりと沙綾香を見てにっと笑った。
「でも嬢ちゃんなら話が合いそうだ」
それから全員を見回す。
「どうする? 行ってみるか?」
「行ってみる価値はあると思うよ」
ロアークが頷く。
「そうですね」
シンニエークも続いた。
「私も」「俺も」「僕も」——残りの五人がそれぞれに声を上げた。
最後にファルベへ視線が向く。
「インベートはどうだ?」
「俺もいいと思う」
ファルベはラゾートを見た。
「よし! 決まりだな!」
ニヤリと笑いながら言うラゾートの声が図書館に響いて、周囲の利用者が数人振り向いた。
「あの……この本って、借りられないですか?」
沙綾香が手元の本を見ながら訊いた。
「なら、僕が借りてあげるよ」
シンニエークが軽い調子で手を差し出した。
「ありがとうございます」
沙綾香が本を渡すと、ファルベが横から口を挟んだ。
「お前、本なんか借りるのか?」
「失礼だなぁ。」
シンニエークは口をすぼめる。
そう言いながらも、シンニエークの手がぴたりと止まった。しばらく間があって、困ったような笑みが浮かぶ。
「……貸出って、どうやるんでしたっけ」
「お前なぁ」
ファルベが苦笑した。
シンニエークはラゾートとロアークに確認しながら、おずおずと手のひらを本の表紙に当てた。するとページの上に光る文字がふっと浮かび上がり、やがて粉のようにほどけて消えていった。
「よし、できた」
シンニエークが満足そうに本を沙綾香へ返す。
「ありがとうございます」
沙綾香はそっと受け取り、大切そうに胸に抱えた。
「よし。じゃあ行こうか」
ラゾートの声を合図に、一行は出口へ向かった。扉を抜けると、空は既に高く白く——朝とは全く違う光が街に満ちていた。
「えっ」
鈴奈が思わず目を細める。
「私たち、朝一でここに着いたのに」
「あぁ」
ファルベがさらりと答えた。
「この図書館、中の時間が外より遅く流れるんだ」
「へぇ」と、6人が同時に声を上げた。
「……なんでシリュートも驚いてるんだい」
ロアークが苦笑する。
「いや、ずっと長くいすぎたせいかと思ってたので」
「お前なぁ」
ファルベのため息が石畳に落ちた。笑い声がそれに続いて、一行はゆっくりと歩き出した。




